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『明け方の若者たち』をただ語る

先日、発売当初から話題になっていた、カツセマサヒコさんの『明け方の若者たち』を一気に読み切った。
なんというか、この本を読み進める中で、私の“心の奥の触られたくない部分”をギュッと掴まれた気がした。

その理由はなんだったのだろうか?簡単に残しておきたいと思う。

ちなみに、以下はネタバレを含む感想文なので、これから読まれる方はUターンをお願いします。

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①鮮やかで細かな描写

とにかく情景描写が細かい。
これは、読み始めてから最初に感じたことである。
私は東京生まれ東京育ちの人間なので、ある程度地名を聞けば、「ああ、あの街ね。ふんふん。」なんてイメージできるけれど、読み手が全員東京人という訳ではない。
そういった人にも鮮明にその場を思い描かせるような描写力を感じた。

また、そうした描写力で物語に引き込まれるだけではなく、時には現実に戻される。
中盤の「指」のシーンだ。
正直あのような表現が私は苦手なので、そこだけはさらさらっと読んでしまったが、あのシーンでグッと現実に引き戻される人は多いのではないだろうか。
日常の中に潜む「非日常」を描くことで、より現実味を帯びた物語になっている気がした。

②最後まで謎に包まれた「彼女」の存在

この物語のキーパーソンである「彼女」。
彼女は特段美人に描かれているわけではないが、人を惹きつける魅力を常に醸し出している。それは、ファッションであったり、彼女から発せられる言葉であったり、仕草であったり、様々だ。


そして、読み手を惹きつけ、最後まで謎のまま消えていく決定的な理由がある。それは“名前がわからない”こと。読み進めていくうちに気付いたのだが、最初の登場から彼女が去るまで、一度も名前が出てこない。
そして、同様に“僕にも名前がない”。
この二人だけがまるで切り取られた世界の住人のようで、しかしながらそれこそが、現実感を深めているのかもしれない。
“僕”と“彼女”の名前がないことは、読み手に自分の気持ちを呼び起こさせているように思う。

③音楽による臨場感

この物語には度々音楽が登場する。

印象的だったのは、
・innocent world(ミスチル)
・エイリアンズ(キリンジ)
・ロストマン(BUMP OF CHICKEN)
の三曲。

この名曲たちの出番も素晴らしい。
特に好きなのは、ロストマンのシーン。
親友の尚人と飲んだ帰り道、電車で降りる駅を乗り過ごしながら、永遠にロストマンがリピートされる。
このシーンを初めて読んだ時、主人公の焦りや悲しみ、嫉妬のような、ぐちゃぐちゃしていて、それでも清々しいような、そんな気持ちが流れ込んできた。新しいステージに踏み出す前の整理の時間というか。

私自身、わざと電車を降りそびれたり、乗り間違えたりすることはないが、なんとなくその気持ちがわかる。帰りたいけど、帰りたくないような、迷子になってしまいたいような瞬間。泣きたいわけではないけれど、うまく笑えないような、そんな気持ちにさせられた。

④“僕”の年齢に近い

最後に、おそらくこの主人公との年齢が近いであろうことも、この本に魅了された理由であると考えている。

音楽の趣味もそうだし、主人公の年齢的にも。

最終章に出てくる「マジックアワー」という言葉。この言葉が腹落ちしたのは、きっと私だけではないはず。

働き始めて2〜3年目。自分のことを思い返してみると、確かにマジックアワーだったのかもしれないと感じる。

学生時代よりはお金があって、でも社会人としては若くて、同期とも学生気分で遊ぶことができて。大人と子供のちょうど中間というのかな。

今、あの頃のように遊べたらそれはそれで楽しいだろうけど、中々そうも行かない。年齢的なことも含めて。

ただ、今は今で別の楽しみ方があるし、それでいいと思っている。その年齢でしか味わえない楽しさというのは、これからもきっとあるだろう。

少し話がずれたが、この主人公の、大人になりきれていない微妙な感じが、読み手の心を揺さぶるのだと思う。
恋愛から仕事まで、人生の全てにおいて、もがき続けて、どん底に落ちながらも光を探そうとしている。
それが、この『明け方』というタイトルにつながっているのかな、と一人で納得した。


そんな若者の「もがき苦しむ姿」を、様々な角度から描いたこの物語の終わり方が、私は好きだ。


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