児童発達支援事業所と「こども誰でも通園制度」の話


「こども誰でも通園制度」って?


児童発達支援事業所とは別の給付制度、「こども誰でも通園制度」ができるようになる!これってインクルーシブで素敵 ♪(=意訳)
というTweetが炎上している。

写真つきでTweetしているけれど、この写真に「別紙2」とあるので、おそらく何か会議があってその資料なのだろう。こども家庭庁のwebsiteを見に行ったけれど、「こども誰でも通園制度」については記述を見つけることが出来なかった。

NHKは9月21日付で報道している。

  • 対象は0歳6か月から2歳まで

  • 親の就労を問わない

  • 保育所や認定こども園、幼稚園、地域子育て支援拠点などを実施する事業者として想定

  • 1人あたりの利用時間を「月10時間」を上限に

上で引用したTweetからは、そんな背景は全く読み取ることが出来ない。支援の必要な子の施設に定型児が来るように読み取れる。

児童発達支援事業所に通っていた


児童発達支援事業所は、私の自治体ではこども発達センターと呼ばれていた。うちの子が少しだけ通っていたから、ほんの少しだけ中身を知っている。

3歳児健診で多動を指摘され、保育園でも同様の指摘を受けていたことから、こども発達センターに相談した。

運動・ことば・社会性などの発達に支援が必要なこども達への計画相談、児童発達支援センター、保育所等訪問支援、相談事業を行っています。

こども発達センター

と、ある。

親子面接をしたり発達テストをしたり一緒に遊んだりして、ことばの発達がやや遅いことと、社会性の発達に問題があることを指摘され、けれど保育園の代わりにこちらに半日~一日通うほどでもない、ということで、1時間程度の療育を月1頻度で通うことになった。朝イチの枠を使って、療育が終わったらいつもの保育園に送り、私はその後出勤する。というスタイルだった。職場の半休制度を使ったが、有給休暇は子どもの療育関係と保育園の行事で使い果たしていたっけ。

通うための「通所受給者証」の発行手続きがとても煩雑で、仕事中に電話がたくさんかかってきたし、仕事を早退して私だけこども発達センターに手続きに行ったり、書類作業もかなりあった記憶はある。
受給者証を発行してもらうこと自体に抵抗のある親もいる。福祉を受ける立場になるのだから、それを受け入れられない人がいてもおかしくない、とは思った(私は全く抵抗は無かった、ただ、この手続きの煩雑さはどうにかならんのか?と、強く思った)。

療育には、2年ほど通った。
特に目に見えて改善した様子もなかったが、児童教育の専門家(児童心理司、言語聴覚士、児童発達支援管理責任者、などの肩書のある人々から、保育士や事務員まで)が子どもに接する姿を見るだけで勉強になったし、親として私が受けるカウンセリングも、とても有意義なものだった。スタッフが保育園に来て普段の様子を見たり、保育士に療育のアドバイスをしてくれたり、それはそれは手厚い対応だった。

うちの子の保育園の同じ学年に、発達障害のお子さんがいて、その子は卒園後特別支援学校に入学したのだけれど、園児時代はこども発達センターに週に2~3日程度通っていた。児童発達支援事業所で支援が必要な子であっても、毎日通わせられるほど、施設に空きが無い。「こども誰でも通園制度」なんてものを新たに作るよりも、児童発達支援事業所の数を増やして、受け入れ人数を増やすことのほうが先決だと、私は思う。私の自治体に児童発達支援事業所は2か所しかない。通所のためにマイクロバスが巡回していた。

そのお子さんのおかげで、うちの子の保育園はすでに増配(保育士を増員)済みだったと知った。うちの子も支援が必要とわかったのだから、保育士はさらに増配して欲しいと感じたが、「増配」はこれ以上無理だと言われた。
もし「インクルーシブ」な支援がしたいのなら、定型発達の子どもが通う保育園に支援対象の子どもも通わせて、保育士増員をさらに強化すればよいと思う。何も新しい制度なんて創設する必要が無い。

こども家庭庁がお役所発想で、「何か」を始めたいんだろうな~、とは容易に想像できるけれど、あまりにも現場を知らなすぎる。

児童発達支援事業所に通わなくなった

当時は日々を過ごすことに精いっぱいで、ここ(note)も誕生前で、ロクに記録を残す時間も気力も無かった。探せば当時のメモ書きは残っているはずだが、もはや必要ないので探さないしまとめない。

というのも、うちの子の発達の問題は、医療介入の必要な病気だったから。

以降は、うちの子の病気のお話。

判明した日のことはよく覚えている。
5月の連休中、ある整備された公園に行ったときのこと。その頃、走るのが大好きで、400mトラックを「1周したい」と言い出した。走っているのはほとんどが大人で、ランニングウエアを着た本気モードの人たちばかりだったが、子どもと一緒に走っている家族連れも居て平和そのものだった。
私は1周付きそう元気が無かったので「お母さんずっと見ているから、ひとりで行っておいで」と見送ることにした。
約半周走った時。突然、パタッと走るのをやめて、動作が止まった。
数秒後、今度は突然逆方向に走り出した。
ざわつく周りのランナーたち。私は慌てて逆方向に走り出した子のもとに駆け寄って行った。

あ。これ、てんかんだ…。

けいれんしたり卒倒したり泡を吹いたりしないタイプのてんかんだったから、気づくのが遅れた。この子のてんかんは、欠神てんかんといって、一瞬意識が混濁して行動が止まるタイプ。行動が止まっている数秒~十数秒の間のことを覚えていないので、正常に戻った瞬間に、それまでとは別方向に歩きだしたり、思考が止まって混乱したり、混乱して怒り出したり、する。

その場で(公園で)即予約して、翌日、かかりつけの小児科医を受診。そのクリニックはほぼ年中無休で、休日や祝日は院長先生が担当していることを知っていたため、躊躇なく院長先生狙いで予約したのが功を奏した。
事情を説明したところ、近くの病院に紹介状を書いてくれた。その病院に非常勤で来ている専門医が居る日を指定され、休暇をとって、病院に行った。

病院では、鎮静剤を点滴するルートをとるのが難航した(ギャン泣きして暴れていた)けれど、薬のおかげで問題なく脳波とMRI測定ができた。予想通り棘波が頻発していて、棘徐波複合の明らか過ぎるてんかん所見だった。

診断はついたものの、ここでは治療できないと言われ(常勤の小児神経科医師のいる病院への転院を勧められた)、近くの都立病院に紹介状を書いてもらった。そちらの病院で再び脳波をとってMRIも撮った。第一選択の内用薬が効かず、別のとても苦い薬に切替、ようやく発作が出なくなった。

薬、すごい。

診断がついたと同時に、うちの子のてんかんについてPowerPoint資料をつくって提出し、保育園で共有していただいた。小学校にも提出した。
普通「てんかん」と聞くと、けいれんの大発作を連想する。そもそも「大発作」という医学用語の意味も違うから(強直間代発作は狭義の大発作)、それをまとめる資料をつくった。今見返しても、当時めちゃくちゃ勉強したことを思い出す。

うちの子の欠神てんかんは、ラッキーなことに成長とともに寛解し、薬の量を減らしながら様子を見たけれど発作は出ず、今は投薬無しで経過観察中。発作は出ていない。


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