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スマホのバッテリーを人生に見立ててみる
先日、私が参加している「知心会」の6月の定例講に出席しました。「知心会」では、ありのままの己の心を観ながら仲間と共に研鑽する機会の一環として定例講があります。
「(85-自分の年齢)÷85=〇%の計算式で、〇に当てはまる値を出してみてください」
定例講の冒頭で、このような問いかけがありました。
85というのは、(性別差がありますが、それを平らにして)今の日本人の平均寿命を表します。私たちは、必ずどこかのタイミングで寿命を迎えます。もちろん個人差はありますが、平均すると85年ぐらいです。だとすると、上記の式により逆算して残存期間を%で割り出すことができます。
続けて、次のような問いかけがありました。
「私たちは、スマホのバッテリーの残存割合を毎日すごく気にしている。しかし、寿命を迎えるまでの人生の残存割合を毎日気にしている人は少ない。本来はとても大切であるにもかかわらず、である」
たしかに、スマホのバッテリーが70%台になったあたりから、その後の行動予定と環境によっては少し不安になり始めます。50%を切ると、すぐに充電するか具体的な充電のタイミングを考えます。バッテリーが切れてしまった時の不便さ、大変さを認識できているからこそ、頻繁に確認をしながらバッテリー切れを避けるための行動に移すわけです。
一方で、人生の残存割合は毎日あまり意識していません。スマホとは大きな違いです。
その理由はいろいろ挙げられそうです。ひとつは、スマホに比べると時間軸が長く、緊急度があまり高くないと(一般的には)認識されているためだと思われます。今日と明日で、差はあまり感じません。差がわずかで見えにくいことは、実感しにくいということに通じます。
他には、スマホのバッテリー切れのように、自分自身について直接残存割合ゼロになった状態を体験していないため、その状態を想像できないからという要素も挙げられるのかもしれません。
しかしながら、スマホと違って命は充電して残存割合を何度も増やすことなどはできません。しかも、極めて貴重なものです。本来は、普段からもっと意識していてもよいはずのものです。
「私たちは、意識していないことに対しては、力が入らない。残りの人生がどれぐらいあるのかを意識し、それを何に使っていきたいのか、明確に言えない人が多い。それでは、力の入りようがないでしょう」
心に響く問いかけでした。
そのうえで、スマホとは違って、(時間は有限ではあるものの)人生にはある程度じっくり向き合う時間がとれるという側面もあります。スマホの1%はあっという間ですが、人生の1%は1年弱になります。1年間という期間は、その気になればそれなりのことができる時間の長さでもあります。
・残りの人生を何に使っていきたいのか、明確にする
・明確にし、そのことを認識し続けるために、普段から自問自答を繰り返していく
・自問自答するという思考・行動を通して、残存割合についても意識を高める
(普段の自戒も込めて)これから日々の中で実践したいと思います。
<まとめ>
(85-自分の年齢)÷85=人生における残存期間の割合
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