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ええじゃないか。

マッチョな人にたくさん会った。
僕が言う「マッチョな人」というのは、筋肉モリモリな人のことではない。

マッチョな人というのは、
がんばるのを大切にしていて、
がんばらなければいけないと思っていて、
がんばることで褒められたい人
のことだ。

例えば、
「世の中の課題を解決したい!」
と言ってがんばっている人を見ると、
「マッチョだなぁ」
と、思う。

もちろんマッチョなのは悪いことではない。
社会や、自分自身のためにがんばることを否定はしない。
僕もマッチョにがんばることだってある。

ただ、マッチョでい続けるのは疲れる。

もうひとつの「ゆるぽよ」はマッチョと対になるものだ。

ゆるぽよな人というのは、
がんばらないことを大切にしていて、
極力がんばらないことを目指していて、
がんばったときに褒められるのは嬉しいけど、
別に褒められなくてもいいや。
と思っている人だ。

マッチョと比べると、ゆるぽよの方が楽に見えるかもしれない。

そんなことはないと思う。

例えるなら、1日のあいだに一度もがんばらないでいられるだろうか?ということだ。
1日に一度や二度は
よっ!
とお腹に力を込める時が来るはずだ。

だから
マッチョであるべき
ゆるぽよであるべき
という話ではない。

この2つは、相対の話なのだ。

昔と比べて、なんてそもそも知らないからできないけど、マッチョとゆるぽよの間には大きな断絶があると思う。
極端な言い方をすればこんな具合だ。

マッチョが言うことは、ゆるぽよには響かないし。
ゆるぽよの考え方をマッチョは理解できない。

マッチョとゆるぽよのバランスがとれているのが理想だと思うのに、世の中は理想よりも少しだけ残念だ。

なんでこんなことを書いているのかと言うと、この前、やたらとマッチョな人たちに囲まれたからだ。
と、同時に
「この人、マッチョでいたくなさそうだなぁ」
と、感じる人がたくさんいた。

マッチョがつらいならゆるぽよになればいいのに。

と、思うんだけど。
問題がある。

マッチョしか知らない人には、ゆるぽよがなんなのか伝わらないのだ。

マッチョしか知らない人が、
今の自分はなんか違う
と思うと、がんばりはじめる。

マッチョの先に答えがないのは、心の中ではわかっているのに。
頭の中にはマッチョであるしか選択肢がないみたいなんだ。どうやら。

だけど、マッチョを脱してゆるぽよになるには、がんばってはいけない。

でも、それが怖い。

だって、がんばるのをやめたら、
今までの自分がしてきたことを否定してしまう気分になる。
少なくとも僕はそうだった。

でも、んなことはなかった。
ゆるぽよ万歳。
もしかしたら、離れていった人もいるかもしれないけれど。んなこたぁ知らない。

ええじゃないか。

そう、マッチョからゆるぽよへの第一歩は
ええじゃないか
と思うことにある。

「ええじゃないか」
には、肯定と放棄の二重の意味がある。
素晴らしい言葉だ。

すーっ
と息を吸ったら
ふーっ
と吐かねばならない。

マッチョじゃなくても、ええじゃないか。
ゆるぽよだけじゃなくても、ええじゃないか。

がんばったって、ええじゃないか。
がんばらなくて、もええじゃないか。

こんど、マッチョでいたくなさそうな人を見つけたら、
ええじゃないか。
と言ってみよう。

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