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「わざわざ」聞きに行った「ついで」の話

1.テーマ型コミュニティ疲れ
3年ほど前、当時の仕事に拡がりの限界を感じ「まちの声」を聞きたくなり、仕事以外でいろなんな場所でいろんな人の声を聞くようにした。方法としては仕事に関連する「都市デザイン系のセミナー」や「まちづくり会議などテーマ型コミュニティのイベント」に参加をしていた。当時、月1回仕事以外で名刺交換をしようと目標を決め、いろんなところに出向いていった。その中で、自分が何もアウトプットしていないことが嫌になり、2年ほど前から居住地の加古川で月一回、他の地域で面白い活動をしている人をお呼びしてみんなで聴くセミナーを始めた。始めてからも他のイベントに出向いたりしていたが、段々しんどくなり最近はあまり他のイベントに出向いていなかった。

何故かって?それは、そこで繋がろうとする圧力や繋がらないと的な圧力、あなたは何をしているの?的な圧力。僕は元来「シャイ」で「引っ込み思案」だ。そんな人が「わざわざ」イベントに参加してやってます圧力の中では自分が震えてしまう。ただ、その中でも面白い人がいれば、出来るだけ話しかけるようにする。その話しかけるだけでも勇気がいる。基本的にみんなの中で自分を出すのが苦手だ。でも、一対一だとそれなりに話は出来る。なんとも面倒くさい人間だ。

2.「ついで」の発見
話が逸れた。
最近、参加していなかったそういった「テーマ型コミュニティ」に昨日は久しぶりに参加してしまった。仕事を休み、電車に揺られ小一時間。兵庫県の中山間地域にある神河町で「場づくり」というテーマについてのイベント。知り合いが数名お話されるので、興味を持って参加した。神河町は僕の生活圏から全く外れた場所だ。仕事ではお世話になっているので、そういった繋がりはあるが個人的には全然ない。
そんな場所に一人飛び込み「テーマ型コミュニティ」にまみれてみた。
お話はめちゃくちゃ面白かった。

神河町では地域の人たちと古くから食べている「とう菜の巻きずし」を中心としてまちづくりをしている
伊丹市では地域の文化施設と繋がり「虫の音」を通してまちの使いこなしをみんなで考えている
奈良県山添村では「健康」をテーマに「ガソリンスタンド」を起点としてまちの人たちと繋がっている
篠山市では「神社」で自分たちが捕った野菜や特技を生かした「マルシェ」を通じて他地域と繋がっている
多可町では「古民家」の使いこなしをいろんな視点からアプローチし、他地域からの移住を受け入れている
みなさん、地域の人と馴染み「地域型コミュニティ」を作っている。

特に山添村で活動している荏原さんの活動はめちゃくちゃ興味深かった。
イベントに向かう道すがら、さびれた駅前をみながら「田舎の中心は駅ではないな」と思い「田舎の中心ってどこなんだろう?」って思っていた。山添村という田舎で活動している荏原さんは「ガソリンスタンド」を中心に活動している。それは、車社会の中でみんなが生活の一部として立ち寄る場所だから。その立ち寄った「ついで」に健康相談からパソコン相談、市役所とのパイプなどをこなす。その「ついで」を使った活動はめちゃくちゃ自然で、写真を通してみる活動がとても日常に溶け込んでいるように見えた。

3.「わざわざ」と「ついで」の使い分け
僕は思う
「テーマ型コミュニティ」は場を作る人を中心としたコミュニティで、そこには必ず「わざわざ」が存在する。

「わざわざ」話を聞きに行く
「わざわざ」会社を休む
「わざわざ」名刺交換に行く

逆に言うと、その『「わざわざ」さ』が疲れ、いわゆる『イベント疲れ』に発展するのだと思う。
対して「地域型コミュニティ」は地域という枠組みの中で成り立つコミュニティ。そこに「わざわざ」は要らない、「わざわざ」は「疲れ」につながる場合もあるから。「わざわざ」ではなく「ついで」。ガソリン入れる「ついで」に話す。訪れた「ついで」に泊まる。お寿司を作った「ついで」でお裾分け。そこには「わざわざ」はない。あるとすれば心地よい「おせっかい」といったところかもしれない。

まちの使いこなしを日常にしたいと思い「橋の上でワインを飲むイベント」をしたり、常に何かやるきっかけづくりの窓口として「MANABIYA」という月一セミナーをしたり。でも、日常を作るためのイベントでは日常を作りにくいと思った。やっぱりそこには「わざわざ」が介入するから。

「わざわざ」のイベントにどれだけ「ついで」を入れ込むか。

イベントの最後に「場とコトラボ」の中脇さんがおっしゃっていた、「数年後は地域再生といった言葉がダサくなるのではないか?」という言葉。それは「わざわざ」がどれだけ「ついで」に変っているか?だと思った。

そして、地域の自治活動について感じること。
少なからず地域には自治活動があり、ど真ん中の「地域型コミュニティ」だ。そのど真ん中は結構荒んでいる。地域の自治活動に参加する人は少なく、後継者問題や役員の押し付け合い、惰性で続けているイベント。とても上手くいっているとは言い難い。それはそこに「ついで」が介入しないから。「地域型コミュニティ」に「わざわざ」を持ち込み続けると地域が疲れる。その疲れを感じ取らず、さらにイベントというモルヒネを注入しようとする古参の人たち。それでは、余計に地域が荒む。地域の自治活動はあくまで「ついで」の方がよい。「ついで」の中で少しづつ「おせっかい」が介入することで、地域は回っていくと思う。
地域を回すためには「お寿司」や「古民家」など、何かフィルターが必要だと思う。共通のフィルターが「地域資源」であり、まずは共通言語となる「地域資源」から始めないとと思う。

MANABIYAに話を戻すと、MANABIYA自体もどれだけ「ついで」を組み込むか?少しづつだけど共通言語を探しながら「ついで」を作っていきたいと思う。反対に日常の中に溶け込み過ぎた『土木』はイベントを通じて少し「わざわざ」にさせてあげる。

「わざわざ」と「ついで」の使いこなし。

そのさじ加減を気をつけながらこれからは活動をしていこうと思う。

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