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自分が耐えられる拷問を見つける

先日、知人から強く推奨されたスピーチをYouTubeで視聴しました。米デューク大学の卒業式での、コメディアン ジェリー・サインフェルド氏によるスピーチです。

ジェリー・サインフェルド氏及び同スピーチについて、YouTubeサイト(「[英語スピーチ]デューク大学 2024 卒業祝辞, 米コメディアン笑える卒業祝辞|Jerry Seinfield|日本語字幕 | 英語字幕 |」)にて次のように紹介されています。

ジェリー・サインフェルド氏は、アメリカのコメディアン・俳優であり、脚本家や監督もしています。日本ではあまり馴染みのない俳優かもしれませんが、アメリカで「Seinfeld」というコメディ番組を制作・出演し、アメリカのテレビ業界でもっとも成功したコメディ番組といわれ、2015年の雑誌フォーブスで、2014年度最も稼いだコメディアン1位を獲得するほどでした。

彼のこれまでの経験や考えを踏まえて、彼が思う人生の鍵、必要だと思う事を語り、コメディアンとして伝えたい事など、卒業生に向け面白くも真面目に花向けの言葉を送っています。

全体的に、ユーモアあふれるたいへん印象的なスピーチでした。その中でも個人的に特に印象に残ったのは、「情熱なんてどうでもいい」と「自分が耐えられる拷問を見つける」の2つでした。

同スピーチの日本語字幕から、スピーチの一部を中略しながら抜粋してみます。

どれだけうんざりしているか想像できないよ。
「情熱を追い求めろ」なんてね。
情熱なんてどうでもいい。
自分が出来る何かを見つけて、それも素晴らしいだろう。
もし何かを試して上手くいかなくても、それも大丈夫。
ほとんどのことは上手くいかないものだ。

私たちは過剰な興奮や情熱から手を差し伸べることは必要ない。
それは同僚を不快にさせるよ。
君の隣にいる同僚をね。

興味を見つけよう。
興味は情熱よりも良いことだ。
それ程汗もかかないしね。

私の人生の3つの真の鍵を教えよう。

1つ目は、全力を尽くす事。
2つ目は、注意を払う事。
3つ目は、恋をする事。

まず1つ目、すでに知っていると思うが、君たちが何をしていても、気にしない。
それが仕事でも趣味でも、人間関係でもM寿司の予約を取ることであろうと、努力しなさい。
ただ純粋に馬鹿みたいに、ここで何をしているかわからなくても、努力するんだ。
努力は常に前向きな価値を生み、たとえその努力の結果が望んでいた結果の完全失敗であってもね。
これは人生のルールだ。
ただバットを振って祈ることは、多くの事への悪いアプローチではない。

3つ目は、恋をしなさい。
何でもあらゆるものに、全ての機会を逃さずにね。
恋をしなさい。コーヒーやスニーカー、青い駐車スペースにもね。
何かを見つけるんだ。良い部分が好きで、悪い部分があまり気にならないものをね。
君が耐えられる拷問・・・これが人生で勝利するための黄金の道だ。

人生で注意を払うべきことは、仕事と愛だ。
経験の中でそれ自体価値があり、結果など気にしなくていい。
感じ取るのを急ぐのはやめよう。

コメディアンとして長年活躍され大成されたサインフェルド氏のような方なら、「何事にも情熱を持て!」といったメッセージを発しそうなものです。ですので、同氏から、「情熱なんてどうでもいいと言いたい」と語られるのは、少し意外な気がします。しかし、そこに込められた真意には、深いメッセージ性を感じます。

いきなり情熱にフォーカスするよりも、自分にできる何かや、自分が興味を持てるものを見つけることにフォーカスすることから始める。それらが見つかったら、「なんで私はこんなことまでやってるんだ?」と思えるぐらいの努力をしようというわけです。

世の中に「完全」や「完璧」と言えるものが存在しないのであれば、「不完全」というものも存在しないと言えるかもしれません。

すべての物事は、白黒・長短・明暗を合わせ持っているグレーな存在である。その中で、比較的良い部分が好きでいることができて、悪い部分がさほど気にならないものを見つけよう。その見つかったものを「君が耐えられる拷問」と呼んでいるのだと思います。

仕事、会社、人間関係・・・あらゆるものを「拷問」と捉えてみるのは、生きるヒントかもしれないと思います。

何事にも100点満点はない。必ず、苦難や逆境、向かい風の局面、嫌なものが見えてしまう場面もある。完全なユートピアやパラダイスなど存在しない。

そのうえで、それが自分にとってトータルで耐えられる拷問なのか、耐えられない拷問なのか。耐えられる拷問であるのなら、努力を続ける。それが耐えられない拷問ならば、かわりの仕事、会社、人間関係などを探して、耐えられる拷問を見つける。そのうち、結果的に情熱がついてくる。私なりには、そのように解釈した次第です。

「君が」=「自分にとって」もポイントだと考えます。同じ種類の拷問でも、本人にできる何かや、本人が興味を持てるものを見いだせるかどうかで、その人にとって耐えられるか耐えられないかが変わってくるわけです。

仕事を通じて、時々「モチベーション」や「エンゲージメント」が話題になります。その際、「モチベーション」や「エンゲージメント」を上げるためのよい手法はないか、「モチベーション」や「エンゲージメント」を高める研修などはないか、という問いかけを受けることがあります。私は「そのような直接的な手法はないだろう」とお答えしています。

「モチベーション」や「エンゲージメント」は、何かの手法によって直接的に高めるようなものではないと考えるためです。自分なりに見出した目的や目標、取り組むことにした行動を進めていくうちに、手ごたえや成長実感が得られてきて、結果としてそれらがついてくるものだと思います。同氏の示唆は、それに通じるものを感じます。

コメディアン・俳優という、なんとなく選ぶことはない、わざわざ自分から選び、浮き沈みの激しそうな業界で第一線で活躍し続けた同氏から、「いきなり情熱を求めに行くのではなくて、自分にとって耐えられる拷問なら努力しなさい。そのうち道は開ける」という言葉を聞くと、なんだか励まされる気がします。

<まとめ>
良い部分が好きで、悪い部分があまり気にならない、自分が耐えられる拷問を見つける。

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