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小説 : アフリカの山羊座【2000字ジャスト】

「今朝あなたの星座最下位だったわよ」と、事務所のドアを開けるなり先輩が言った。
殺意とまでは言わないけれど、頭突きしたいくらいの気持ちにはなった。
私は山羊座なのだ。
「え~悲しい~」と私は言った。
悲しませることが目的なのだろうから、悲しいふりでもすれば満足なのだろう。
「元気だしなさい」と先輩は言った。
私は額を突き出して威嚇した。
頷いただけに見えたと思う。

占いというのは、どこまでを対象範囲にしているのだろう。
今朝、テレビで占いを見た人だけなのか。
信じる人だけなのか。
認識しなければ存在しない、という話なのだろうか。
「あなたの星座は今朝の占いで最下位だった」と知らされた瞬間に、私は最下位になるのだろうか。
それは呪いとなにが違うのだろう。

仕事のしやすい昼下がりだった。
雨も降らず、風も吹かず、日差しは柔らかく、突発的なトラブルもなく、いつもイライラしている上司は出張で、いつかやろうと先延ばしにしていた伝票の整理をする気が起きるくらいだった。
早退して猫カフェにでも行きたくなったし、本当にそうしてしまっても支障がなさそうな日だった。
そしてそうした。

その猫カフェは山にあった。
と言っても、最終的に身体に塩を揉み込まなければいけなくなることを恐れるほどではない。
騒々しい通りをふいっと左折してしまい、両側に広がる田園風景を20分も眺めていれば着いてしまう程度の、程よい距離の場所にあった。
だから正確には「山側に」と言ったほうがいいのかもしれない。

猫たちはいつものようにやる気がなかった。
私が店に入っても熱烈に歓迎してくれるわけでもなく、嫌がるでもなく、ましてや耳をぴくりと動かすこともなかった。
最高かよ、と私は思った。
私は猫たちに無視されに来たのだ。
「あれ?今日はお休み?」と店主が言った。
「サボりです」と私は答えた。
「最高じゃん」と、店主は言った。
私の母親と同じくらいの年齢であるはずの女性店主は、いつも年齢に見合わない若い話し方をした。
こんな人が自分の母親なら素敵だろうな、と私は思った。

「コーヒー?ホット?」と店主は言った。
私はいつも通りなにも言う必要がなかったので、笑顔で頷いた。
そうである可能性は存分に高かったので、私は聞かないほうがいいかとも思ったのだけれど、結局は聞いてみた。
「占いとかって信じます?」
「占い?」
「朝のテレビとかで、あるじゃないですか」
「んー、どうだろう」と、店主は曖昧に答えた。
やはり聞かないほうがよかったのだろうか、と私は思った。
灰色の猫があくびをした。
「信じても信じなくても、どちらでもいいと思うけど、少なくとも私はわざわざ見ない、って感じかな」と店主は言った。
「あーいいですねそれ」と私は言った。

私が今朝会社であった話をすると、店主は笑った。
「ほっといてほしいなーって思いましたよね」と私が言うと、店主は言った。
「そういうコミュニケーションの方法しか知らない人って、いるからね。しょうがないよ」
「きっと私が良い運勢のときは、言ってきたりしないんだろうなぁって」
「まんまとイライラしちゃわないようにしてるの、すごく偉いね」
「わぁ、すごい嬉しい」と、私は素直に喜んだ。
珍しく、猫が私の膝に乗ってきた。
茶色で長毛の猫だった。
私は猫が好きだけれど、種類などを覚えるのは苦手だった。
かわいいものがかわいく存在しているだけで十分じゃないか。

「占いとか星座のない国にでも行ったら、こんなこともないんですかね」と私は言った。
「どうだろうね」と、店主は答えた。
「アフリカにでも行けばいいのかな」
「アフリカにも山羊座の人はいるんじゃない?」
「そうなのかな」
「たぶんね」と、店主は言った。
私はアフリカの山羊座について考えてみた。
アフリカの私は、星空を見上げて一喜一憂していた。
膝の上の猫がごろごろと喉を鳴らした。

帰り道の夕焼けを眺めながら、私は山の猫カフェがあることを幸せに思った。
ほどほどに仕事をして、ときどき猫に無視されに行って、のんびりとコーヒーを飲んで、それをこの先もずっと繰り返して、いつの間にか店主のような素敵な女性になれたらいいな、と私は思った。

その夜、私は湯船に浸かりながら、とつぜん強い怒りに襲われた。
何に対する怒りなのかはわからない。
占いにではない。先輩にでもない。世の中にでもない。具体的な対象は思い浮かばなかった。
私は桶を壁に投げつけ、マットに噛みつき、ボディタオルを引き裂き、浴室のドアをブラシで殴りつけた。
涙は出なかった。
叫びもしなかった。
心拍数だけが経験したことのない程に上がっていた。
私は息を吐いて湯船に沈み込んだ。
そんなことをしても死ねないのはわかっているし、死のうと思ったわけでもなかった。
それでも私はそうせずにはいられなかった。

しばらくすると、私は私に戻っていた。
何事もなかったようにドライヤーで髪を乾かしながら、はやく猫になれたらいいな、と私は思った。

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