見出し画像

熊本へ行った話 -1-

私の生き方の指標となっている、坂口恭平さんという方がいる。自分が躁鬱の波に一番苦しんでいた時に「躁鬱大学」というnoteを見つけて、まるで自分のことを説明してくれているかのような内容に驚いたのと同時に、心のブロックが解除されていくような感覚を覚えた。もしも躁鬱大学に出会っていなかったら、4ヶ月後に引っ越して、新しい生活を始められるまでに回復はできなかったと思う。それから私は、坂口恭平さんという人物が気になり始めた。人に対して興味を持つことがあまりないのだけれど、知れば知るほど心惹かれた。こうやって生きれば大丈夫だよと言ってもらえている感じがするからだろうか。

引っ越して間もない頃、坂口さんが熊本市現代美術館で、パステル画650点を展示する個展を開催すると知った。めちゃくちゃ行きたい…!と思った。でも引っ越したばかりで、まだまだ落ち着いてないことがたくさんあるし、とにかくこの静岡から熊本は遠い。一旦心にしまって、冷静に考えた。でも冷静に考えてみても行きたかった。めちゃくちゃ行きたかった。ネット越しではなく、この目で直接絵を見たい。なぜそう思うの分からなかったけど、人生で初めてそういう気持ちになった自分を優先してみることにした。ここで見ておかないと、一生後悔しそうな予感もした。

コンビニでチケットを買う。この時点で私は少しドキドキした。本当に買ってしまった。本当に行って大丈夫なのだろうか。なにが?と自分へツッコミを入れる。分からないけど、行ったら何かが変わる気がして、その怖さがあったのかもしれない。だけどその正体は、見てみないと分からない。どうせ行くならトークショーがある日にと思い、予約を入れようとしたけどすでに満席。でもせっかくだからご本人が美術館にいる日に行こうとなり、友人と共に熊本へ飛行機で向かった。絵を見るだけなのに緊張している。絵を見れるという現実に興奮している。不思議な気持ち。午前中に家を出たにも関わらず、熊本へ着いた時には夜だった。熊本の空気を吸い込む。街によって空気が違うことを最近知った。少し都会の感じがしながらも、ほどよく自然の空気が混ざり合っていて、伊東でも東京でも地元名古屋でも感じたことのない、新しい匂いと重さだった。商店街で適当に見つけたお店で、馬肉ごぼう揚げうどんを食べる。緊張していた私は、友人に本人がいても絶対に話しかけないでほしいと念を押した。友人は坂口さんのことをよく知らない。だからこそ、この子がファンで〜とか気軽に言いそうだと思った。それだけは回避しなくてはならない。私は遠目に少し見られれば充分だった。むしろ自分の存在を認識されたくない。坂口さんの世界を外から覗いていたい。不思議なファン心理だなあと友人に言われる。私もそう思う。

次の日、ついに現代美術館へと足を踏み入れた。受付でコンビニチケットから、坂口恭平日記チケットに変えてもらう。それがとても嬉しかった。自分のライブチケットを買ってくれた人たちは、こんな気持ちだったのだろうかと想像する。展示場の入り口には大きく坂口恭平日記と文字が書かれていて、私は息を呑むように一歩一歩入っていった。まずは650点が展示されている景色に圧倒される。長年かけて描いた、生涯の作品とかではない。たった一人の人間が3年間で描き上げた作品が並んでいる。だけどそこからは、ぎゅっと凝縮された圧迫感などはなく、静かに優しく存在している。まずは一通り見ようと、流れるように作品を見た。初期から描き方が成立するまで、坂口さんのパステル画の全てが展示されていて、それは同じ人が描いたとは思えないほどのムラがある作品もある。それが逆に人間味があって、心を掴まれた。私は絵をよく見るけれど、こんなに主張してこない作品は初めてだった。主張はしていないけど、ここに確かに存在していて、作品たちがそれぞれ呼吸をして生きているかのよう。水が流れるように静かに美しく透明で、この世界の成り立ちを表現しているみたいだった。だから絵を見て不安になったり、考えさせられたりなどはなく、すーっと入って、すーっと通り過ぎて行く。明日もやってくる日常のように。

一周目を見たのち、一旦休憩することにした。これは一回見ただけでは吸収しきれない。展示場の出口へと向かおうとした時、ピアノとサックスの音が聴こえてきた。聴き覚えのある音に、私は心臓の高鳴りを必死に押さえながら、その音の方へと向かってみた。

続く。

頂いたサポートは活動のために大切に使わせていただきます。そしてまた新しい何かをお届けします!