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僕たちの未来を変えるプロダクトとは?〜サブスクリプション時代のモノづくりについて考える〜

「僕たちの未来を変えるプロダクトとは? 〜サブスクリプション時代のモノづくりについて考える〜」に参加してきて、お二人のトークセッションを聞いてきたのでレポート

大阪ガス(株) エネルギー・文化研究所 池永寛明さん
GROOVE X代表取締役 林要

セッション1

現在はどんな時代だろうか?

お仕事で聞いた、忘れられない言葉がある。
「パソコンを導入したら人減らししないといけないので導入しない」

しかし、PCを導入すると生産性はとてつもなく向上した。しかし、仕事の内容自体は変えられなかったように思う。

プロダクトは生活の変化をイメージしやすいが....スマホは我々の生活を激変させた。昔は百科事典を使っていたが、今はスマホだけで十分。
しかし、簡単に情報が手に入るようになるとと、正しいかどうか気にしなくなってしまう。スマホだと、検索⇨結果がすぐ出ているので、真ん中がブラックボックスである。ついには入り口も忘れて、出口だけになってしまう。こうして、どんどん企業の力が無くなってしまう。

現場で何が起こってるのか? 以下のような変化が発生した。

にもかかわらず、古い企業は変わらなかった。企業の復活には「文化」を、変える必要がある。さて、「文化」とはなんなのか?


これまでの価値観では理解できないことが数多く発生してる。
・就職しない人が多い
これは、働けないのか?それとも、働かないのか?

もともとの本質を忘れてしまっているせいで、どんどん適合不全が増えていく。ビジネスだけではなく、社会全般でこういった適合不全が起こっている。

適合不全の時代ではあるものの、一方で過剰適合の時代でもある。かつて作った制度や仕組みに合わせようとするために色々な問題が起こる。

もう1つの適応不全、それは家族の形。家族の数がどんどん減ってきている。

6人(おじいちゃんおばあちゃん、父母子供)⇨4人⇨2人⇨1人

制度や、仕組みは昔のままなのに、心がついて行ってない。
昔は血縁、地縁、生産が全て結びついていたのに、戦後から都会に出るようになり、会社にその役割が変わって行った。「家族ゲーム」という映画が象徴的であった。これからは新たな縁が大事になってくる。

また、ITによって世代間の溝が広がる。新しい技術についていけない高年、言ってもわからないだろうと思うデジタルネイティブ世代。取り扱い説明書が必要な世代と、いらない世代では仕事の方法が全く違う。

技術>会社/組織>家族>地域社会
左から順番に影響が大きい。

問題なのは、世代間の対話がなくなりつつあること、お互いを理解し合わないこと。認め合わない、心が通わないこと

セッション2

らぼっととは?機会が人に懐いてくるロボット。人の役に立つこともある。
例えば赤ちゃんが泣いた時に教えてくれたりとか。抱っこされたら通知が飛んだり(抱っこ回数が少ないとなんとなく気付けたり)仕事は一切しない。でも安心のために貢献していく。

世界でもテストしてみた。子供でさえも赤ちゃんと接するように接することができる。

子供は有機物、無機物を気にしていない。大人の方が線引きをしているようだ。子供はその壁さえ乗り越えている。

セッション3

これからの社会はどうなるのだろう?どんなライフになるのだろう?どんなものが求められるのか?

