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Bill Evansの映画

すこし前に観た映画のことなど。

Bill Evans『time remembered』

「音色」という言葉はこの人の奏でるピアノのためにあるんじゃないかなと思うほど、優雅で空間的。その絶妙な打鍵を映像で見ることができるという意味でも貴重な映画。
個人的には、自分がどんなにかビル・エヴァンスの音楽を愛しているか、涙を流して再確認したドキュメンタリー映画だった。

マイルスに貢献しまくったkind of Blueはもちろん、スコット・ラファロとの軽妙な掛け合いのIsrael、ジム・ホールとの色気たっぷりのUndercurrent、オーケストラと共演したSymbiosisなどなど、映画には出てこない曲まで思い出して感極まってしまった。

独特のテンポ感がレコード録音との親和性ばっちりで、それもまた、たまらない。

一方で関係者に「自分自身にのみ献身的。多くの人を傷つけた」と評されるクズっぷり。

犠牲を厭わずエゴを貫き素晴らしい作品を作る一方で、寂しさを埋める対象に依存する悲劇的で破天荒な姿が「天才」とみなされる20世紀的なテンプレ、まだまだ強いですね。

あほ、とスリッパで君の頭をはたきたい。

才能というのは、悪魔に魂を売るような破滅的な人生を歩むから磨かれるわけでも、人間味のある生活を営んだり調和のとれた人格を身につけたりしたら失われるわけでもない。
そんなものは安い作品主義、才能主義の幻想よ。

逆説的なようだが、だいたいが作品を作ったり表現したりせずにいられないような作家のどうしようもないエゴや孤独が、家族や恋人の存在ぐらいで簡単に埋まったり、創作のネジが緩んだりしてたまるかという話だ。
創作に関していえば、孤独はそれぞれのもの。
誰にも代わることのできない孤独を抱えて立つ姿に寄り添うのが家族や本当の友達だし、当たり前の孤独を抱えていること自体が不幸だとか破壊だとかに直結するなど、あほの極みである。

ビル・エヴァンスの晩年の録音が、絶対的に上手いのにもかかわらず間の取り方(呼吸)が早まって角が立ってるように聞こえたのは、おそらくコカインの影響。短時間で切れるのが自覚できるから指が焦るのだ。美しい間合いによる正確無比な演奏をする人からしたら、さぞかし自信を失くしたことだろう。若い頃のストイックな感性も失って、至極残念。緩慢な自殺とは言い得て妙。どんな才能も、生きている人格としての自覚が無ければ、ただのshit, oh shit.

そういえば、
「前だったら、完全にビル目線で陶酔して、ああビル哀しいよ…美しいよ…とか思ってたけど、今は、あかーん!ビルおまえ、人としてあかーん!て胸が痛む」と夫が言ってて、所謂前時代のアーティストらしさなるイメージに則るのが筋だと信じ込んでいたひとにとっては、そういう教訓の得方もあるのかと思った。

とっぴんぱらりのぷぅ。

#ビルエヴァンス #ジャズ #音楽 #billevans #jazz #music #人生

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