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「製本をやめよう」と決断できた日──60年続けた本業を撤退した話(5)

2016年ごろからの約6年は、再生支援を受けながら、さまざまな試行錯誤をし続けた期間でした。しかし結果として、「製本屋としてこの先も生きていける」という手応えを掴むことができませんでした。

2023年、私たちは何度も葛藤した末に、製本事業の撤退を決意します。藤沢製本の歴史を残す連載第5回は、悩み続けた最後の1年の話です。

【前回の記事】



全社員に、会社の状況を報告

藤沢製本は、メインである学生参考書の製本が春〜秋に集中することから、例年冬場に仕事が落ち着きます。それは経営改革をしている当社にとって、「次のシーズンもこの事業を続けるべきか」と立ち止まるタイミングが、毎年必ず訪れることを示していました。

利益率を改善し、少しずつ業界内外からの反応も変わってきたものの、厳しい状況が続いていた2022年9月。繁忙期シーズンの終盤に、代表取締役・藤澤佳織は決断を1つ下します。それは当時の自社の状況を、まず正直に、十数名いた全社員に共有することでした。

今、月々どれくらいの売上があり、どう収益が出ているのか。今後、それがどんな推移をしていきそうか。会社にどのくらいの負債があるのか。なぜ、ここまで外注費や残業代を厳しく見るようになり、広報活動や新ブランドの立ち上げにこだわっているのか。

もちろん社内報を出したり、場面ごと、担当者ごとに取り組んでもらう仕事の意図を伝えたりと、それまでもメッセージとしては発していました。しかし、その背景にある数字にまでは明確に共有していませんでした。その苦しい部分は、経営陣が負うべきところだと考えていたからです。

ただ冷静に数字の動きを見ていくと、1年後に同じ形で、製本事業を存続できている保証はなかった。「いつまでも製本だけじゃダメだ」というメッセージを改めて発信するとともに、また春に2023年シーズンが本格稼働するまでの期間を、一人ひとりが自分の未来を考える時間にしてくれたら……という藤澤の意図でした。(この時点で、事業撤退までは決めていませんでしたが、個々の社員の選択次第で、縮小を検討していました)

社員の前でプロジェクターに投影した資料(一部)

2時間を越えるミーティングは、当然、社員に大きなショックを与えましたが、事業の存続が危ぶまれていることが知れ渡っても、急に現場が混乱することはありませんでした。2022年の繁忙期そのものはみんなで乗り切り、その過程で「私は残ります」と意思を表明する社員も出てくれました。

一方、繁忙期が終わって少し経つタイミングで、自らの将来を考え、転職を選ぶ社員も相次いで出てきました。会社としては寂しさもありながらも、引き止める権利は当然ありません。この数年、徹底した生産管理を行ってきた経験を武器に、別の製造現場でキャリアアップしてくれた人も少なくなかったことが、経営改革を率いた藤澤にとってはせめてもの救いでした。


「もう製本をやめよう」と決めた日

2023年4月、結果的に最後となる繁忙期シーズンがスタートしました。一人、また一人と新しい道を歩むなかでしたが、そもそも徹底した機械化と効率化がベースにあった製本ラインは、近年の意識改革も経て、少ない人数で動かせるようになっていました。

ただそれも、縮小する製本市場の中で、過去の負債を返していけるほどではありません。取引条件がうまく折り合わなかった案件については、この時点で辞退を決断したものもあり、遠からず製本事業そのものを手放さざるを得ないことも感じていました。しかし、製品開発など新規のプロジェクトも、前回触れたように全社的な事業としてはまだ育っておらず、残ってくれた社員もいた手前「今すぐ製本をやめよう」とも言えない、苦悩の状態が続きました。

そうした最中に、事業の存続を左右する、予想外の出来事が発生しました。立て続けに起きた機械トラブルです。

夏の終わりにコンプレッサの不具合があったかと思えば、繁忙期終盤には、製本機の出口にある自動結束設備が故障。部品交換で一度は直してもらったものの、すぐに全交換が必要となり、何とか手作業で繁忙期を乗り越えることになりました。

