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1対1での「涙」について考える

先日、知人との意見交換の席で、コーチングについて話題にする機会がありました。書籍「決定版コーチング 良いコーチになるための実践テキスト」(ジェニー・ロジャース著)の内容も取り上げながらの意見交換でした。

同書では、全14章のうち、第11章が「涙、トラウマ、そして心理療法」というタイトルになっています。紙面で言うと、P422~P454(キンドル版の場合)で約30ページにわたって、涙に関連したことが説明されています。

例えば、次のような内容です。(一部抜粋)

コーチング・セッションではクライアントの全人格を扱うことになるので、時折、涙を見る場面もあります。クライアントが泣き出してしまった。さて、どうすればいいのか―。こうした場面のとき、コーチが不安に駆られるのは無理からぬことでしょう。

ここでの最も適切な対応は、コーチにしかできない一瞬の判断にかかっています。

「動揺しているようですが、このまま続けますか?」「もちろん泣いてもかまいません。ここは泣いてもいい場所です。」「泣いて楽になるのなら、思い切り泣いてください。」「恐ろしい経験をしたのですから、動揺するのは当然です。動揺があまりにも激しいので、涙が出てしまうのですね。」(沈黙も選択肢の1つです。何も言わず、ただ静かに見守っていたり、ティッシュを渡したりするだけで、共感や受容を伝えることができる場合があります。)

このような具合で、涙の意味や対応方法が書かれています。

同書の「はじめに」では「本書では、コーチング・テクニックについて解説していきます」とあります。そのような目的感の書籍でありながら、「涙をテーマに、ここまで紙面を割いてとりあげるのか」というのが、率直な感想です。同時に、涙に対して私自身が無自覚であるためにそのように感じる面があるのだろうとも思います。意見交換したメンバーも、同じような印象をもっていたようです。

同書で涙を重点テーマのひとつとして多くの紙面を使っている理由について、2つ考えてみました。ひとつは、涙はお国柄も関係しているのではないかということです。

涙を見せるなどして感情に訴えることを前面に出すことに対して、どれぐらい社会的に寛容性があるか、一般性があるかということです。

アマゾンでは、著者は「30年にわたる英国で最も経験豊富なエグゼクティブ・コーチの1人」と紹介されています。その英国での著者の経験が、同書の基盤になっています。そのことからの憶測ですが、日本よりも欧米圏のほうが、人前で涙を流すことがより一般的なのかもしれないと思います。

意見交換した知人の1人が、米国企業での経験が長い人でした。その方の以下のお話から、新たな気づきを得ました。(著者は英国なので、米国とは異なります。そのうえで、日本よりは米国のほうが英国に文化的な共通点が多いだろうという想定での、以下の話です。また、もちろん一口に「米国企業」といっても各社様々のはずで、以下はあくまでその方の経験に基づくものであり、すべてに適用できるものでもないわけですが、その前提であっても考え方の切り口として有効だと思います)

・米国企業では、ジョブディスクリプション(職務記述書)によって、各人の仕事は明確に区切られている。オフィス内に仕切りが無くても「1人1部屋」のようなイメージで仕事をする。よって、職務上の必要性に迫られないと、同僚と1対1のコミュニケーションをとる場面も少ない。米国企業ではマネジャーが「横と連携して仕事をしなさい」と指示しないと、そうしない傾向がある。

・日本企業では、平和な社風のところが多い。自然発生的に同僚と横連携しながら仕事を進めるため、コミュニケーション頻度も高い。日本の雇用がメンバーシップ型などと言われるゆえんでもある。そのようなコミュニケーションの中で、普段から本音や感情が出ることもあるだろう。

・よって、米国企業では会議などでのコミュニケーションは普通に成り立っている人でも、1対1になると感情の起伏が一気に出てきやすい人も多いのかもしれない。よって、コーチングのような1対1のコミュニケーションでは、ロジカルなやり取りだけではなく、感情の起伏に寄り添うことが大切だというのを、同書は示唆しているのではないか。

しばらく前から各社で盛んになっていると言われる「1on1ミーティング」なるものも、もともと米国のシリコンバレー発で輸入された考え方・やり方と言われています。コーチングも、欧米のほうが日本より日常的で、実施例も多いと言われます。本音や感情を発散させるために、そうした場を計画的に設定する必要性がより高いのかもしれません。そうした背景の一端が、上記に見てとれる感じがします。

もうひとつは、この視点が、今後の日本でも今まで以上に必要になってくるのかもしれないということです。各社で「ジョブ型」と言われる、職務記述書ベースの雇用・働き方が広まりつつあるためです。

自然発生的な同僚との横連携が細っていき、相手を理解するための1対1を含めたコミュニケーションの時間を計画的にとる必要性が増してくる、そうした場ではロジカルなやり取りだけではなく、感情の起伏に寄り添うことがより大切になってくる。そのような可能性が想定されます。

ちなみに、同書では涙について次のように説明されています。

・西洋社会では、女の子は泣くことを許され、男の子は許されないという考え方があるのは確か
・男女にかかわらず涙もろいということは、昇進するにつれ、キャリアを左右する問題になる可能性がある

涙が時に厄介な存在になりえること、特に男性にとってその傾向が強いことは、どの文化圏でも共通しているのかもしれません。

同時に、閉じられた安心できる場で自己を開放し、その結果として涙を伴うことの意味・意義についても、同書では触れられています。自身の現状を振り返り、前へ進むためのプロセスとして、そのような安心できる場を定期的につくるということも考えてよいのかもしれません。

<まとめ>
涙という感情の起伏に寄り添う。

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