コンテンツの「量質論」は、読者ペルソナの夢を見るか?
「コンテンツは量なのか、質なのか。」
よく目にしますよね。この捉え方になんとなく違和感をもったので、ちょっと考えてみました。
量質論で見落としがちな読者視点
メディアやコンテンツの量と質の議論においては、次のようなイタチごっこになりやすいですよね。
でもコレって発信者側視点での都合であって、読者視点が前提に踏まえられていないことが多く、どちらかというと検索順位やらトラフィックやらの Google 視点なんですよね。
Googleは読者を代弁してくれない
確かに Search Console や Google Analytics などから、量や質を改善するうえで多少のヒントは得られても、きっと決定打には至りません。
場合によっては方向性を誤り、読者から見たメディアやコンテンツのバリューが伸び悩む可能性すらあります。
Google が読者にかわって必要とする質や量を代弁してくれるわけではないからです。
極端な例を挙げます。
これは果たして読者にとって良質な記事か?
もちろん人によっては楽しめると思います。回遊率が高いとのことで、アドネットワークが収益源ならメディア側としても価値が高そうです。
でも僕がサッカー初心者ならきっとこう思います。
「御託はいいから、動画か何かでサクッと3分程度で解説してほしい……。」
余談ですが、回遊率が高いのは、もしかしたら的確なナビゲーションをされていないから読者が迷っている可能性がある。
読者像が明確でない、なおかつ Google や定量情報だけでアナリティクスと向き合ってしまっている例ですね。
例・サッカー監督を目指す読者に必要なのは?
これまた極端ですが例を挙げます。
「サッカーの監督を目指す人」に向けたメディアがあったとします(実際にあるかは知らない)。
監督をやるからにはポジションごとの情報はもちろん、フォーメーションや戦術などの基礎知識が必要です。
そんななか、
逆に、
……きっと「どっちか」では片手落ちなんじゃなかろうかと感じます。
事業としてトラフィックは増えたとしても、あるいは読者が「この記事面白かった!」と一時的に感じたとしても、これだけではサッカーの監督を目指す読者ビジョンを叶えうるメディア像とはかけ離れてしまう可能性が高いと。
そもそも、「そのコンテンツって新米監督向けに必要なのか」とか「そのメディアって競合なんでしたっけ、というかそのKWを読者が求めているんでしたっけ」って話もあります。
読者視点があってこその量・質
僕は、必要な「量」も、必要な「質」も読者によって決まると考えています。
とはいえ、彼らが直接的に量や質を決めてくれるわけでもありませんし、ましてや Google 先生やアルゴリズム、アナリティクスが教えてくれるわけでもありません。
自ら解像度を高めるべく、読者像に近い方々と会話し、仮説を立てる。そして検証する。
その上で、必要な量や質を、読者の代弁者となって自ら定めていきたいですね。
--- 本題ここまで ---
【おまけ】量と質を定めるヒント
とかなんとか書くなかで、「必要な量や質を、読者にかわって自ら決断していく必要があるんじゃないかと考えています。」と述べました。
書きっぱなしでは、言うだけ言ってしまっている感があるので、ヒントをお届けできればと思います。
「ペルソナ」でテーマと切り口を定める
まず、量を決めるヒントとしてペルソナが必要です。ペルソナがあることで、そのメディアに読者が求めるテーマと切り口の範囲が定まります。
(ペルソナ複数論や、ペルソナ不要論などもありますが、ここでは考慮しないことにします)
例えば、超ざっくりペルソナを、
のように置いたとすると、
・テーマとしては「フォーメーション」「ポジション」「戦術」など
・切り口としては「練習」「実戦」など
が、それぞれ挙げられるでしょう。選手の信頼を得られていないフェーズなので、これらの題材以外にコミュニケーションのとり方などのコンテンツも必要そうですね。
「コンテンツマトリクス」で必要な情報範囲を定める
次にペルソナをもとに「コンテンツマトリクス」を作成します。
「コンテンツマトリクス」は、軸となるテーマとその切り口をマトリクス形式に整理し掛け合わせるものです。もちろんテーマ同士を掛け合わせるのもアリです。
上記をもとにかけ合わせて埋めていくと、例えばこのようになるでしょう。
これにより、必要な量は大体定まってくるはずです。
こうやって考えると、いわゆる「量」って多い少ないの話ではなく、必要な情報範囲の網羅性を指すんだと感じます。
※ ちなみに、辞典的な網羅性を目指すのか、トレンド中心のコラムメディアを目指すのか。そもそもメディアのビジネスモデルが、商業メディアなのかオウンドメディアなどなどによっても変わってくるはずです。
再度ペルソナをもとに、適切な「深度」「品質」を定める
ここまで定まったらコンテンツの質、つまり1記事あたりの深さを決めていくことになります。深さ is 理解すべき適切な水準やその構成のことです。
テキスト量が豊富であればいいとか、レベルが高ければいいというわけではなく、適切さが重要だと思います。
先程のペルソナであるマサユキは、新米監督ながら市大会突破を目指します。8校なので、全部で3勝が必要です。このペルソナに沿って深さを決めていきます。
市でトップ水準なので、中学サッカーとしてはそこそこのレベルを求められると。
「新米監督に贈る、中学サッカー戦術チェックリスト10」などのコンテンツでは、勝ち上がるチームの監督が得る情報量としては少なそうですよね。一方で、極端ですがバルサやマドリーが実践する上級戦術の解説コンテンツを用意されても「ハ、ハイレベル・・・!」と感じるだけであって、目先で役に立つものではないでしょう。
ペルソナが必要としている水準に適した情報深度と構成のもと、権威性・専門性・信頼性を担保し、そのうえで読みやすい文章に編集していくことで初めて高品質と言えるのかもしれません。
こうやって考えると、いわゆる「質」って「適切な深度」と「適切な品質」と「可読性」に分解できそうだなと。「適切な深度」と「適切な品質」は企画構成時の、「可読性」は編集時の腕の見せ所でしょうね。
なおペルソナに沿った設定例が難しいのでこちらは割愛させていただきます。とはいえ、記事ごとの具体的な企画構成は、下記のフレームワークが参考になるかもしれません。ご覧いただければ幸いです!
読者視点で量・質の解像度を高めたい
今回【おまけ】を書いていくうちに、そもそも「量」や「質」って捉え方は、えてして曖昧になりやすいものなんだと思えてきました。できるだけ具体的に捉えたいですね。
以下再掲します。
上記を読者視点で捉えることで解像度を高め、よりバリューのあるメディアやコンテンツの枠組みを定める。
この前提に立つと、「量」か「質」の二元論で捉えるものではなくなってきそうですね。一方ですべてを同時に実行できるわけではありません。
そのため、ペルソナに基づき「質」と「量」を定義したあとは、具体的な実行に移るにあたり「質」を満たすことを前提に「量」も満たすべく、リソースに応じた実現可能性の高いグロース計画を立てる。そこでは、コンテンツマトリクスをもとに優先順位の高い大枠のテーマごと(例:フォーメーション)に段階的に配信していく。
これがベターなのかベストなのかはさておき、月並みだけど三方よしを常に念頭におけると良さそうだな〜と感じるふじじゅんでした。
僕もまた今日から頑張ります😎
いつもお読みいただきありがとうございます! 笑顔で生きる糧になります😍 今後とも🍢ふじじゅん🍢をよろしくお願いします!