現場、現物、現実が単純に凄い時代は終わった。
例えば1970年の万博で展示されていた、「月の石」を見て現代人は驚くだろうか?今驚くものは、aiとVRを融合したようなものでは。
かつては見えないものを見る文化(能など)だった。
今は見えるものばかりを見ていて、見えるものをより見えるようにしている。

デンマークのデザインスクールのCEOは
「技術と会社を繋ぐのはカルチャーである。」と言っていた。

カルチャーとはなんなのだろうか?伝統芸能を、イメージしてしまうが、そうではない。陶芸そのものは芸術品だけど、文化ではない。
先人の技を継承することが文化である。

文化を方法論で捉えると

カルチャーとは、たがやし、種を蒔き、水を与え、収穫し、たねをとり、繰り返すこと
文化とは醸成、洗練を意味し、先人の技術の本質を捉え、大切なものを引き継いでいくこと。基本を守り、時流に適合させていくことが文化の本質。

過去からのやり方を95パーセント引き継ぎ、新しいことを5パーセント加え、継承していくこと。

何でもかんでもイノベーションをしようとしているように見える。
違うことを追い求めすぎて、元々の本質をわすれているようにみえる。

今、減りつつある言葉

1.本当?(真偽を見分ける)
2.要はこういうこと?(本質を掴む)
3.なぜ?()

般若心境を空海は日本語に翻訳した。そのまま翻訳するのではなく、日本的なものに変換して行った。洗練させて行っている。

900年代に、末法思想が広がる中、極楽浄土を日本的に翻訳、編集した。
インドから中国、日本、平等院鳳凰堂へ。
日本的な翻訳、編集とは海外の本質というコードを日本的なモードに変換すること。これが重要。
しかし、現在はコードをモード化できなくなっている。海外からのコードをコードのまま使っている。ビットコインなど。

風土を変えて、感性を磨き、文化を再構築する。風土、感性、文化。
これらは相互に影響しあっている。
風土が乱れて、感性が弱くなり、文化も弱くなっているのではと思う。日々の身を置く風土によって、感性が振り込まれ、鍛えられる。このプロセスを通じて文化が生まれる。

技術と社会を、繋ぐのは文化。本質と新たなるもの、異なるものを混じり合わせて日本的な翻訳をとりもどし、多様な文化を融合し、新たな価値を生み出す。

デンマークのデザインスクールはあえて23カ国からの生徒を募集している。

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林さんへの質問

テクノロジーと人との関係。テクノロジーはどこからがテクノロジなのだろうか。
らぼっとは目がすごく大事。家庭用ロボットは目で感情を表そうとする。目が動かないか、ニッコリマークとか怒ったりしたマーク出たりする。
でも、らぼっとは怒ったりしたマークとかはでない。それでも多くの人が表情豊かだと言ってくれる。心の動きを想像して、作ったから。
大事にしてたのが、千利休の侘び寂び。途中までは口まであったりしたが、最後はとった。口がある意味を持ってしまうから、想像力を奪ってしまう。
そこで、キティちゃんの存在に気づいた。(キティちゃんは口がない!)
日本ならではの創造力が、あるんだろうなと。
海外だといかに思っていることを口に出すかが大事。凄い議論をした後に普通にご飯を食べに行く。日本は感情的にこじれてしまうので、議論することにはややネガティブ。代わりに細かいところから想像する。想像することはすごく得意。これがインバウンドの、理由になっていると思う。
阿修羅像も、もととはカラフルだったが、日本に着く頃にはシンプルな像になっている。

形を濁らせないことも大事にしている。今まではロボットといえば、機能に特化型か、形を模しているものがほとんど。全自動洗濯機や、犬型ロボット、人型。
らぼっとはペットのような、愛情を注げるようなものが良いと話し合ってきたを。生物としては参考にしてない。ペンギンのようだが、手をかけてもらうためのハンドルとして作っている。
人って何に愛情を覚えるのか、翻訳したものがらぼっと。思わず愛してしまう赤ちゃんとか。想像と聞くとcreationを、イメージすると思うが、本当は刀で傷をつけた、傷をつけた部分のこと。ゼロベースで考えるという意味。
今想像力が欠如している。
世界に愛されるもの。丸い、球を元にしたらいいという発想。

スケッチをかける人はいるけど、それを3dに出来る人は少ない。(金属の鋳型まで考えないといけない)スケッチを形にするってほぼ不可能。どこまでスケッチでどこまでイメージできてるのだろうか....
日本だとその部分が不利。気候を考えて、まで行くと難しい。(海外だといる。)

