衛生要因を考える

先週の投稿では、「内発的動機付けが外発的動機づけに変わる時」というテーマを数回にわたって取り上げました。金銭的報酬という外発的動機づけは、継続的に働きがいを高める因子としては限界があることを考えました。同コラムをご覧くださった方から感想もいただいたのですが、今日はそのことをテーマにしてみたいと思います。その感想というのは、次のような内容でした。

~~賃金が「衛生要因」に過ぎず、働きがいを高める「動機づけ要因」に最終的にはならないという点、その通りだと思う。そして、このことは、賃金だけではなく、仕事の中身以外のすべてのことに当てはまるのではないか。~~

まったくその通りだろうと、私も思います。

「整備されていないとメンバーが不満を感じる」ものの「整備されていても満足につながるわけでない」要素である衛生要因は、賃金以外に「対人関係」「理性的な上司の監督」「福利厚生」「適切な休日」など、仕事自体に関すること以外のほとんどが含まれます。そして、これらの衛生要因の要素は、「働きやすさ」を高めるものであっても最終的に「働きがい」を高めるものではありません

例えば、コミュニケーションがとりやすい同僚と同じ職場で仕事ができる安心感は、私たちにとって重要です。しかし、そうした対人関係も働きやすさを高めてくれることまでです。もしも「わたしは、あなたが職業人として大成するのを見届けるために生まれてきた。私のキャリア人生はあなたそのものだ」と言えるような人が職場にいれば、その人との関係性自体が自分にとっての働きがいになるかもしれません。しかし、普通そのような人など存在しません。他者との関係性は、衛生要因を満たすものでしかないわけです。

以前、昭和世代の方から「自分たちが会社組織で主力だった頃は、労働時間も長く、がむしゃらに働くのは大変だったが、マネジメントはある意味シンプルですんだ。社内運動会と飲みニケーションに力を入れておけば、それでうまくいった」という話を聞いたことがあります。これはこれで示唆的ですが、前提条件をおさえておく必要があるのではないかと思います。

当時の企業を取り巻いていた一般的な環境は、例えば以下のように想定できます。
・多くの企業が、社会全体の経済発展につられて発展していった。ビジネスモデルも強固な企業が多く、先が読みやすい状況にあった。「この先何年頑張れば会社の規模は倍になる」など成長モデルが社員にとってもイメージしやすかった。

・そうした環境では例えば、「この仕事を何年続ければ自分も認められて昇進する」=動機づけ要因のひとつになりえる「昇進」が、自ずとイメージしやすい状況だった。

・会社組織の中にいる人材も、同質性が極めて高かった。よって、本来どんな動機づけ要因にどれだけ働きがいを感じるかは個人差があるものだが、昇進、承認など求める動機づけ要因の度合いも種類が似通っていた。そして、勤続し続けるだけでそれらを自ずと職場で享受できた。

・賃金という衛生要因は、経済発展の中で自ずと満たされていた。休日という概念があまり発達していなかったため、十分な休日がなくても衛生要因欠如とは認識されていなかった。そうした環境下では、衛生要因の中で最大の変動要素は、対人関係であった。よって、上司は運動会や飲みニケーションを頑張ることで、衛生要因の問題はほぼ解決できた。衛生要因の問題を取り除けば、上司が改めて言うまでもなく、社員は昇進や承認などの動機づけ要因を自ずと認識できた。

上記の環境の前提は、今ではほとんど当てはまりません。会社の継続・発展可能性は読みづらく、「何年頑張れば昇進」なども読めません。また、社員が仕事に求めることも多様化したため、昇進が動機づけ要因になるとは限りません。休日以外にも例えば、従来は問題視されにくかった衛生要因のひとつである「監督・監督者」も、ハラスメントの概念が浸透したことで問題視されやすくなっています(これはよい変化と言えますが)。

よって、「社内運動会や飲みニケーションが無駄である」「社内運動会や飲みニケーションにソリューションを求めたのは幻想だった」などと捉えるのは、本質ではないでしょう。

効果がないわけではなく、社内運動会や飲みニケーションに効果はあるのだと思います。ただ、マネジメントの問題を解決する上でソリューションとしてもたらすインパクトの大きさが、環境の変化により大きく後退したと捉えるべきでしょう。それらだけでは軽減されない衛生要因の要素が増えたり、衛生要因さえ満たせば動機づけ要因を自ずと認識できたりする環境ではなくなった、というのが、本質ではないかと思います。

そうした今の環境下にあって、「家族的な風土づくり」「対人関係の問題解消」など、働きやすさに関する取り組みを熱心に進めているところもあると思います。それはそれで好ましいことではあります。そのうえで、「働きやすさを高める取り組み」であるはずのことを「働きがいを高める取り組み」と定義してたいへんなエネルギーを投入しているとすると、働きやすさと働きがいを混同した迷走の結果に行きつく可能性があると思います。

<まとめ>
飲みニケーションは今でも有効。ただ、有力なソリューションとしての存在感が低下しただけ。


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