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彩られる日常はなんてことない日常

朝、いつものようにコーヒーを淹れて、作業部屋へと向かう。机に向かって正面にある窓の外は、青々としていた。山は様々な緑色に彩られ、トンビが空高く飛んでいる。山の下が海なのだけど、残念ながら見えない。この家が6階建てぐらいだったら見えたかも。でも毎日トンビの鳴き声と共に、この美しい山を眺めながら作業ができるのは最高の贅沢だと感じている。窓を開けると、冷んやりとした空気が入ってきた。ここ数日で急に涼しくなり、上着を羽織ったり、布団を1枚増やしたりした。この街で初めて迎える秋である。今年は貴重な全てが初めての1年。一つ一つ丁寧に感じ取っていきたい。


もう何日目か分からない風景画の、最後のポイントを塗り始める。私が使っている画材はコピックというアルコールインクで、窓を開けて換気しながら塗らなければ身体によくない。真冬は凍えながら塗ることになるかも…。以前までは換気しながらやるほど長時間は使っていなかったのだけど、最近では一箇所辺りに使う色の量が増えたため、余計に時間がかかるようになった。錆やくすみを表現するために使う色の種類は少なくても4色。多いと10色重ね塗りしている。その分、空気中のアルコール濃度も上がっていくわけだ。ただの青に見えていても、その中には何層にも渡り様々な色が混ざり合いながら青を作り出していて、どうやら私の目にはその層がだんだんと見えるようになってきているみたい。長い年月が積み重なって作り出された錆やくすみを、人間が作り出した1色で表現できるはずもない。何層にも何層にも重ねて近づけていく。それはまるで歴史を辿るような、こちらからその時代へ赴くような感覚がある。

無事に風景画が描き上がり、今日は何も作らず休むことにした。エネルギー的には、また今から新作を描き始められる余力はある。完成した時の達成感は自分の中から薄れつつあって、自然とまた次を作りたくなる。それはこの街の美しさが、私の表現欲を突き動かしてくれているおかげなのだろう。自分から動いているというよりも、動かされていると感じる。


自転車を走らせ、いつものパン屋で日差しが強いですね〜なんて話しながらお昼ご飯を買い、浜辺で食べながら海を眺めた。日陰にいると少し肌寒く、日向にいると暑い。今日は長袖を着て日陰にいるのが正解だったのだろう。半袖短パンという、夏休みを引きずっているような格好で来てしまった。浜辺には私と同じように、一人で海を眺めている人がチラホラ座っている。そんなに波は高くないけれどずっと眺めていたくなるこの海は、間違いなく私の躁鬱の波を穏やかにしている。

この1年間、貪欲に自分の願望を叶え続けてきた結果、心の枯渇はなくなり、溢れ出していた欲はほぼなくなった。誰にも望まれていない、誰の役にも立たない夢を叶えるのは、なんだか悪いことのような気がしてしまう。だけどまずは自分自身が望んでいる、自分にとって役に立つ夢を叶えない限り、本当に誰かのために何かをすることはできないのだと思うようになった。だからある意味、今の私はものすごくわがままなのだろう。欲がなくなったというより、常に欲を満たしてあげている状態とも言える。海の側にいたいという欲は今日もこうして満たされ続けているわけで、大事なのは欲と自分の間に他者が介入しているか、していないかなのかもしれない。


今夜は久しぶりに温泉へ入って、夕飯はお刺身を食べることにした。スーパーで伊東港直送のカツオを買ったのち、温泉へと向かう。連なる山の峰がオレンジ色に光り、街の灯りがポツポツと灯り始めている。この美しい景色はいつか当たり前になってしまうのかもしれないけれど、美しいと思った自分がいたことは忘れないでいたい。こんばんはと挨拶したご近所さんに、どこへ行くの?の聞かれた。夏の間は熱すぎて入れなかったから久しぶりに温泉へ行くと伝えたら、昔よりぬるくなったんだけどね〜と言うご近所さん。あ、あれでぬるいだと…?!この街の大衆浴場は源泉をそのまま引っ張ってきているため、夏は温度が上がり、冬は下がるらしい。普通は逆なのだろうけど、何も手を加えていないのがまたいい。地元の人が何食わぬ顔で熱い温泉へ入っていくのを見た時、さすが地元民と感服した。顔を覚えてもらった番台の人に久しぶりに挨拶をして、温泉に入ってる最中にも色んな地元の人と挨拶。ただ「こんばんは」と言うだけでなんだか心地いい。それはこの場所で自分は生きているという証になるからなのだろう。証はきっとそんなに大きなものである必要はない。たった一言の挨拶で自分の世界は広がり、日常は彩られる。

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