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「石の上にも三年」は有効か

5月16日の日経電子版で、「高田明さん 使命と自分の人生が重なるまで続けよう」という記事が掲載されました。ジャパネットたかた創業者の高田明氏が、自身の新人時代を振り返り、今の新人に送りたいメッセージを記事にしているものです。サラリーマン生活はとても鮮烈な思い出として残っていて、「瞬間瞬間、目の前の仕事に一生懸命に向き合っていれば必ず己の財産になる」と言います。

同記事を一部抜粋してみます。

私は大学生時代、ESS(英会話部)に入部し、大好きな英語漬けの毎日でした。尊敬する叔父が同じ大学のESSのOBだった縁で、京都府にある阪村機械製作所で学生時代からアルバイトで働き、そのまま同社から内定をもらいました。配属されたのは叔父のいた貿易部。早速英語力を生かせる職場でわくわくしたのを覚えています。

入社2年目の夏。社長室に呼ばれ、阪村芳一社長から「高田君、行ってみなさい」と欧州出張の辞令を渡されました。三菱商事の駐在員がタイプライターのキーをたたく音や、英語やポーランド語でやり取りする声があちこちで聞こえました。「ああ、国際ビジネスの最前線にいるんだ」。そんな雰囲気の中で仕事ができて刺激になったし、あの時の高揚感は今も忘れることはできません。

訪欧した阪村社長夫妻とイタリア国内をバスで移動したときのこと。社長の目の前で私はうたた寝をしてしまいました。社長は目的地に着いて私に優しくこう話しかけました。「高田君、バスから景色を眺めることも人生勉強だよ」

旅先のちょっとした風景でもきちんと見ていれば、その土地の文化も学べるし、良い旅の思い出になるのにその価値に若い私は気づいていませんでした。会社を経営するようになって毎年、社員をねぎらうために海外旅行に連れていく立場になって初めてあの時の社長の言葉が身にしみてわかるようになりました。何事にも関心や興味を抱いて生きる人ほど、人生は豊かになるということです。

楽しかった海外勤務は突然、幕を閉じることになりました。駐在中に虫歯が悪化し、毎日「痛い、痛い」と言っていたのです。するとその情報が「高田は体調が悪いのではないか」と日本の本社に伝わり、私に帰国命令が出ました。

帰国後しばらくして親友と翻訳の仕事をしようという話が出て、会社に辞表を提出しました。会社や仕事に何の不満も全くなかったのですが、私はどうも楽天的なところがあって、あまり将来のことを深く考えずに進んでしまうことがあります。あのとき、虫歯が痛まなかったら私の人生はだいぶ違ったものになっていたでしょう。ずっと阪村機械で勤務して海外駐在を続けていたかもしれません。
阪村機械を退社する最後の日、阪村社長に「なあ高田君、君は辞めていくけれどもこの会社で働いたことが君の人生の中で一つでもプラスになってくれたらいいね」と言われたことが今でも心に強く残っています。

その後、私と友人は一緒に翻訳の仕事を始めたのですが、それは続かず、25歳で私はひとり、故郷の長崎県平戸市に帰ることにしました。家業のカメラ店の手伝いを始め、独立して自分のカメラ店を構えました。そして41歳で通販というビジネスモデルに出合ってその可能性を信じ、テレビやラジオを通じて全国の皆さんに家電製品などを売っていきました。そして気づいたらいつの間にか、ジャパネットたかたという会社が育っていました。

ジャパネットの社員にも「石の上にも三年だよ」と言っていました。ジャパネットにはMC(総合司会)志望で入社する人が毎年いる。しかし、希望が叶わず別の部署に配属される人もいる。でもそこでくよくよせずに、与えられた仕事を一生懸命やれば己を高めてくれるしすごく勉強になるはずです。
社会のどんな仕事にもミッション(使命)があってやりがいも面白さもある。そのミッションが自分の人生と重なるまでは石の上にも三年の気持ちで与えられた仕事に集中してください。一生懸命やっている自分というものを通してでないと、本当に楽しいと思えるものにも、目標にも行き着かないと思うのです。一生懸命やっていれば信頼できる仲間や友人にも必ず巡り会える。若い人たちには人生をそのように豊かにしていってほしいですね。

今を生きる私たちに対して、とても示唆的なメッセージだと感じました。「コスパ」の「コスト」要素の中でも、時間に焦点を当てた「タイパ」なる言葉が出てきていると聞きました。「その時間をかけるに値する価値があるか」を追求するタイパ発想で取り組むことの取捨選択を即決する視点が有効な場面もあります。一方で、上記示唆のようにタイパ発想とは一線を画してとにかく取り組んでみることが有効なこともあるのだと思います。

