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攻めのアイデアと機械化で、拡大と成長──60年続けた本業を撤退した話(2)

滋賀県大津市の南部、川や田んぼに囲まれた自然豊かなエリアの一角にある藤沢製本。長く学生参考書などの書籍を作ってきた私たちは、2023年11月末に、本業からの撤退を宣言しました。

このnoteは、そんな藤沢製本の歴史とこれからを記す連載です。

今回は、京都で創業した1960年代から、事業拡大を続けた1980年代ごろまでのお話。ここで藤沢の、“強くて、美しくて、使いやすい”本作りのベースができました。

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京都で創業した藤沢製本

藤沢製本の創業は1963年。大学生だった創業者の藤澤元己が、京都・岡崎にあった実家の一角でアルバムの手製本を始めたところからスタートしました。学生運動の影響で授業が受けられなくなるなか、アルバイト先で本作りのノウハウを得ていたことが、製本業に足を踏み入れたきっかけでした。

製本にはさまざまな方法がありますが、その基本の1つが、①大きな紙を2回(8p)あるいは3回(16p)と折り、②それを順に重ね合わせ、③表紙で綴じて背以外の三方を裁ち切る手法です。現代は①を「紙折り機」と呼ばれる機械が、②③を「製本機」が担うことがほとんどですが、当時はそんな便利なものはなく、すべて手作業でした。単価も今のように“1冊あたり”ではなく、“重さあたり”いくらで仕事をしていたといいます。

製本している途中の状態(当時の写真はなく、最近の様子です)

一方で、藤澤はかなり早い段階から、断裁機やプレス機など、機械を使った効率化にも力を入れていきます。それによって広いスペースや騒音を気にしない場所が必要になったこと、また製本そのものの需要が増えていたこともあいまって、1972年、京都・西院エリアの準工業地に移転。有限会社藤沢製本を設立しました。

この時、時代に先駆けて導入したのが「中綴(なかとじ)製本機」です。中綴は、今も週刊誌や冊子でよく見られる、開いた本の中央に針金を入れる製本法。そのラインを作ったことから従業員も増やし、本作りの大規模化に取り組みました。


「時代×地の利×先行投資」で拡大

藤沢製本が事業を拡大していった1960〜80年代は、日本全体で、書籍の販売部数が急激に増えた時代でした。出版科学研究所の『出版指標年報』によると、創業した1963年の販売部数の合計は1億9000万冊ですが、1972年に5億冊を突破。1983年には8億冊を超え、ピークとされる1988年、9億4000万冊にまで到達します。(「取次出荷部数-小売店から取次への返品部数」を販売部数として計算)

またこの時期、藤沢製本が当時本社を置いていた京都では、学生向けの参考書を作る出版社が次々と誕生していました。「学生のまち」とも言われる都市にあってか、学校で使われる教材を開発する出版社も多く、特に第二次ベビーブーム世代、1970〜74年生まれの方が大学に入る1990年代前半までは、かなりの勢いをもって成長を続けた分野です。

そうした時代の流れと地の利と生かすため、藤沢製本は当初から手がけていたソフトカバーに加え、ハードカバーの生産ラインも設けて幅広く「書籍」に対応。それぞれの工程で、次々に機械化を進めました。中綴の時と同様に、「無線綴(むせんとじ)製本機」も関西でもいち早く導入しています。

分厚い本も一度で製本できる、藤沢製本の無線綴製本機

無線綴製本機は、順番に折を横に並べて、背中の部分に糊をつけて表紙を巻いていく機械です。現在もページ数の多いソフトカバーの書籍でよく使われていて、背中を糸で縫い合わせる糸かがり綴(ハードカバー書籍でよく見られます)ほどの強度はありませんが、そのぶん、素早く安価に生産ができます。

これで本を一度に大量生産できるようになったことから、藤沢製本は多くの出版社に声をかけていただくようになったといいます。そして分厚い参考書にも対応できるよう、さらに多くの折を一度に綴じられる新しい無線綴製本機や、業界でも珍しい32p折のできる紙折り機を導入。出版社との直接契約を拡大させながら、独自のポジションを獲得していきました。


“強くて、美しくて、使いやすい”本作りへ

新設備を次々と取り入れ、数年で京都の工場が手狭になった藤沢製本は、すぐさま滋賀にも新工場(建て替えを経て、2019年からは本社工場として稼働)を設立。徹底した設備投資のマインドは、新しい機械の導入のみならず、既存の機械の改良にも生かされました。

たとえば、書店で使うスリップ(売上カード)の、本文への挟み込み。これは通常、別工程で行うものですが、藤沢製本では製本からインラインでできるようになっています。あちこちからの視察で、毎回「見たことがない」と言われましたが、それは藤澤自身が開発したものだったためです。

本体は単体設備であるスリップ投入機を組み込んだ、独自の製造ライン

ほかにも、梱包をできるだけスムーズにできるような仕掛けを機械の出口に組み込むなど、内部での改良を進めた藤沢製本。時代に先駆けた機械化により、たくさんの人手がなくても、習熟した特定の職人だけで安定して本を生み出せるようになっていきました。

またそうした積極的な設備投資に加え、職人がより使いやすいよう細かなセッティングを重ねたことで、私たちのもう1つのこだわりである「高い品質」も実現されていきます。藤沢製本が作る本については実際、拡大をしていった当時から事業撤退を決めた現在に至るまで、ありがたいことに何人ものお客さまから「藤沢の本はきれいだ」と評していただいてました。

出版社からの大量生産へのニーズに、どう応えるかを模索した創業者・藤澤。その発想力、何より「少しでもいいものを、たくさんの人に届けたい」と願う姿勢が、出版社の創業者の方々の目指す先と重なっていたのではと、この時代の勢いを振り返るたびに感じます。

(第3回に続きます)


<記事一覧> 

【公開予定】
2023/12/25 第1回・第2回(この記事です)
2023/12/26 第3回
2023/12/27 第4回
2023/12/28 第5回
2023/12/29 最終回

株式会社藤沢製本
1963年京都にて創業。学生参考書や学術書など一般書籍の製本請負を主力とし成長。2019年に滋賀工場に本店移転し、出版や印刷・製本業界の枠を越えて新規事業に取り組む。2023年に製本事業から撤退。

(文責:藤澤佳織、構成:佐々木将史