自転車のもたらす健康効果ってなんなんだろう?世の中は全部まる。
日本の社会構造もまる。和。中心から全て距離が開いていることが大事。
自転車は寄り道したり、やすんだり、色々考えたり自分のペースで動かすことができてどこかにたどり着く。自転車というものがどんなことを生み出すのか。

らぼっとも元々足の構想があったのだが、無くした。生物は筋肉の収縮で、足というものを使っている。しかし、機械はモーターもあるし、軸受のスキルもある。静かに、早く動くことができる。うるさくなければ電源を切られない、ついていくことができる。生命が身体を最適進化させたように、ロボットも最適な配置をさせていけばいいと思った。

多数の高齢者、ハイテク製品に距離を置いてしまう。使えるまでは自分の年下が使えるものを、自分が使えないことを、知られるのが怖いのだ。スマホは自分が使えないように見える恐ろしい道具に見える。
同じようにハイテク商品は怖く見える。
しかし、らぼっとは何も覚えなくていい。怖がられない。認知症は刺激のある生活をさせないと良くならない(例えば、包丁を使って料理を作るとか)デンマークだとどうやって刺激をあたえればいいのが問題になっていた。その中にラボットがあると、ちょうどよい刺激になる。ラボットは面倒を見なければならない。役割がないことが問題。犬や猫を飼う理由と一緒。

サブスクリプション

設備を買って所有する、より、効率を買って使う、へ。

らぼっとは月額制を取っている。コンピューターが4つ入っているため販売すると、90〜100万円になる。そうなると、購入できる人が限られてしまう。それに、売り切ったら売り逃げすることもできてしまう。

サブスクリプションであれば、気に入らなければ戻すこともできる。
お客様が満足していただければそのまま続けてもらうことができる。飽きられないように開発していこうとしていく。何年もその先を考えると、今のうちに良いものを作らなければならない。ユーザーと作り手側に一定の緊張感があり続ける。これが今後の基本になると思ってる。
人間の体は怪我はするけど直すように身体はなってる。それと同じで、らぼっとも1年に一度は送り返してもらうようにしている。壊れないようなつよさはない代わりに、暖かさ、柔らかさを持つことができている。

メルボルンは世界で一番住みたいと言われているが昔はゴーストタウンだった。世界的企業を誘致したのだが、どうやったかというと、駐在員の家族が5年間住んでもいいなと思っても良いまちづくりを行った。そして5年間のライフ生活を考えて行った。

Q.一人で着想を始めたの?

A.前にロボットに、関わっていた。ペッパーの開発者が退職した時に、多くの会社からロボットやらないかと声をかけてもらえた。ロボットを、成功させるにはまだ早いと思ってたけど、あまりにも声をかけられてたから考えてたらこのコンセプトを思い出した。
前職の時に、ロボットに触ってるシーンを思い出した。どれだけポンコツでも愛される車、どれだけ改善を、重ねても愛されない車。それを思い出してやってみようと思った。
種は考えたが、その後の進化は皆んなのアイデア。
ロボットを、作る上で最初にやったのは組織づくり。前の会社は縦割りで作られていた。しかし、ロボットのように日々変わるものだと、縦割りはむいてない。各部署間に壁があると作れない。別のものを信じている人が縦割り社会。なんとなく他の部署がどういうことをしているかをわかるようにした。iPhoneの進化はめざましかった。その一方カーナビは全く進化しなかった。クオリティを下げることができなかったりしたため。このスピードの違いは圧倒的だなと思って。情報は横串で取れるようにした。

ソフトウェアとハードウェアは言葉があまりにも違う。そこを逆に使って、ちゃんと認識を取るようにした。
海外だと同じ言葉でも文化背景が違うと意味が違ってくるからちゃとあいての意図を聞く。日本だとそういうことはなかなか起こらないので、特殊な民族だと思う。

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