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【書評】里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く

17回目の投稿になります。地方のこれからのあるべき姿や可能性について書かれた本を読んでみました。有名な本なので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、ご覧下さい。

本の紹介

今回、紹介する本はこちらです。『里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』という本です。この本は、地方や地域にいながら、固有の資源や周囲の人々、コミュニティを巻き込んでいく事で地域自体が外部に依存せずに自立していける可能性や自分らしい生活が出来る事を様々な事例を紹介しながら、書かれているものです。この本は高校時代に進路指導の先生から勧められ、購入しました。当時の僕は、地元秋田が人口減少や過疎化という現状にある事に対して、課題観を感じていました。そんな中、先生からこの本を紹介され、読んでみると、地方でもこういった取り組みが進んでいるんだなあと思いました。今回は改めて、読み返す中で新たな気づきや感想を持ったので、特に印象に残っている部分をピックアップしながら、まとめていきたいと思います。
(『里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』の詳細はこちらからご覧下さい。)

地域経済の自立への道は自給自足

この本ではオーストリアのエネルギー危機の事例が紹介されていました。オーストリアは日本と同じく地下資源に乏しく、外部に頼らざるを得ない状況でした。原油を中東諸国から、天然ガスをロシアからのパイプラインによる供給していました。そのため、国勢情勢が悪くなるたびにエネルギー危機に見舞われてきました。そんな中で、オーストリア国内で盛んな林業を活かして、自国内でエネルギーを賄おうという動きが出てきました。木質のペレットを製造し、それを販売しエネルギー源にしていこうというものでした。この動きにより、加工や開発に必要な機械が必要になり、その為に技術者を雇用しなければいけない……という循環が生まれ、結果的に地域内での若者が働くようになり、若者の雇用創出にも繋がったのです。エネルギーを自分達で賄おうという動きが地域内の雇用機会を生み出すというまさに自給自足をオーストリアは実現させたのです。

日本に目を向けてみると、未だ石油などの資源を海外からの輸出に頼っています。この本ににも以下のような事が書いてありました。

「地球の裏側から何故資源を持ってくる必要があるのか?」
「森林などの周囲の資源を有効活用すれば、外国に依存する必要も無いし、国内でエネルギーを生み出す事が出来る」

確かにわざわざ石油を持ってくる時間を考えたら、国内でエネルギーを自給自足出来たらどれだけ良いだろうかと、改めて考えました。

『金太郎飴』化した地方

皆さんご存知の通り、日本は中央集権国家です。これにより、競争力のない地方は力のある者たちによって、利用されているような構図が出来てしまいました。分かりやすい例としては、メーカーの本社機能は都心部にあり、生産拠点は地方にあるといったものが挙げられます。当然、その方がエンドユーザーに届けやすいというメリットがあるとは思います。しかし、一方で、都会より地方の方が賃金が抑えられるので、安い賃金で働かされるのです。経済効率だけを追及すると都会と地方という分かりやすい構図がこういった形で表面化するのです。さらに本書では、中央集権的なシステムは、競争力のない、弱い立場にある人々や地域から色んなものを吸い上げることで成立させてしまったと述べていました。地域ごとの風土や文化は顧みられず、地方の人間はただ搾取され、経済成長には、どこもかしこも画一的である方が効率的であり、地域ごとの個性は不要になってしまったのです。この内容を読んでいて、大学のゼミの教授との雑談を思い出しました。教授は全国どこでもあるチェーン店やショッピングモールに対して、「どこ行っても同じ店しか無いと、面白くないじゃん。」とお話をされていました。どこでも同じ物を食べられるという安心感がある一方で、確かに地域の個性は薄れてしまいます。加えて、こういった店舗は採算が立たなくなったら、すぐに撤退します。こういった外部の資本に翻弄される地方は沢山あるだろうなあと思いながら、読み進めていました。

お金だけが物差しではない

皆さんもご存知、東日本大震災。未曽有の大災害で沢山の命が失われました。それ以外にも、インフラや物流が機能しなくなりました。その瞬間、いくらお金があっても、何も出来なかったと思います。お金があれば、困らないというのはいつでも通じるとは限らないのです。本文では、「お金という手段だけに頼るのではなく、少なくともバックアップ用として別の手段も確保しておく」ことが大切だと書かれてありました。お金を重視する資本主義であれば、当然自分の存在価値は稼いだ金銭の額で決まると思い込んでいる人がいます。それどころか、他人の価値までをも、その人の稼ぎで判断し始めたりします。本来、お金は他の何かを買うための手段であって、持ち手の価値を計るものさしではないのです。必要な物を買って所持金を減らしても、それで人の価値が下がったわけではないし、何もせずに節約を重ねてお金だけを貯め込んでも、それだけで誰かがあなたのことを「かけがえのない人だ」とは言ってはくれないのです。だから、お金などの目に見える資産を絶対視して、その人の価値を判断しなくても良いといった事が本文に書かれてありました。就活中、『市場価値を上げよう』という話を人事から聴く事がありましたが、そこに違和感を少し感じていました。市場価値が高い事を絶対視している感じがしっくりこなかったのです。やはり、経済力を重要視する資本主義では、お金が物差しになりがちです。しかし、それが全てではないという事に気付くにはこういった資本主義の構造そのものに疑いを持つ機会がないと中々感じる事は無いのだと思います。

さあ、という事で書評という事で本の内容や僕自身の見解を述べさせてきましたが、いかがだったでしょうか。地方の在り方や未来について、何かヒントが欲しいという方にお勧めの本ですので、是非、読んでみて下さい。

という事で、今回はこの辺で!

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