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マルハラを考える

しばらく前に知った言葉ですが、「マルハラ」という新種のハラスメントが認知されているようです。文末を「。」で終わることがハラスメントの一種であるというものです。

生成AIのCopilotに、「マルハラ」の定義について説明してもらいました。以下です。

「マルハラ」とは、SNSやメッセージアプリなどの文章コミュニケーションにおいて、文末に「。」(句点)をつけることで、若者に「冷たい」「怖い」「威圧的」といったネガティブな印象を与える現象を指します。大人世代はマルをつけるのが当たり前ですが、若者世代は基本的に使わないため、ついていると意味を見出してしまうことがあります。

文末に「。」をつけることが、文を区切る目印となる以上の、特別な意味づけを与えてしまうのだそうです。

2月2日のヤフーニュース記事「LINEで句点「。」は誤解を招く… “マルハラスメント”とは? 若者世代「冷たい、怒ってる、冷めてる、もう会話が終了という意図なのかなと」(『ABEMA的ニュースショー』より)」では、次のように紹介されています。

今、「マルハラ」という新たなハラスメントが注目されている。

「承知しました。」という一見、何の変哲もない表現が若者たちにとっては淡々としすぎていて、怒っているように感じられるという。これは「マルハラ」と呼ばれ、若者たちにとっては「。」が怖く、新しいハラスメントになっている。また、「連絡ください。」「すぐ来てください。」「はい。」など、最後に「。」がついた文面も怖いと感じているようだ。

心理学が専門の明星大学大学院・藤井靖教授は「LINEとかコミュニケーションアプリの特徴って連続的にトークがずっと残っているというコミュニケーションの特性がある」と話す。

「連続性を有するコミュニケーションを前提とした媒体に育ってきていると、句点が入ることはバスッとその連続性みたいなものが断たれて、関係が切られたような感じがしたり、これは何か厳しいことをしっかり言われているみたいな、そういう感覚にとらわれるんだと思う」(明星大学大学院・藤井靖教授)

こうしたコミュニケーションツールでの表現について、現役大学生でタレントの小浜桃奈は、句点や記号など何もつけない「わかりました」は「一番何を考えているかわからないと若者は思ってしまう」と説明。句点をつける「わかりました。」については「怒ってると受け取られてしまう。冷たい、怒ってる、冷めてる、もう会話が終了という意図なのかなと。ちょっとマイナスに受け取られがち」と見方を示した。では何が正解なのか。小浜は記号のビックリマークをつけた「わかりました!」が最も好印象だと語った。さらに絵文字や長音記号の使い方にも注意が必要だという。

「(絵文字の)赤いビックリマークがあるんですけど、この赤いのは一番ダメです。ビックリマーク界の中で一番若者に怖がられている。『わかりました~』は、やる気がなくなっちゃったのかなと思う。『わかりましたー』は眠くなっちゃった、疲れちゃった、もう会話したくなくなっちゃったのかなと思ってしまう」(小浜桃奈)

また、小浜によると現代の学生は「文章を打たない」という。「用があればすぐに電話。話したいことがあったら、みんな電話です。LINE電話で」と若者のコミュニケーションスタイルの変化にも触れた。

文末を「。」で終える書き方をするのは、ハラスメントの範疇に入るのでしょうか。

セクハラ、マタハラ、ケアハラなどにはどう考えても当たらないはずなので、当たるとしたらパワハラなのかなと考えてみました。

ニッセイビジネスインサイト記事「これってハラスメント? 定義・具体例・必要な防止対策を知ろう」(2021-03-24)で、ハラスメントに当たるかどうかの「グレーゾーン」がどこにあるのかについて分かりやすい説明がありました。(一部抜粋)

ビジネスの現場では、ハラスメントに当たるかどうかの判断が難しい、いわゆる「グレーゾーン」の言動というものも数多く存在します。具体的な事例を見ていきましょう。

1)部下を叱責したらパワハラ?
上司には、部下を指導して、業務上の指揮監督や教育指導を行う役割があります。例えば、得意先との重要なアポイントメントに遅刻した部下を叱責するのは、業務上必要かつ相当といえるので、パワハラには当たらないと考えられます。

しかし、ミスを繰り返す部下にいらついて、「仕事しなくていいよ。もう帰れ」「こんなこと、小学生でもしないよ」「その仕事ぶりじゃ、お前の給料と釣り合わないな」などとしつこく言ったり、他の同僚にも聞こえる場で「君は主任失格だ」「お前なんかいてもいなくても同じだよ」などと侮辱的に叱責したりすると、許容範囲を超え、パワハラと判断される可能性が高くなります。

注意・指導(叱責)が社会通念上相当かの判断は難しいものです。パワハラ発言について損害賠償を命じた裁判例から考えると、人格否定・人格攻撃や侮辱の内容を含んでいるか、さらし者になるように行ったかなどが、重要な判断要素になると思ってよいでしょう。

上記も参照すると、文末を「。」で終えることは、日本語の運用上の観点からも、他者とのコミュニケーションの観点からも、社会通念上相当の範囲を逸脱しているとは考えられません。「ハラスメント」と呼ぶにふさわしいかは疑わしい気がします。

前回、ストレスマネジメントをテーマにし、変えることのできる「自分の課題」に集中することの重要性を取り上げました。感情、生理反応、他人といったものは変えることはできないが、自分の思考や行為は変えることができるという視点です。

「。」で終わる文末に不安や恐怖を感じるとしたら、それは感情や生理反応によるものですので、直接変えることは難しいかもしれません。また、「。」で終わる文を作成して送ってくるのは、自分ではなく相手です。

社会通念上の許容範囲を逸脱したコミュニケーションスタイルをとってくる相手に対しては、管理者や経営陣の責任で是正させる義務があります。一方で、社会通念上の許容範囲内のコミュニケーションスタイルで連絡を取ってくる相手については、それは基本的に当てはまらないと言えます。よって、相手が変わってくれることを期待するのは、明日の天気が晴れになってくることを期待するのと同じく、「自分の課題」ではなく「自分以外の課題」ということになります。

ゴールの見通しがない自分以外の課題で悩むのは、ストレスマネジメント上あまり有益ではないと言えます。

それでは、「。」で終わる文末に不安や恐怖を感じる人はどのようにすればよいのでしょうか。決まったひとつの正解はありませんが、「自分の課題」としてできることがあれば取り組む、ということが基本線になると思います。例えば下記です。

・「。」で終える相手に対して、実際に怒っているのかどうか聞いてみて、相手の背景を確認する。

・「。」で終える相手に対して、「。」で終えることに不安や恐怖を感じるので、できれば別の終わり方ができないか、と相談してみる。

・上記などを、普段の就業時間中にはやりにくい場合、その相手と1on1ミーティングなどが設定されている職場ならそうした機会に聞いてみる。

やはり、「自分の課題」を見つけて自分なりに取り組むことが、対応方法の基本になると考えます。

冒頭の記事のような情報を察知した送り手側から、歩み寄ってももちろんよいわけですが。

<まとめ>
「。」で終える文を受け取ったとして、それも相手のコミュニケーションスタイルの一環。

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