「石の上にも三年」は有効か
5月16日の日経電子版で、「高田明さん 使命と自分の人生が重なるまで続けよう」という記事が掲載されました。ジャパネットたかた創業者の高田明氏が、自身の新人時代を振り返り、今の新人に送りたいメッセージを記事にしているものです。サラリーマン生活はとても鮮烈な思い出として残っていて、「瞬間瞬間、目の前の仕事に一生懸命に向き合っていれば必ず己の財産になる」と言います。
同記事を一部抜粋してみます。
今を生きる私たちに対して、とても示唆的なメッセージだと感じました。「コスパ」の「コスト」要素の中でも、時間に焦点を当てた「タイパ」なる言葉が出てきていると聞きました。「その時間をかけるに値する価値があるか」を追求するタイパ発想で取り組むことの取捨選択を即決する視点が有効な場面もあります。一方で、上記示唆のようにタイパ発想とは一線を画してとにかく取り組んでみることが有効なこともあるのだと思います。
同メッセージを、ここでは「計画的偶発性」と「価値観型」をキーワードに、考えてみたいと思います。
キャリア理論で代表的な考え方のひとつに、「計画的偶発性理論(プランドハップンスタンスセオリー)」というものがあります。「キャリアは偶発的な出来事を積み上げた結果でもある」とする考え方です。下記にAllaboutの説明記事を引用してみます。
「成功するのに目標はいらない! (平本相武氏著)」という書籍があります。同書では、「自分軸」を「目標」に代わる成功のキーワードとするとよい、「自分軸」が、自分がもっともワクワクできる「やる気の素」になる、と説明しています。
ある人は将来の「ありたい姿」(行き先)を想像することが、別のある人は「自分らしさ」というこだわり(理由)を満たすことが、その人にとっての自分軸になり得るという考え方です。そして、ありたい姿を追う人を「ビジョン型」、自分らしさを満たすことを求める人を「価値観型」と、自分軸をざっくり2つに分類しています。ビジョン型は、「○○にたどり着きたい」と思ったほうがやる気が出る人です。価値観型は、「自分自身にとって大事なことで1日1日を過ごしたい」と思ったほうがやる気が出る人です。
(勝手な想像で恐縮ですが、イメージとして)高田氏の「あまり将来のことを深く考えずに進んでしまう」といったエピソードからは、「価値観型」をベースにしながら、「計画的偶発性」の考え方で、仕事での日々の偶発的な出来事をうまく自分の力として吸収しキャリアを開いていった姿が想像されます。
上記書籍の示唆の通り、「価値観型」はキャリアに対する向き合い方のひとつであって、すべてではないと思います。例えば「ビジョン型」をベースにして、将来に到達すべき地点を目標として明確に設定し、そこに向かうための最善の方法をわき目もふらず進み続けるキャリアの向き合い方もありだと思います。そのうえで、以下の視点がポイントになってくるのではないかと考えます。
・キャリアの向き合い方にひとつの正解はない。自分なりの向き合い方を見つければよい。
・どのような向き合い方であっても、自分のやっている仕事のミッションと自分の人生とが重なっていることが大切。
・当初からそれらが重なるとは限らない。石の上にも三年の気持ちで、まとまった期間集中することで見えてくる重なりもある。
既に自分のミッションが見つかった人や、ビジョン型で自分の進むべき道を明確に定義できている人は、自分が望まない3年間を待つ必要はないかもしれません。また、自身の心身の健康状態を明らかに危機に追い込む環境下で待つのもよくないです。
しかし、それなりの就業環境で仕事ができていて、まだ自分のミッションが見つからない、自分の人生との重なりがわかっていない場合などは、日々の出来事から学びながら試行錯誤し、経験を重ねる時間にも価値があるということを、再評価してもいいのではないかと思います。
組織活動を営む以上、担当する個々の仕事の選択には限界もあります。純粋に「自分発で選ぶ」選択に加えて、「これもやってみないか」と組織が推奨してきた仕事(偶発的な出来事)に肯定的に向き合おうと自己決定し取り組むことも、キャリアづくりでは有効だと思うわけです。有意義な経験を得られる偶発的な出来事にあふれていることが、組織に所属し社員として仕事をする意義のひとつと言えるのではないでしょうか。
なお、上記事例の阪村社長の対応にもたいへん感銘を受けました。先日のコラム「言わないでほしいことを言われない」では、相手の行動に対して命令して直させたりせず、時には遠回しに注意することの有効性について取り上げましたが、バスの場面などはそれに通じるものを感じます。
<まとめ>
「石の上にも三年」は、今でも(あるいは今だからこそ)有効かもしれない。