また11月に入り、製本機にある、折がうまく綴じられているか識別するセンサーが、なぜか効かなくなるトラブルも発生。落丁(折が不足した状態で製本してしまうこと)を防ぐために、手作業の秤計測を導入して対応しました。繁忙期を抜け、小ロットの注文だけ手元にあったことが幸いだったと言えます。

しかし、今後を考えると見過ごせない不具合です。最後このトラブルに見舞われたことで、決めかねていた「製本事業からの撤退」という結論を出すことができました。

もしこれが、まだ利益を生み出し続けられる状況での出来事だったら、製本をやめる、という決断には至らなかった可能性があります。ただ、この数年の改革で私たちがひしひしと感じていたのは、「製本という仕事をしていくことは“絶対に無理”ではないが、業界そのものが利益の出づらい構造から抜け出せなくなっている」「今後、ますます続けることが困難になる」という点でした。

私たちは本作り、その品質にこだわって最後まで生産をしてきたつもりです。けれど、そこに次の未来までを見ることは難しく、悩み抜いた末に2023年11月をもって受注を停止。60年間やってきた製本事業のラインを止めることにしました。


難しくても、10年先を見越して動くべきだった

最後の1年を含むこの7年間は、以前にも書いたように、できる限りのことをやってきたつもりでした。しかし、それまでに抱えた負債や、根深くさせてしまった課題を越えることは、簡単ではありませんでした。

ただ、生き残ることが全く不可能だったとも考えていません。たらればの話になってしまいますが、あと10年早く改革に手をつけていたら、違った結果だったかもしれないとも思います。生産効率化などももちろんですが、そのタイミングであれば、今残っている大規模ラインを撤退する選択もありました。当時はハードカバーのラインもまだ十分稼働していたので、そこに再特化する投資も可能だったのではと思います。

もちろん、当時は縮小傾向にあったとはいえ、関西でもまだ今以上に大ロットの仕事があった時代です。もしそう振り切っていたら、誰もが「こんな設備があるのにもったいない」「まだまだできるのに」と言ったでしょう。しかし、危機感そのものを覚え始めた状態で、10年先を見越して事業をつくる重要性を、私たちは撤退者として改めて今感じています。追い込まれれば追い込まれるほど、打てる手は減っていき、ギリギリまで延命させるしか方法がなくなっていきます。

また、こと藤沢製本について言えば、「創業者を支えるNo.2がいたらもっと強かったな」と、経営改革中に何度も歴史を振り返りながら感じました。この連載にはあまり記してきませんでしたが、創業者の藤澤元己は時代を切り開く観察眼と発想力を持ちながら、そのアイデアを他社に譲ってしまうような人の良さ、気前の良さがありました。それゆえにたくさんの声がかかり、業界の発展や技術向上にも寄与した側面はあるのですが、会社としては不利益を被ったケースもあり、知財的な面でも藤沢製本の資産を残せていません(第3回で触れた、無償提供の文化にもつながっています)。

一歩引いた目線で、かつ事業全体を理解してくれるNo.2の育成は簡単ではありませんが、もしそんな右腕がいたら、創業者の生んだものはもう少し別の形で世の中に届き続けたかもしれない。これは藤沢製本だけではなく、他の企業でも当てはまる話かもしれません。

「もっと早かったら……」「本業を支える右腕がいたら……」という悔いは今も残っています。ただ、時代を切り拓こうとする藤澤元己の精神は、近年立ち上がった自社ブランドのコンセプトには確実に生きており、それを次の時代に合う方法で引き継いでいくことが、これからの私たちの使命だと感じています。

(第6回に続きます)


<記事一覧>

【公開予定】
2023/12/25 第1回第2回
2023/12/26 第3回
2023/12/27 第4回
2023/12/28 第5回(この記事です)
2023/12/29 最終回

株式会社藤沢製本
1963年京都にて創業。学生参考書や学術書など一般書籍の製本請負を主力とし成長。2019年に滋賀工場に本店移転し、出版や印刷・製本業界の枠を越えて新規事業に取り組む。2023年に製本事業から撤退。

(文責:藤澤佳織、構成:佐々木将史