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日本の学芸員という職業(1)

 学芸員という職業に憧れる、という声をしばしば仄聞する。どういう点に、どんな理由で憧れているかは人それぞれなのだろう。でも、一方で、がっかりして辞めてしまう人もいる。この職業に就いてから辞めるのも、志の途中でこの職業自体をあきらめてしまうのも、どちらもある。それは、他のさまざまな職業と同様に、学芸員もまた、憧れる面ばかりの素敵な職業ではないということだ。
 僕は「学芸員」という職名で、現地調査、文化財行政、博物館という学芸員が担う主要な3つの畑を経験して20年、今に至っている。その中で得た経験や、面白さ、喜びは言葉で伝えきれないくらいたくさんで、多様なものだけれど、それらは職業人や、何かの職業に就く意志のある人ならば、学芸員でない人にも少なからず想像できるだろう。でも、苦労や苦難、限界感、不満...といった負の部分を理解する機会はほとんどないのではないか。
 僕の場合、これまでを若い時から順を追っていくと、
①考古学を勉強してその専門的職業に就きたいという強い希望で大学進学
②進学後、2回生進級時の専攻分けで考古学専攻に入れず
③他専攻に進級し、その傍らで個人的に考古学の先生にお願いして考古学専攻の授業に参加させてもらうモグリ学生として考古学を勉強
④学部生の間に、ある他大学の先生の知遇を得たことをきっかけにして、学部卒業後はその大学の考古学専攻の大学院修士課程に進学
⑤全国で考古学の学芸員採用ほぼ皆無の暗黒時代、博士課程に進学希望だったが、わずかにあった採用試験を練習のつもりで受験したら偶然合格して現自治体の学芸員に就職
⑥就職して8年後から、仕事の傍ら、母校の大学院博士課程に入学して最大年限まで費やしてようやく博士学位取得
 というやや曲折ある履歴を経てしまった。だから、今の職業に就くまでに選択の機会はとても限られていたし、その状況に合わせて妥協してしまった自分自身の思慮不足もあったと思う。でも、仕事も研究も、楽しみつつも必死に一生懸命やってきたことは確かで、一時期は身体を壊して数ヶ月間療養休職したこともある。そんな経歴の中で、日本の学芸員という職業は、一体何だろうと考えて、その魅力と問題点を強く意識するようになった。
 将来学芸員になろうとか、学芸員を理解しようとか思うときに、一度自分の学芸員像の中心にあるものを整理した方がいい。学問研究なのか、イベント(展示)企画なのか、人に知的好奇心を伝えること(教育も)なのか、それとも学問研究もしっかりやりつつその成果をイベントや普及・教育を通して社会に還元していくことなのか。...などなど。自分の関心やアイデアに基づいて、学問研究もイベントも普及・教育も、新しい事業開拓も、昔から好きだったことを仕事にして何でも取り組める職業だという漠然としたイメージの学芸員像は、40年以上前ならいざ知らず、今は事実上存在しない。なので、現実を知ってからショックを受ける人も少なくない。自分がイメージする学芸員像が、今の日本の実際の学芸員像とマッチしているのかどうか、あらかじめ整理しておかないと、後悔することにもなりかねないと思う。
(2に続く)

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