変な話『シネマな人生』
思えば、私の人生は「ドラマチック」によって支配されてきてしまった。
平坦な舗装された道と、崖が剥き出しになった道の二叉路に立たされた時、より険しい崖っぷちに突っ込んでいった。
学生時代の恋は、明らかに私と不釣り合いな高嶺の花を追いかけ、初雪が降った日に告白をした。
大恋愛の末、初めて出来た彼女には、大雨が降った日に別れ話を持ちかけ、別れの理由を「アメリカへ行く」とだけ告げた。
本当のところは、アメリカへ行く理由など全くなかったのだが、私は実際に2年程渡米をした。
アメリカで出来たガールフレンドには「日本に帰って家業を継ぐんだ」と固く抱きしめ涙ながらに別れたのだった。
日本に帰ってきた私は実家に戻り、家業を手伝う事となった。家業と言ったものの、私の実家はコンビニのフランチャイズ経営であり、父がオーナーで私は単なるアルバイトである。
これはこれでコメディー映画の始まりには都合良いかと受け入れたものの、三年経っても状況は変わらず、珍事件なども起こる筈がなかった。
三十歳を目前にして、再起を図り、ドラマチックの溢れる東京に出ようした頃、父が死んだ。これは、私の中でもかなりドラマチックであった。
父の最期の言葉は「お前は、自由だ。」
そう言って父は眠りについたのだった。ところが私は東京に出る事はしなかった。父がオーナーだったコンビニを私が継いだ。理由は、その頃アルバイトに来ていた女子高校生に恋をしてしまっていた訳である。
大抵、恋愛映画では、自身の挫折、父親の死、年の離れた禁断の愛というのは、一度は結ばれる訳である。ここで一度はと言い表したのは、禁断の愛というドラマは、結ばれて終わる事もあるが、結ばれた後にお互いが別の道へと進むというドラマ性も秘めているからである。
ところが件の女子高校生は、私と結ばれる事はなく、同じアルバイトの大学生と付き合い、彼女の大学進学を機に、他県へ出て行ってしまったのである。
そして私は、この辺りから名脇役に徹するようになってしまい、気がついた頃には名脇役が板についてしまったのだった。
問題は五十歳を過ぎた今、この物語の終わり方が見えないのである。
どの映画やドラマを観ても、名脇役が主人公に金言を残した先の物語など描かれていない。
私はこのコンビニでオーナーとして働きながら、主人公っぽそうなアルバイトの青年が、私の金言にハッと気が付き、店を飛び出してくシーンを何度と見た。しかし、その後の脳内カメラマン達は、私を店に置き去りにし飛び出して行った青年について行ってしまうのだ。
クランクアップした名脇役の私は、いったいどうしたら良いのだろう。甚だ疑問である。
名脇役にラストシーンはあるのだろうか。