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焼き芋


「いしや~~き~いも~~~おいも~~~~」

黄昏の集合団地の中に、初老の男性の声が響く。
ノスタルジックと言えば聞こえは良いが、時代に取り残され、コンビニは車で行けば何分、などという具合の田舎である。夕方の時間帯でも公園に子供達の姿はない。
建ち並ぶ五階建ての公営アパートには、スーパーと病院に通うのが趣味の、定年を過ぎた老夫婦ばかりが住んでいるらしい。
そんな彼らが石焼き芋の声に反応するはずもなく、スピーカーから流れる初老の男性の声はスムーズに遠ざかっていった。

そんな場所に戻ってきてしまった。数週間前と比較すると、とんでもない落差である。

私は東京で、誰にも知られているような証券会社で働いていた。
この公営住宅に住んでいる老人達でも名前くらいは知っているだろう。多分。

私の職場では、同僚も上司も、仕事で命を削ることに対して何の抵抗も無いようであった。

けたたましいアラームに重い身体を起こし、寮を出る。
職場まで一時間かかる電車で見知らぬ男女とおしくらまんじゅうを繰り広げ、ようやく職場へ着く。
日中は「お客様」と呼ばれる金のなる木に媚びへつらい、渋い顔をされる。
会社に戻ってからは終電を過ぎるまでパソコンとにらめっこを続け、一切笑わないパソコンに負けて帰ってくる。

何でこんなことをしているのだろうか、とベッドの中で毎夜思いながらも3年は耐えてきたが、とうとう命を金に換えることができなくなった。恐らく、会社にいる彼らよりも命の残量が元々少なかったのかも知れない。

パニック障害とやらで、身体が思うように動かなくなってしまった。電車に乗れば動悸が止まらないし、パソコンの画面と向き合えば吐き気がする。

そんな状態で働けるはずもなく、パソコンよりも笑わない仏頂面の上司は、あくまで事務処理の一つであるかのように淡々と休職を勧めてきた。
「ゆっくり休んで、また働けるようになったら戻ってきてくれ」とは言われたが、何せパニック障害になった原因が仕事なのだから、復活して戻ってきたところで元の木阿弥である。
恐らく上司も、すぐ私が戻ってくるとは思っていないのだろう。私で発生した欠員は補充されるという話も聞いた。
休んでいても、給料はこれまでの基本給の七割が貰えるらしい。七割でも贅沢せず暮らすには困らない金額であるが、そんな金にも今の仕事にも既に興味はなかった。

「大変有り難い話ですが、退職でもいいですか」
仏頂面が「おう、そうか。どこか次があるのか」と聞く。
取り留めもない会話の一種だろうか、多少は心配してくれているのだろうか。
「いえ、特に無いです。一旦地元に戻ってゆっくり考えます」と私。
すると上司はクリアファイルから紙を取り出し、私の前に置いた。
「分かった。退職時の手続きはこのリストにある通りだ。あと2週間でやっておいてくれ。何か分からなくて困った時は庶務担当の人にでも聞いてくれ」
退職時のリストが既に印刷されていたということは、私の退職はある程度予測されていたものだったのだろう。
先ほどのものはどうやら見かけばかりの気遣いだったらしい。

そうして退職が決まった。

この会社への就職が決まった時は両親も喜んでくれた。それだけで私も嬉しかった。
別に両親のために働いているわけでも無かったが、両親の悲しむ顔を見たくはなかった。
葛藤に葛藤を重ねたが、このまま働いていても己の身で快速電車の前に立ちはだかり、電車のダイヤを乱すことになりかねない。
そんなことになれば両親が悲しむだけでなく、大量の人間の顰蹙を買ってしまうことになる。
何だそれ、と言われそうであるが、それだけは嫌だった。
おしくらまんじゅうの延長戦は、東京で働く人が何より嫌うものである。

東京から飛行機で2時間半。その後高速バスで2時間。そこから更に路線バスで20分。
そうしてようやく、生まれ育ったこの集合団地へと戻ってきた。
この土地には仏頂面の上司も、電車のおしくらまんじゅうもない。それだけで少し気が楽になった。「早く孫の顔が見たい」という親も、多少面倒ではあるがこの際どうでも良い。
何より、彼女が仕事そのものであるような状況では孫などできない。
その状況から脱しただけでも勲章ものだと勝手に思っている。

……とはいえ、このような形で地元へ戻ってくるのは不本意でもあった。どんな顔をして家に戻ればいいのか分からなかった。
大きなキャリーバッグを横に置き、公園の錆びたブランコに座って一人佇んでいると、焼き芋を勧める初老の男性の声が不意に近づいてきた。
団地は2周目に入ったらしい。空港で買った緑茶も既に冷め切っていたし、近くに自動販売機も無い。
焼き芋なら身体も多少は温まるだろう、と歩道まで出て、手を挙げる。
白い車が止まり、運転席から初老の男性が出てきた。

「兄ちゃん、こんなとこでどがんしたとや(どうしたんだ)」
「実は東京での仕事を辞めて、実家へ帰ってきたんです」
「そうやったんか。おいも実は昔東京で働きよったとけど、身体壊して戻ってきたとさ」
「そうだったんですね。あ、焼き芋一つお願いします」
「はいよ。兄ちゃんの帰省を祝って、大きかやつ、一本サービスしとくばい」
「そんな。申し訳ないです」
「よかよか。いっぱい食べてまた働いて、おいの年金の分しっかり稼いでくれんば」
「ははっ。そうですね、ありがとうございます。ありがたくいただきます」
仕事を辞めて戻ってきた男に向かって「また働いて」というのは多少無神経ではないか、とも思ったが、田舎というのはこんなものである。
無遠慮で、よく知らない人間とも距離が近い。

男性はまた車に乗り込むと、一定のリズムで石焼き芋を大声で勧めながら遠ざかっていった。
私の両手には茶色の紙に包まれた焼き芋が2本。これじゃキャリーバッグも持てないな、と思うと、不意に笑いが込み上げてきた。
せめてビニール袋くらい貰えば良かった。

今なら、実家にも帰れそうな気がした。
孫も妻も仕事も無いが、この焼き芋だけが両親への土産である。

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