見出し画像

お遍路でもらった大切な筆が気付かせてくれた生き方

使い古した一本の筆が目の前のペン入れに入っている。少し年季が入っている。もう10年近く前にある人からもらった筆だ。

僕は生き方が不器用だけど、それにならって字も下手くそだから、救えない。手紙を書く機会があると、慎重に丁寧に書こうとするのだけど、やはり不器用な文字は不器用な文字だ。

大学生の時、四国八十八箇所1200キロを歩いた。愛媛県に55番札所南光坊がある。伊予北条から南光坊へ着いた時、薄暗く夕暮れていた。参拝客もまばらで、暗闇の中にぽつりと納経所の明かりが灯っていた。各札所では必ず納経帳に証明をしてもらう。その場所が納経所だ。

画像1

重い足を引きずり僕は引き戸を開けた。「ご苦労さま」と声をかけてきたのが平田潔さんだった。僕は人に出会えたこと、労いの言葉をかけてもらったことで、ぱっと軽やかな表情になった。

 定年退職後、10年以上納経所で筆を走らせる平田さんは達筆だった。僕は無意識にうなっていた。それを見て平田さんは苦笑し、僕の納経帳に名前と住所を書いてあげると言った。

「名前と住所を書いて」と白紙を渡されるが、ためらった。「字には自信がないです」と言って、バランスが悪い字体の住所を書いた紙を渡した。

平田さんは「字に良し悪しなんてない」と一喝した。使い古した筆に目を落とし、「ちょっと待っとき」と奥へと姿を消した。戻ってくると手には黒く光沢のある筆が握られていた。 

「古いものをあげようと思ったけど、それはわしが十分稼いだ筆やから」と平田さん。僕は真新しい筆をもらった。

平田さんは人を引きつける綺麗な書体だが、あれは何十本、何百本と筆を使い潰したからなのだろう。一本の真新しい筆を手にしてそう感じた。遍路を終えた後、平田さんから手紙が届いていた。「念ずれば花ひらく」と書かれていた。

遍路を終えてから10年以上経つ。未だに字は下手くそだ。平田さんは字で生きてきた人だ。僕は字は汚いし、字の道では花はひらいていない。だけど、そんな僕でも、文章や写真で少し花が開きつつある。

人はそれぞれ花をひらかせられる場所がある。最近、そう思えるようになった。

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?