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小説:ハルノシュラ【2000字ジャスト】

「いやーモトサなんてするもんじゃないね」
そう言って彼女は、手に持ったペットボトルで丸めたレポート用紙を打った。
私が捕りそこねたレポート球は、窓際のラジエーターの下に転がった。
火傷しないように拾いながら私は聞いてみた。
「モトサ?」
「元カレサーチ」
「あぁ」
私が次の球を投げようとすると、彼女が言った。
「いや聞いてこいよ」
「なにが?」
「どうしたのとかさ、ほうほうそれでとかさ」
「だってぜったいめんどくさい話じゃん」
「なんか昨日SNS見てたらさ、視界のはじに」
「おい聞いてねぇよ、スタートすんな」
「まぁまぁ。んで視界のはじになんか見覚えある名前ちらっと見えたのね。あれ?あたしブロックせんかった?っつって」
「すでにめんどくせー」
私はそのアカウントのことを知らないふりをしてそう答えた。
「んで一旦見なかったことにしたんだ。でもまぁ、それで寝れるわけねーじゃん」
「見なかったことにできたらすごいね。神経ごんぶと」
「どうせモヤモヤすんなら、見てモヤモヤするか、って検索しちゃったのね。まぁ結果、寝てないよね昨日の夜」
「それで午前中ずっと寝てたのか」
「だって先生が子守歌を」
「子守歌じゃないし、先生は子守歌を歌うために教員免許とったんじゃないと思う」
「そう考えるとなんか申し訳ないな。謝っとこう。ごめんねごめんねー」
私は無言で彼女にレポート球を投げた。

雪こそ積もっていなかったが、一歩廊下に出れば切れるような冷たさだった。
だから休み時間も教室の中で暇をつぶすことになる。
「はやく冬が終わらないかな」と、一応まわりに合わせては言うものの、私は冬が嫌いなわけではなかった。

私は冬の朝が好きだ。
朝が来るというよりも、夜が薄れていくような冬の朝が。
私はいつも早起きして、冷たく乾いた清潔な冬の空気を胸いっぱいに吸い込む。
鼻の奥が凍り付くように痛む。
その痛みは、私が冬の空気のように清らかでないことを思い知らせる。

入学して間もない頃、彼女は私に話しかけてきた。
「え、それこないだのアルバムに入ってたステッカーだよね」
私のペンケースのことを言っていると気が付くまでに、私は3秒ほどフリーズした。
ペンケースには、あるバンドのステッカーが貼ってあった。
「あたし以外で聴いてる人はじめてみた。ってかステッカー貼っちゃうんだ、もったいねー」
彼女のような今どきの女の子が、あんな実験的でまわりくどいバンドの音楽を聴くということがあまりうまく想像できなかった私は、なんと答えたらいいのかわからなかった。
そんな私の様子を見て、彼女は笑った。
「ねぇあたし、ここ数年のアルバムしか持ってないんだけど、もしかして最初の頃のやつ持ってる?」
「持ってるけど、ネットでもどっかで聴けるんじゃない?」
「ネットで聴いた音楽で感動したことある?」
「ない」と私は答えた。
そうして彼女と私は友人になった。

私は夏の夕暮れが嫌いだ。
それは惨めな地獄を思わせる。
まとわりつく熱と湿度に逃げ場をなくし、ねばつく空気が肺を侵食する。
苦しみがやっと過ぎ去ったと安堵する夕暮れ時には、次の苦しみはすぐにやってくるという事実から必死で目を逸らすしかない。
私は夏の夕暮れが嫌いだ。

午後の授業を受けている時に、彼女の机の中がちらっと見えた。
そこにはペットボトルとレポート球が入っていた。
ただのゴミなのに、そこにしまわれたそれらはまるで幼い子供の宝物のように見えた。
幼い子供、と私は思った。
そしてぼんやりと、彼女の涙を思い出した。
彼女が元カレと別れたとき、彼女は幼い子供のように泣いた。
私はうまく慰めることができなかったので、彼女の隣に座って何も言えずに手を握っていた。
気の利いた言葉が言えないなら、なにも言わないほうがいいだろうと思った。
しかし彼女は言った。
「なんか言って」
「この前、バーでケビンと飲んでたんだ。するとバーのマスターが」
「アメリカンジョークはいちばん今じゃないやつ」
そう言って彼女は笑った。

私は秋になりたい。
いつもなかったことにされてしまうから。
今年は秋が短かったね、と毎年のように人は言う。
私は秋になりたい。
気が付けばそこにあって、気が付けば過ぎていくものに。
大好きな冬にも、大嫌いな夏にもなりたくはない。

ところで、私は彼女の元カレの顔を知っているけれど、向こうは私のことを知らない。
嫌というほど、というか最初から嫌だったのだけれど、さんざんその元カレのアカウントを調べたからだ。
彼はそれを知らない。なにも知らない。
彼女が泣いたことも知らないだろうし、彼のアカウントがこれから炎上することも知らないだろう。

放課後、コンビニから出てきた彼女は肉まんを両手に持っていた。
「これすっごい食べたかったの。こないだ出たやつ」
「だからってふたつ食べなくても」
「ちがうよ!くいしんぼキャラにしないで!ひとつはハルの」
そう言って彼女は私に肉まんをくれた。
肉まんはとても美味しかった。

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