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経営改革から、「製本」以外の事業化に挑む──60年続けた本業を撤退した話(4)

市場の縮小が始まるとともに、浮き上がってきたさまざまな課題。多品種小ロット化も進む出版・製本業界で、大規模な機械ラインに特化してきた藤沢製本では、2010年代以降、急激に経営状況が悪化していきました。

いよいよ資金繰りが苦しくなるなか、再生支援とともに本格化させたのが「内側の改革」と「外への発信」「新規事業の立ち上げ」です。連載第4回では、限られた期間で私たちに何ができ、何ができなかったかの試行錯誤を振り返ります。

【前回の記事】



生産工程、労務、値上げなどで「粗利の確保」に

藤沢製本に事業再生支援が入ったのは、2017年。その頃すでに経営の中心を、創業者の子である専務取締役・藤澤誠浩と、その妻であり、後に代表取締役を務める藤澤佳織が担うようになっていました。

経営改革として、まず重要視したのが粗利の確保です。右肩下がりの製本業界でしたが、前回書いたような生産効率の問題もあり、「利益が出ていないのに忙しい」状態がずっと続いていました。その原因に一つひとつ向き合い、改善方法を探りました。

例えば「外注費」。製本業界ではよくあるのですが、自分たちが請けた仕事の納期が厳しくなったとき、近い設備を持っている会社にその仕事の一部(折工程など)や、場合によっては最終加工までを再委託しています。それは本来、発注元のオーダーに応える最終手段であったはずですが、当時の藤沢製本では「今週も厳しそうだ。あれもこれも、ついでにそれも外にお願いしよう」と常態化してしまっていたのです。

もちろんそうした生産体制では、横移動の運賃や管理コストが余計にかかってきます。よく数字を見てみると、この小ロットの時代には、全く利益が出ない仕組みだとわかりました。外注先も再委託なので、直接受注の案件よりは安い単価での仕事となり、どちらも幸せになっていません。

そこで、「そもそもの生産スケジュールをきちんと管理する」「どうしても必要なときに、本当に必要なぶんだけ外注先に依頼する」ことを徹底しました。何を当たり前のことを……と思われるかもしれませんが、慣れた商習慣の中では自分たちで気づいていなかった無駄は多く、それを意識的に変えていくことが必要でした。

2019年には生産ラインも本社機能も、大津市の拠点に集約。創業の地である京都の工場を売却し、ハードカバーの生産からは撤退しました。さらに、約30年ぶりとなった製本単価の値上げや、引き取り運賃(これは京都近辺の製本業界特有のようですが、印刷所で刷り上がった用紙を、製本屋や折屋が引き取りにいく習慣がありました)など取引条件の交渉も行い、私たちに強みのある生産ラインの中で、どう利益を確保するかを模索していきました。

他方で、労務面も根本的に見直しを図ります。トイレの改装などで、女性社員も働きやすいよう環境を整えつつ、残業については徹底して時間を削減しました。それまで「今日は残って2時間やります」など、現場判断でかなり自由に行えるようにしていたので、残業代が利益を圧迫していたのです。

簡単に残業できないとなると、「朝一番から効率的に機械を回さなくては」と考え方も変わります。5Sの研修なども実施するなか、少しずつ業務に対する意識改革が進み、最終的には2019年から2022年の間に、10.4%の粗利UPに。同期間で、営業利益も8.6%UPを達成しました。


認知向上から始めた「広報活動」と「自社製品の開発」

製本事業の改革を進める一方で、前回課題として指摘した“製本屋の立場”そのものを変えていくために、別の観点からもチャレンジを行いました。

1つは、SNSなどを通じて「製本の魅力」を発信していくことです。製本屋の立場が低かった要因には、もちろん業界の構造的な問題もあるのですが、中で私たちが行っていることの凄さや面白さが、世の中に圧倒的に認知されていないことも大きいと感じていました。

2020年に藤澤佳織が代表取締役に就任してからは、広報活動をより幅広く展開していきます。「内側の改革」の1つでもあった社内報(上記写真)、イベント登壇(「アトツギベンチャーサミット」など)や各種取材の対応に力を入れつつ、藤澤自身も〈中小企業の嫁〉というワードを携え、女性経営者としての試行錯誤を率直にSNSで発信するように。また、地域に貢献できることも積極的に探っていくことで、製本業界そのものへの、世の中の認識の変化につながればと考えていました。

