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小説:グリーングリーン

僕がまだ小学生だった頃、つまり四半世紀も前のことなのだけれど、実家のトイレは汲み取り式だった。
僕はそのトイレが嫌いだった。
便意を催すたびに憂鬱な気持ちになった。
穴が怖かったのだ。
眼鏡を落としたらどうしよう、足を踏み外したらどうしようと、うんこのたびに不安な気持ちになるのがいやだった。
今思えばたかだか1メートル程度の深さだったのだろう。
しかしちいさな僕には、その真っ暗な穴はどこまでも深く、救いようのない場所へとつながっているように思えて仕方がなかった。
トイレに置かれていたPHPという本を読んで気を紛らわせなければ、とてもうんこなんて出来なかった。
トイレにPHPを置いていたのは、母だったと思う。
その本は定期的に新しいものに入れ替わっていた。
トイレにPHPがあったおかげで、僕はうんこをするたびに、うんこをする前よりすこし前向きな気持ちになれたし、固定観念を入れ替えることができたのかもしれない。ケツを丸出しにしながら。

僕はすこし変わった子供だった。
自分でそう思っていたのではなく、何度か大人に言われることで自覚した。
誰も泣かない場面で泣いてしまったり、死というものについて執着的な関心があったり、そこらへんにいるなんでもない虫(ワラジムシやコオロギなんか)を飼育して繁殖させたり、たしかに思い返すと気味の悪い子供であったかもしれない。

ある時、音楽の授業で「グリーングリーン」という曲を歌う時間があった。
皆はめんどくさそうだったり、上手に歌おうとしていたり、それぞれが何事もなく授業をやり過ごそうとしていた。
しかし、僕は完全に精神の安定を失っていた。
どうしてみんなはこの歌詞を読んで平気でいられるのだろうと思った。
僕は歌い始めてすぐに、大声で泣きだしてしまった。
それは音楽室が騒然となってしまうくらいの号泣だった。
皆はどうして僕が泣いているのか理解できずに戸惑っていた。
何人かが「大丈夫?」と声をかけてくれたのだけれど、僕は泣かずに歌える皆のほうが「大丈夫」ではないような気がした。
結局僕は泣き止むことができずに、保健室に連行された。

それから十数年が経ったある時期、僕は思うところがあって放浪していた。
震災のあとだった。
あの出来事をきっかけに、人間のあらゆる姿が露呈して、僕はいろいろなことがわからなくなった。
考え事をするためには限りなく独りになることが必要な気がした。
ある夜、僕は誰も寄り付かない砂浜に寝転がり、夜空を見上げていた。
僕はこれからどこへ行って、なにをするのだろう。
そもそも、僕にこれからなんてあるのだろうか。
すでに肌寒い秋の夜で、ときどき曇る眼鏡の水分を風が拭った。
ふと、眼鏡の枠の内側に、先ほどまでは見えていなかった星があることに気付いた。
僕はじっとしたままで、頭を動かしていない。
あぁ、星空が動いているのだな、と僕は思った。

次の瞬間、僕は愕然とした。
違う。
星空は動いていない。
巨大な地球が回っているのだ。
その感覚は恐怖にも似ていた。
ありきたりで当たり前な、幼稚ですらあるその常識は、体感することで恐ろしい現実として目の前に立ちはだかった。
あまりにも巨大な星の表面に、ミクロのように小さい僕が、重力で貼り付けられて回っている。

僕は大声で泣いた。
どうして自分が泣いているのかわからなかったけれど、泣いてはいけない理由もわからなかった。
誰もいないはずだけれど、誰かに聞かれてもいいや、と思った。
この真っ暗な砂浜は、あの日恐れていた穴の底かもしれない。
救いようのない場所かもしれない。
それでも僕は生きなければならないのだ。
あの日の音楽室のように、誰にも理解してもらえないかもしれない。
それでも僕は歌わなくてはならないのだ。

僕は真っ暗な砂浜で、生きづらさを感じていたあの日の僕に届くように、大きな声でグリーングリーンを歌った。

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