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どうでもいいことほど大切にする

ふと目が覚めるとカラスが鳴いていた。目覚ましでもニワトリでもなく、カラスの鳴き声で目が覚めるという新しい体験。最近は朝6時頃になると、カーカーと元気に鳴き始める。アラーム音は身体にストレスがかかってよくないらしいから、鳥のさえずりのように可愛くはないけれど、カラスの鳴き声で起きられる方がいいのかもしれない。ここではカラス以外の他の鳥も終始鳴いている。都会では絶対に聞こえない数だ。一体何種類ぐらいいるのだろう。

コンロに火をつけてお湯を沸かしながら、今日は何を飲もうかと考える。コーヒーの深煎りか浅煎りか、はたまたカフェラテか。他にも紅茶や水出しアイスティー、緑茶、頂き物のハーブティーなど、レパートリーはカフェ並みに充実。家で作業をすることが多いため自然とそうなった。深煎りの豆をコーヒーミルへ入れて、ガリガリと回す。電動で挽いてくれるマシーンもあるけれど、私はこのガリガリと回している時間が好き。というか、アナログのミルの方がデザイン性がいい。引っ越す際にコーヒーの道具は特にこだわっていて、自分の好きが見つかるまで根気よく探した。毎日使うものがお気に入りだと、それだけで幸せな気持ちになれる。自分の好きはそう簡単に諦めてはいけない。

豆のグラム数を測ったり、お湯の温度を決めたり、淹れ方を珈琲屋さんに教えてもらったおかけで、だんだんと美味しいコーヒーを淹れられるようになっている気がする。スティックタイプの粉末をお湯に溶かして飲んでいた頃が信じられない。さらにそこへ砂糖を加えていたのだから、あれは今の私からするともはやコーヒーではない(笑)挽きたての豆で淹れるコーヒーでなければ、満足できない身体になってしまった。

どうでもよさそうなこだわりを持っていると、人生が彩られる感覚がある。私はカフェがやりたいわけでもないのに道具や淹れ方にこだわり、自分で飲んで満足している。役に立つのは、友達が遊びに来た時にコーヒーが美味しいと喜んでもらえるくらい。でも物事に対して全部に意味や目的を付けていると、やっぱり疲れてしまう。私は以前まで自分が飲むコーヒーなんてどうでもいいと思っていたし、あらゆる日常生活がどうでもいいと思っていた。意味がない役に立たないとおざなりにしていると、意味がある役に立つと思っていることがその型にはまらなかった時に大きく失望する。どうでもよさそうなことがたくさんあると、目的があることが上手くいかなくてもあまり気にならない。いわば保険的な存在なのだろう。今ではその保険的存在の方が多くなってしまい、毎日どうでもよさそうなことばかりしているけれど、なぜか誰かの役に立ったり喜ばれたりするのだから、自分で付ける意味や目的なんて本当はなくてもいいのかもしれない。

母と電話した先日、朝は7時前には起きていると言ったらびっくりされた。私はとにかく朝が起きられないタイプだったからだ。早起きしようと気合いを入れて0時に寝ても、次の日はお昼の12時まで寝てしまうくらいに。私が朝起きれるようになった要因の一つは、おそらくコーヒーだろう。朝にやりたいことや楽しみなことがあると、自然に身体が起き上がる感覚がある。朝は私にとってとても大切な時間になった。脳が一番スッキリしていて、何をやるにもはかどる。お気に入りのマグカップでコーヒーを飲みつつ、鳥のさえずりやご近所さん同士のおはようを聞きながら、今日も何の目的もないこの文章を書いている。その時間が今はただただ心地いい。

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