同メッセージを、ここでは「計画的偶発性」「価値観型」をキーワードに、考えてみたいと思います。

キャリア理論で代表的な考え方のひとつに、「計画的偶発性理論(プランドハップンスタンスセオリー)」というものがあります。「キャリアは偶発的な出来事を積み上げた結果でもある」とする考え方です。下記にAllaboutの説明記事を引用してみます。

スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授によって提唱されたこの理論は、「個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される」とし、その偶然を計画的に設計して自分のキャリアを良いものにしていこう、というキャリアパスに関するポジティブな考え方です。

20世紀末に発表されたこの理論が米国で注目を集めた背景には、「自分のキャリアは自分自身で意図的に職歴を積み上げて形成するもの」という従来型のキャリア論の限界がありました。それまでは「自分の興味、適性、能力、周囲の環境などを合理的に分析すれば、目指すべき最終ゴールやそこへ至るステップアップの道筋までが明確になる」はずと考えられてきましたが、実際にはそうしたアプローチが必ずしも有効とは限らないことが分かってきていたのです。

むしろ変化の激しい時代において、あらかじめキャリアを計画したり、計画したキャリアに固執したりすることは非現実的であり、すべきでない、とクランボルツ教授は指摘します。自分が何をしたいかの意思決定にこだわり、一つの仕事や職業を選びとることは、とりもなおさず、それ以外の可能性を捨ててしまうことに繋がるからです。』

「成功するのに目標はいらない! (平本相武氏著)」という書籍があります。同書では、「自分軸」を「目標」に代わる成功のキーワードとするとよい、「自分軸」が、自分がもっともワクワクできる「やる気の素」になる、と説明しています。

ある人は将来の「ありたい姿」(行き先)を想像することが、別のある人は「自分らしさ」というこだわり(理由)を満たすことが、その人にとっての自分軸になり得るという考え方です。そして、ありたい姿を追う人を「ビジョン型」、自分らしさを満たすことを求める人を「価値観型」と、自分軸をざっくり2つに分類しています。ビジョン型は、「○○にたどり着きたい」と思ったほうがやる気が出る人です。価値観型は、「自分自身にとって大事なことで1日1日を過ごしたい」と思ったほうがやる気が出る人です。

(勝手な想像で恐縮ですが、イメージとして)高田氏の「あまり将来のことを深く考えずに進んでしまう」といったエピソードからは、「価値観型」をベースにしながら、「計画的偶発性」の考え方で、仕事での日々の偶発的な出来事をうまく自分の力として吸収しキャリアを開いていった姿が想像されます。

上記書籍の示唆の通り、「価値観型」はキャリアに対する向き合い方のひとつであって、すべてではないと思います。例えば「ビジョン型」をベースにして、将来に到達すべき地点を目標として明確に設定し、そこに向かうための最善の方法をわき目もふらず進み続けるキャリアの向き合い方もありだと思います。そのうえで、以下の視点がポイントになってくるのではないかと考えます。

・キャリアの向き合い方にひとつの正解はない。自分なりの向き合い方を見つければよい。
・どのような向き合い方であっても、自分のやっている仕事のミッションと自分の人生とが重なっていることが大切。
・当初からそれらが重なるとは限らない。石の上にも三年の気持ちで、まとまった期間集中することで見えてくる重なりもある。

既に自分のミッションが見つかった人や、ビジョン型で自分の進むべき道を明確に定義できている人は、自分が望まない3年間を待つ必要はないかもしれません。また、自身の心身の健康状態を明らかに危機に追い込む環境下で待つのもよくないです。

しかし、それなりの就業環境で仕事ができていて、まだ自分のミッションが見つからない、自分の人生との重なりがわかっていない場合などは、日々の出来事から学びながら試行錯誤し、経験を重ねる時間にも価値があるということを、再評価してもいいのではないかと思います。

組織活動を営む以上、担当する個々の仕事の選択には限界もあります。純粋に「自分発で選ぶ」選択に加えて、「これもやってみないか」と組織が推奨してきた仕事(偶発的な出来事)に肯定的に向き合おうと自己決定し取り組むことも、キャリアづくりでは有効だと思うわけです。有意義な経験を得られる偶発的な出来事にあふれていることが、組織に所属し社員として仕事をする意義のひとつと言えるのではないでしょうか。

なお、上記事例の阪村社長の対応にもたいへん感銘を受けました。先日のコラム「言わないでほしいことを言われない」では、相手の行動に対して命令して直させたりせず、時には遠回しに注意することの有効性について取り上げましたが、バスの場面などはそれに通じるものを感じます。

<まとめ>
「石の上にも三年」は、今でも(あるいは今だからこそ)有効かもしれない。

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