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【小説】なし太【2000字ジャスト】

なし太は自分の名前が嫌いだった。
漢字で書けば果物の梨なのだけれど、瑞々しく生命力のある人間に育ってほしいと名付けた両親の思いとは裏腹に、学校では玉なし太だとか根性なし太などと呼ばれ、いじめられていた。
なし太はそれでもただ微笑んでいた。
微笑んではいたのだけれど、そこではないどこかのほうが好きだった。
なし太は学校にあまり行かなくなり、とはいえ家にいるのもいやで、山でひとりで遊ぶほうがずっと楽しかった。
家にいると両親がなし太に謝るのが、なし太は嫌だった。
なんと言っていいのかわからなくなっているうちに、なし太はうまく声が出せなくなった。

村の大人たちもそれを知っていて、毎日山に向かうなし太に「お、今日も元気に山の子か」と声をかけた。なし太はただ黙ってうなずいた。なし太が声を出せない子供なのは、村のみんなが知っていた。
人と関わることが苦手ななし太は、いつのまにか声の出し方を忘れてしまっていた。

そのかわりといってはなんだけれど、植物や動物の言葉がわかるようになった。いや、植物も動物も言葉を持たないから、それは抽象的な感情のようなものだったのだけれど、なし太にとってはそのほうがずっと自然なことのように思えた。

植物や動物は、人間よりずっと多くのことを知っていた。面倒くさいシステムを作ってしまった人間よりも、遥かに生きる事に忠実だった。
自然はなし太のよい先生になった。
命の脆さ、生命の謳歌、命を食って命があること、太陽はすごいこと、いろいろなことをなし太に教えた。
このまま言葉を忘れて、木の実や山菜を山にもらって生きられれば、それでいいのかもしれないな、となし太は思った。

なし太はいつも、小高い山の上にあるクスノキのまわりで遊んでいた。
クスノキは、最初は戸惑った。
この子供は、本当に人間なのだろうかと。
クスノキは追い返すこともできた。
しかしクスノキは、言葉を越えた言葉を使う人間に怯えていたことに気が付いた。

クスノキはなし太を受け入れた。
在りたい場所に在るのが良いよ、とクスノキはなし太に言った。
クスノキはなんでも知っていた。
おそらくは、この先なし太がどうなるかも。
それら全てを飲み込んだ上で、クスノキはなし太に優しく語りかけた。
「なし太、ここに居るのがいいよ。笑っていなさい」とクスノキは言った。
なし太はクスノキの根元をほじって虫を探していた。
なし太は聞いていなかった。
クスノキは微笑んだ。
クスノキにもし涙腺があれば、涙を流していたのだろうと思う。

ある夜のこと、なし太は山が呼ぶ声で飛び起きた。いままでこんなことは無かった。
なし太は月明かりを頼りに、山へ走った。
山に登ると、大きなクスノキのまわりに動物たちが集まっていた。
大きなクスノキが言った。
「なし太、よく来た。ここに居れば大丈夫だ」
なにがあったの?となし太は聞いてみた。
クスノキの話を聞いて、なし太は震えた。
しかし次の瞬間、なし太は迷うことなく村へ走った。

なし太は暗い山道を走りながら、必死で声の出し方を思い出そうとした。
けれどどうしても、声の出し方を思い出せなかった。
なし太は迷うことなく、自分の小指を折った。
するといままでに出したこともないような、村の誰よりも大きな叫び声が出た。
よし、これでなんとかなる、となし太は思った。

村の家々の戸をたたき、なし太は大声で村人を起こしてまわった。
なし太の大声なんてはじめて聞いた村人達は、驚きながらも、なし太の言うことに従い、山に向かった。

山に集まった村人達が、戸惑いながら話をした。
「なし太が来たんだよ。大声で叫びながら。なし太の大声なんてはじめて聞いたもんだから、夢かと思ったんだ」
「俺もそうだ。でもあれは確かになし太の声だった。なし太の声なんて知らねぇのに」
それからすぐに、大きな地震がきて、村は津波に流された。
「……おい、なし太は?」
村人はみんなを確認しあったが、なし太だけが見つからなかった。

村を元に戻すための忙しい日々が続いていたある日、数名の村の代表がなし太の両親の家を訪れた。
村人たちは、なし太の両親にお願いをした。
「あの人をなし太ではなく、「りた」と呼ばせてくれないだろうか」という内容だった。

それから、村は以前とは比べ物にならない程に栄えた。
その村では、誰もが誰かのために生きる事を志していた。
脅迫も強制も存在しないのに、ただ純粋に良くありたいと願う事が当たり前になっていた。
梨太がなにをしたのかを、村人たちは理解していた。

誰が建てたのかわからない石碑が、いつの間にか村の小高い山のふもとに建っていた。
その石碑に刻まれた「梨太心」という文字は、利他心の文字を間違えたものではなく、救済する者という意味の言葉だそうだ。

(正直に言うと、これは小説ではない。とある古い歴史書に載っていた話だ。もちろん特定ができないように、細部は脚色した上で、読みやすいように小説の形に再編成させて頂いた)


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