製本屋としての発信と別軸で、もう1つチャレンジしたのが「自社製品の開発」です。上で触れた「製本の凄さや面白さ」を伝える目的もありますが、受注待ちが基本の製本事業のみで安定した利益を出す難しさを感じ、挑んだことでもありました。

最初の製品は、「町工場プロダクツ」というコミュニティとの出会いを通じ、ギフトショーへの出展アイテムとして作った「かばおのノート」(2021年10月)。“背固め”と呼ばれる、ハードカバーの製本で必要な工程を担う機械の形から着想し、製本所ならではの紙製品に仕上げたものです。

これが結果的に、藤沢製本の新事業、後にオリジナルブランドとして育っていく『テキトーフォーミー』の誕生にもなりました。そこから、本の売上カード(スリップ)を原型にした「かばおのカード」、さらには本や紙から離れ、さまざまな事業者とコラボして生まれた「かばおのキューブ」「かばおティー」など、次々と自社製品を開発。これがさらにメディアでの取材を増やし、製本について世の中に語る機会が増える、という相乗効果も得ることができました。


浮き上がった“変化”へのハードル

2016〜2022年ごろの6年間、私たちは経営改革に新規事業の立ち上げにと、当時できる限りのことを行いました。一定の成果も出て、ありがたいことに応援してくれる人も少しずつ増えたように感じています。ただ一方で、何かを変えていくハードルの高さを強く感じるケースにも多々直面してきました。

製本事業について言えば、やはり単価や取引条件を見直すことの難しさです。特に書籍は、一度作った製品が書店や取次店に長く在庫されるケースも多く、既刊本の価格改定は簡単ではありません。製品にすぐ転嫁できないなか、出版社も簡単に製本単価を上げるわけにはいかない状況がありました。

まして他の製本所が値上げを要請していないとなると、先陣を切って交渉した藤沢製本への発注数が見直されるケースも実際に出てきます。量が減ると、いくら生産体制をスマートにしても、かかる固定費の問題で粗利UPには限界がくる。そもそも出版社が多くない関西にあって、すでに設備過剰気味になっていた私たちの工場には、発注数の減少は大きなダメージとなりました。

また社内でも、特に新規事業については難しさが浮き上がってきました。

第2回で触れたように、藤沢製本の原点には、創業者・藤澤元己の時代を切り拓く力と、柔軟な発想力があります。だからこそ、「自社ブランドの立ち上げ」という今回のチャレンジには、自らのルーツを取り戻す意味も込められていたのです。

しかし実際そのアイデンティティを、従来の製本事業の中で、会社の隅々にまで浸透させることはできていなかったのだと思います。

もちろん好きな仕事を見つけ、それを丁寧にやっていくことにはどの社員も長けており、利益率向上に向けた改革でもさまざまな工夫ができる集団になっていました。一方で、「今までにないものを自分たちで作っていこう!」という熱量を、製本屋として高めることは簡単ではなかった。すでにいくつか形になったアイテムこそあれ、そこからより多様なアイデアが湧き上がるにはかなり時間がかかりそうだ、と気づかざるを得ませんでした。

「深く考えなくても明日の仕事はある」という時間が長すぎたこと。会社の歴史や創業者の視点を身近な人間、現在の経営陣は浴びてきた一方で、それがより社内全体に広がる仕組みが作れていなかったこと。既存事業での壁に加え、そんな現実もあるなかで、いよいよ私たちは正面から、「藤沢製本のどこを未来に残すべきか」に向き合う必要が出てきました。

(第5回に続きます)


<記事一覧> 

【公開予定】
2023/12/25 第1回第2回
2023/12/26 第3回
2023/12/27 第4回(この記事です)
2023/12/28 第5回
2023/12/29 最終回

株式会社藤沢製本
1963年京都にて創業。学生参考書や学術書など一般書籍の製本請負を主力とし成長。2019年に滋賀工場に本店移転し、出版や印刷・製本業界の枠を越えて新規事業に取り組む。2023年に製本事業から撤退。

(文責:藤澤佳織、構成:佐々木将史