走れよメロス! 〜付け馬事件あるいは熱海事件簿〜
熱海の太宰治事件現場からホンノクロコがお伝えします!
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梅雨曇りの7月、わたくしは、多くの文豪に愛された近代建築の起雲閣を訪ねました。1948年(昭和23年)、太宰治が『人間失格』を執筆した元旅館としても有名な建物です。現在の起雲閣には、旅館に泊まった作家たちの資料が展示されているのですが、そのキャプションの中に1936年(昭和11年)の「付け馬事件」がしっかりと明記されていました。(あぁ、太宰治はともかく、この事件を恥じていた檀一雄はこの黒歴史に触れて欲しくはなかったろうに)
「付け馬事件」という呼ばれ方を初めて知ったので、調べてみると「付け馬」とは、遊郭代の不足分を徴収する為に客の帰宅に同行する店員の俗称のことでした。教養が問われます。この事件名を付けた方はかなりの知識人であり、洒落ております。一般的には「熱海事件」という言い方が有名でしょう。
檀一雄(事件当時24歳)は、太宰治(事件当時27歳)の妻・初代から熱海にいる太宰へお金を届けて欲しいと頼まれ熱海へ向かいました。しかし、このふたりは、その金を着服し豪遊、よって宿代が払えなくなりました。そこで、お金を工面するために、太宰は檀を人質として熱海に残し、菊池寛からお金を借りてくると言って東京へ戻ります。
上の写真は、その事件現場の檀一雄が太宰の帰りを待った「村上旅館」です。今は営業はされていませんでした。海の近くで、美味しそうなとろけるタンシチュー屋さんのそばでした。
金の工面に行った太宰はなかなか帰ってきませんでした。そこで、待ちくたびれた檀と宿の人が東京の太宰に会いに行くと、太宰はなんと井伏鱒二の家で将棋を指していました。檀がカンカンに怒ると、太宰は「待つ身がつらいかね、待たせる身がつらいかね」 と言ったとか。うーん、今、そんなことをSNSで呟いたら炎上ですよ、太宰さん。
檀一雄の書いた『小説 太宰治』によると、その後、井伏鱒二に、熱海での飲食代だけでなく遊郭代の勘定書をパラパラとめくられ「もう、生涯あのような恥ずかしい目に会わずに済めば幸いである」と檀はかなり恥じる。檀にとっての熱海は、恥の多い人生(思い出)なのでした。
しかし、檀さんは良き友なのでこうも書いています。
「私は後日、『走れメロス』という太宰の傑れた作品を読んで、おそらく私たちの熱海旅行が、少なくともその重要な心情の発端になってはいないかと考えた。あれを読むたびに、文学に携わるはしくれの身の幸福を思うわけである」
いやいや、メロスのように走れよ、太宰!
最後に、太宰と檀が事件当時に入った温泉と同じ源泉につかりたいと思ったのですがタイムオーバーで無理でした。なので、旧村上旅館の近くの路上にあった熱海七湯の河原湯に手だけ突っ込んでみました。本当にこの源泉だったかどうかはわかりませんが、この湯は神経痛やリューマチの効能があるそうです。
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現場からは以上です!