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漸進的都市計画とデザイン思考

一応、「まちづくり」と言われる分野の末端で関わった(関わっている?)者として「これからの都市計画とは?」に想いを馳せる時もある。少し本を読んで、何となく自分の中で「これからのまちづくり」的な整理がついているつもりなので、ここに記しておきたい。

1.都市を縮小させるという考え方
人口減少傾向にある現在において、都市は縮退するものとして語られる事が多い。国土交通省の施策である「コンパクトシティ」やその手法としての「立地適正化計画」などがそれに該当する。

ちなみに、もともとのコンパクトシティという考え方は「縮退」というより「持続可能」といった意味合いが強かった。
1970年代、ローマクラブによる「成長の限界」に対して、オペレーションズリサーチの専門家であるダンツィクとサアティが提唱した理論がベースとなっている。しかし、その理論による都市はとても人間らしい生活が送れる都市とは言えないが・・・・)
※環境デザインは進化しているか | 小玉祐一郎
 (リンクサイト後半にコンパクトシティの構想図あり)
 http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/1408/

しかし、都市をたたむという考え方は僕の中でしっくりと来ず、行政が主体的に都市を縮めることについて違和感を持っている。それより、地域が個々に自分たちの課題を解決するためにまちを変えていき、それが都市を形成していく「積み上げ型のまちづくり」に親近感や可能性を感じている。

そんな中、「都市計画変革論 ポスト都市化時代の始まり 小林敬一著」に記されていた【漸進的な都市づくり】がとても腑に落ちた。

※※※

2.漸進的な都市づくり

都市づくりは「物的計画」から「合意依拠」を経て、これからは「媒介型」にシフトしている。その都市づくりを【漸進的な都市づくり】として位置づけられている。


2-1.これまでの都市づくり(1)

【時代背景】
戦後の都市計画における第一ステージとして『物的計画』があげられる。
高度経済成長期に膨張する都市を規制・誘導する方策として都市計画法の中で区域区分や都市施設など、『モノ』を中心として計画が出来上がってきた。

【公共空間の質】
この時代、僕の中では成長=正義、幸せ=成功という構図が成り立っていて、人間が最低限必要とする環境を整えている時期だと思っている。
それを「人間の街」(ヤン・ゲール著)に記されている”屋外空間の質と屋外活動の関係を示す様式図”の中では、低質な環境の時代ではないかと思う。
まだまだ、『モノ』が不足しており、モノの『量』を主眼に置き、人は生きるために必要な活動に主眼が置かれている状況だった。そこには任意の”嗜好”による活動、すなわち物の『質』に対する意識が希薄だった時期と思われる。(だからと言って、不幸せかというとそうでも無いと思うが・・・)

【都市計画のモデル】
そんな時代の都市計画では区域区分、用途地域、都市施設の決定などモノとモノをつなぐ計画がマスタープランとして策定されてきた。


2-2.これまでの都市づくり(2)

【時代背景】
次のステージとしてあげられるのが、『合意依拠』型である。
社会に「モノ」が行きわたりはじめ、「モノ」から「コト」・「量」から「質」に推移してきている時期だと考えられる。
成長=正義、幸せ=成功という一様の考え方が先鋭化すると、そこからあふれた人は社会から疎外され、却って生きづらくなる。いじめや自殺が広く報じられ、計画的な犯罪から突発的な犯罪が多くなるなど、社会のひずみが顕在化してきた時期だと思う。社会のひずみに対し、人々が何かおかしいと考え、社会に対し意見を述べていくようになる。社会としても一様な考え方での成長に行き詰まり、多様な声を必要とし、その声を集めて社会に反映させようとしていた時期だと思う。ただ、その集め方は声を発する者の目線ではなく聞きたい声に特化した集め方なので上手くいかなかった。
社会にあるモノの豊かさに人の中にある心の豊かさが着いていけていない時期だったのではないか?
「質」や「コト」に対してアプローチしようとすれば、おのずと地域住民の意見を取り入れる必要があるが、一様でない意見を包含するには無理があるし、都市自身に多様な意見を受け止める隙間はいまだ備えていなかったのではないかと思う。

【公共空間の質】
”屋外空間の質と屋外活動の関係を示す様式図”では低質から高質への移行期と考えられる。それは、各個人の趣味、嗜好が尊重され始めた時代であったと思う。

