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両親と離れて暮らす日々

小学校1.2年生は父方の祖母の家から学校に通っていました。

工場とその近くのアパートに住んでいましたが工場ということで住民票は祖母の家のままでした。
今の融通の利くご時世とは違い住民票のあるところから通うことになったのだと思います。

今から思えば住民票を工場か工場近くのアパートに移してくれていたら、両親の元から通えたはずです。
両親はそういうことには全く無頓着でした。

その無頓着ゆえなのか、多忙過ぎるのが原因か、私が思い描く普通のドラマで見る暖かい家庭とは少し異なる家庭でした。 
今でも少し子供に関心があまりなかったのでは?と思ったりもしてます。
そんなこともあってか、どこかいつも寂しい思いをしていたのだと思います。
 
その中で私はどんどん「愛されてはいない自分」を作り上げていきました。

それは私が「自分で感じて自分でレッテルを貼って作りあげた自分」なのだと色んな経験を経て大人になった今の私なら思う事が出来ますが、小さな幼い未熟な私にはそれは、とても難しいことでした…


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