【短編小説】メロンパンみたいな恋だった
ふらりと入ったパン屋さんで、メロンパンを見つけた。
「私には甘すぎる」という理由でいつの間にか遠のいていたメロンパン。小学生のころは毎日のように食べていたのに。
人気NO.3と書かれた赤い札を見たら、自然とトングが動いた。挟むと下のほうだけやわらかくて、沈む。雲をつかんでいるみたいだった。十数年ぶりのメロンパンをトレイに乗せてレジへ向かう。
透明なポリ袋に入れてもらって、ショルダーバッグの一番上に乗せた。
崩れないように、優しく。大切に。
社会人になって初めて買ったブランド物のショルダーバッグにメロンパンを入れて、立体駐車場まで歩く。乗り込み、ウエットティッシュで手を拭いてからメロンパンに手をつけた。
ポリ袋から取り出すと、表面のクッキー生地がポロポロと落ちてきた。大切に持っていたはずなのに、ものの5分でこの有様だ。
思っているより繊細だった。
立体駐車場は暗い。人目なんてどうでもいいかと大きな口を開けてメロンパンにかじりついた。
パンを縁取るサクサクとしたクッキー生地が、口の端に刺さって痛い。
口に入れるまで気づかなかった、小さなグラニュー糖の破片がザラリと肌に触れた。
噛みつく。噛んだ拍子に崩れた生地がまたポロポロと落ちていく。噛み切って口の周りを掃いながら下を見ると、甘さの欠片でスカートが汚れていた。
ザク、ザク。
砂糖とバターが絡み合った硬い破片が、口の中で音を立てている。ほっぺたの横、歯茎や口蓋。色々なところに破片が刺さって、ちょっとだけ痛かった。
でもパン生地はふんわりしていて、痛みの合間にあるやわらかい感触でメロンパンの甘さを感じることができた。
メロンパンがメロン味だって思ってたのは、いつまでだったかな。
改めて食べてみると、メロンの味なんて全然しない。
それなのにずっと、メロン味のパンだと思い込んでいた。
砂糖の中に、バターの香りがする。
甘い。でも痛い。バリバリ。ザクザク。ふんわり。
メロンパンってこんなに痛くて甘いんだ。
タケルに、食べさせてあげたくなった。
もうできないけれど。
思い出したら泣きたくなった。
8年付き合った彼とさっき、別れた。あっけなく。あんなに長く一緒にいたのに、別れ話は30分で終わった。
ザク、ザク。
もう一口噛んで甘い甘いメロンパンを食べる。やっぱり口の中に砂糖が刺さる。ちょっとだけ、痛い。
おいしい。甘い。ザクザクしていて、こんなにもおいしい。
甘すぎると遠ざけていたのが馬鹿らしく思えるくらい、おいしい。
食べ進めていくうちに、パン生地の方が多くなった。
やわらかさだけじゃ甘さが物足りなくなって、メロンパンの甘さはパンではなくて、痛い方にあったんだと気づく。
端についた硬い部分ばかりを食べたい気分になってきた。
最後に残る痛い端っこが食べたくなって、もっともっとと食べ進める。
ザク、ザク。
最後の硬い部分は、痛みなんて感じなかった。慣れてしまって。ただの甘さだけ。
期待外れ。空しくなって、最後の一口を適当に放り込んだ。
手元には何もなくなった。甘い破片も飲み込んでしまって、もう痛みなんて感じなかった。
メロンパンみたいな恋だった。
痛い。甘い。でも本質に気付けない。
沢山傷つけて、沢山喧嘩をして、その数だけ仲直りをした。
仲直りのあとは飛びきり甘くて、その甘さが欲しくてまた傷つけた。
大切にしなきゃいけないのは、甘さじゃなくてふんわりとした彼そのものだったのに。
上についた甘くて硬い刺激にばかり捉われて、その感情を満たすことだけを求めてしまった。
ごめんね。
私は泣いた。
ポロポロと崩れるような涙だった。
スカートの上の破片を掃う。
手についた砂糖の欠片をウエットティッシュでふき取って、ペットボトルの水を飲みほした。
甘さがなくなる。気持ちは沈んだままだ。
顔を上げると、ハザードをつけた車が待っていた。
私がいなくなった場所に停めたくて、待っているんだ。
暗くて見えないだろうけど、小さく会釈をしてギアをドライブに入れる。
ゆっくりと徐行。車は進む。ハンドルを左に切った。
口の端に残っていた砂糖を舐めとる。甘い。硬くもなく痛くもなく、ただただ、甘い。
メロンパンは一つで十分。若い時みたいに何個も食べられるほど、私の心は甘さを受け入れられなかった。
次食べるのはいつだろう。食べられる日がくるのだろうか。
8キロ制限の駐車場を進んで出口へと向かう。
もう涙は出ていなかった。
泣きたいけれど、我慢をする。潤んだ目では車を運転できないから。
彼を残したショッピングモールを背にして、心で泣きながらゆっくりと進んだ。
この暗闇からまだ出たくはないけれど、明日は変わらずやってくる。
声を出して泣き叫ぶほど、私は子供のままじゃなかった。
駐車場から出ると明るかった。スカートの上にはまだ欠片が残っていた。
一時停止で欠片を掃って、顔を上げる。
大人の明日は止まれない。
左右確認ついでに頭を振って、アクセルを踏んで車を進めた。
さあ、お家へ帰ろう。誰もいない私だけの家に。
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