【都市計画のモデル】
そんな時代の都市計画では市民の声を反映する市町村マスタープランが作成されるようになった。それは、コトとコトを計画書でつなぐ作業であり、市民の声を反映させようとする取り組みだったと思う。
ただ、コトは常に変化をしているが計画書という変わらないモノでつなぐのには無理が生じ、マスタープランが十分に機能しているとはいいがたい状況となった。


2-3.これからの都市づくり

【時代背景】
これからのステージとしてあげられるのが、『媒介型』である。
これからの都市づくりはコトの時代
成功は幸せではなく、個々の中に幸せがあり多様性を尊重する時代となった。そのなかで少しづつ都市も人も多様性を許容するようになり、その隙間を見つけては、楽しむように活動を起こしていく人たちがいる。その人たち同士を繋ぎながら、少しずつ自分たちの暮らしを良くしていく。それが媒介型の都市づくり。そのため、都市に一定の方向性を示すのではなく、多様性を許容するインクルーシブな社会の『しくみ』を必要としている。

【公共空間の質】
”屋外空間の質と屋外活動の関係を示す様式図”では高質な空間、つまり任意な活動へスポットが当たってきている。興味あるモノへの探求が強くなり、AIが社会を支えるツールと呼ばれ、ベーシックインカムについて語られるようになったのも、趣味・嗜好を尊重する時代の現れだと思う。

【都市計画のモデル】
高質な都市環境を作っていくにはコトとコトを人がつないでいくことで担保される。ここでいう「人」とは地域のおける「マネージャー」であり、長期間において各地域の価値を高めようとマネジメントを行う人である。


2-4.まとめ
それぞれの考え方を「都市計画変革論」では目的や手段に着目してマトリクスにしてあった。

「合理主義」から「手段主義」そして「漸進主義」が望まれる時代となってきた。

『手段主義』
未だに行政や企業、既存の価値観にとらわれる人に多いのが手段主義。基本計画や基本構想と言いながら、何をするか実施の内容まで事細かに書いているパターン。それは基本構想ではなく希望構想。こうしたいという企画者側の思想が色濃く、細部まで行きわたっているため、受け手であるユーザーの意見が反映されない。

『漸進主義』
地域で活動している団体、一部の行政でみられる手法。大上段から構えるのではなく、少しづつ出来るところからスタートし、積み重ねることで大きな成果をもたらす。そのためには、趣味・嗜好や統一的なイメージなど一気通貫した想いが無いと続いていかない。

※※※

3.可能性を顕在化させるデザイン思考

漸進主義の媒介型都市づくりを進めるためには、先に書いた通り『しくみ』つまり、システムが必要である。しかし、多様な意見を受け止めるシステムは一つではなく多様であるべきだと思う。そのシステムを構築するためにはデザイン思考が必要だと僕は思っている。

デザイン思考とは顧客目線でデザインを進める手法。僕が常々言っている『つかうために作るを考える』を体現してしまっている。
なので、あまり大っぴらに言ってはいないが、僕はこの『デザイン思考』という考え方が大好きだ。

デザイン思考とは人の中にある『暗黙知』をアイディエーションにより表出化し『形式知』に置き換える。その後、形式知が本当に形式知足りえるか?プロトタイピングにてモデル化してみる。モデル化した形式知が実際に人の感性に落とし込めるか?ストーリーテリングを行う。その中で、新たな暗黙知が落ちていないか探し求める観察・洞察を行う。

その繰り返しのスパイラルアップでさまざまなものを生み出し、システム化していく。それを回すエンジンは『楽しい』という本能。元来、人間は本能で生きてきた。その本能の中で様々な知識を発見し形式化していった。
道具に始まり、住居、まち、宗教、コミュニティ、社会、組織、化学・・・
すべてが本能的な行動から形式化していった結果であり、理論は後付けでしかない。

ニュートンの万有引力もまさにそれだ。
『リンゴが落ちる』
から始まった万有引力の法則は人類を宇宙に送り出し、さまざまな星を探査するまでに至っている。

※※※

4.まちを楽しむ、まちをデザインする

まちは「僕たち」のものであり、一部のものでもない。一部のものでないなら、「僕たちだけ」のものでもない。だからこそ、一部の人に頼らず自分たちのまちは自分たちでデザインする。

それも続けるためには飛び切り楽しく!

「僕たち」は「あなたたち」であり「みんな」である。しかし、僕は「僕個人」であり「あなた」ではない。

そんな人を括らず、纏めず、繋ぎ、尊重するインクルーシブな関係性を大切にしながら、デザイン思考を頭の片隅に置いておき、いろんなまちの可能性を試していきたいと僕は思う。


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