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ATOUN創業前夜

 起業にはいろいろ方法があるが、私は社内ベンチャーを選択した。いや、目前にお金がぶら下がったので、手を伸ばしてしまったというべきかもしれない。今回は、そんなATOUN創業前夜の話である。
 私は、奈良にある東大寺学園という私立の中高一貫校に通っていた。中高一貫校の良いところはなにかって、高校受験がないことである。こんな幸せなことはない。そして、勉強しない。私のルーズな性格から、こうなることは必然だったのかもしれない。だから、受験もどうしようもない。浪人が決まった18歳の春、私は、ルーズリーフに人生設計を記した。「35歳、社長になる。」これが、アクティブリンク株式会社(現ATOUN)の最初の一歩である。
 1997年、大阪大学大学院を修了し、松下電器産業(現パナソニック)に入社した。モータ社という社内分社でモータ用の磁石材料や金属材料の技術者となった。大学院では、熱工学が専門だった。なぜ、モータ材料?という疑問を持ちながらも、根が単純な私はこの仕事を好きになった。3年経ったある日、ふと思う。何かしっくりと来ない。
そんな時に、IT系戦略企画の社内公募があった。まぁ、高校時代から好きだったスタートレックの世界を実現したいという思いだけで、あれよと最終面談まで辿りついてしまう。面接官はパナソニック人事のトップ福島伸一さん(その後、関西国際空港会社の社長となられた方です。)から、衝撃的な助言を受けることになる。「君には、本社の戦略は向いてないな、事業を作りたいのと違うか?もうすぐ、社内ベンチャープロジェクトを開始するから、そっちやな。」
 この言葉と小中高の友人の後押しで、社内ベンチャープロジェクトに応募し、審査を数回かいくぐり、アクティブリンク株式会社は、パナソニックにの出資により、2003年6月に産声をあげた。31歳11ヶ月。3年の前倒しである。この選択が正しかったのかどうかは分からない。当時、起業したいと思いが募っていたのは確かで、冒頭にも書いたが、目の前にぶら下がったお金に手を伸ばしたら掴めてしまったというのが、率直な印象である。ほんの数秒の思考で決断し、手を伸ばす。決断なんて、そんなものだ。
 これが、ATOUN創業前夜、その経緯である。実のところは、事業目論見をつくりながら様々なことを学んだ時期であり、18年間イノベーション企業を率いてきて答え合わせもできた部分もある。そのあたりの話はまた別の機会に。
 最後に、起業の後押しをしてくれ、お互いのゴールに向け競いあった、友人に感謝したい。彼とは、10歳からの付き合いであり、18歳まで同じ場所で学んだ仲間だった。歯科医の彼のゴールは米国での開業とフロリダの別荘だった。何歩も先にいた彼を、私にはもう逆転する機会がなくなったことだけが残念だ。まぁ、生きていたら、ゴールでどや顔されているだろうから、それも嫌だけど・・・。

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