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熊野古道・西国三十三所

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#熊野古道紀伊路

紀伊路⑫津波を防ぐ島は神様(切目~田辺)

紀伊路⑫津波を防ぐ島は神様(切目~田辺)

みかんから梅へ

 切目神社(印南町)の鎮守の森から下るとすぐ切目の町だ。仕出し屋やたばこ、パチンコ、接骨院……ほとんどシャッターを閉じているが、にぎやかな時代があったのだ。
 切目駅で紀勢線の線路をくぐり、急坂をのぼりつめた海を望む稜線に中山王子神社があった。
 本殿わきの小さなお堂は明治期に合祀された「足の宮」だ。
 足を痛めて死んだ山伏を村人が丁重に葬ったところ、墓標が山吹色に輝いた。以来、

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紀伊路⑪鰹節発祥の地(塩屋~印南)

紀伊路⑪鰹節発祥の地(塩屋~印南)

切り花と民間信仰の道

 御坊市の海沿いの塩屋地区の光専寺には、樹高14メートル、幹周6メートル超、推定樹齢600年以上というビャクシンの巨樹がそびえる。竜巻が渦巻いて空に吸い込まれていくような形状で、大蛇になった清姫を彷彿させる。
 観音山の坂をのぼると、海の眺望が広がる。色とりどりの花が咲く温室があちこちに立っている。
「このへんは潮があるからミカンができず、昔はサツマイモなどをつくっていた。

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紀伊路⑩二階王国を震撼させたふたつの選挙(御坊駅~塩屋)

紀伊路⑩二階王国を震撼させたふたつの選挙(御坊駅~塩屋)

悲劇のテロリストの墓

 6月初め、1カ月ぶりに御坊駅におりると、0番線に1両だけの気動車が停まっていた。かつて「日本一短いローカル私鉄」として鉄道ファンに注目された紀州鉄道だ。街外れにある紀勢線御坊駅と御坊市街地を結ぶため1931年に開通し、現在は西御坊駅まで計5駅2.7キロを往復している。
 御坊駅の近くの湯川子安神社には推定樹齢千年のクスノキがそびえ、農村に開けた住宅地のところどころに沖縄で

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紀伊路⑨巨石も森も神だった(湯浅〜御坊)

紀伊路⑨巨石も森も神だった(湯浅〜御坊)

神仏習合の大権現
 約20の風車がくるくる回る山に向かって歩いていると、田んぼから今年はじめてカエルの声が聞こえてきた。
 津兼(井関)王子跡は、阪和自動車道広川インターの建設工事で消滅したが、インター脇に碑が立っている。

 旧道沿いを10分たどると、山の斜面に無数の鳥居がへばりついている。きつねを祀る伏見稲荷大神、弘法大師のお堂、白龍大明神、王子大権現……10以上の神仏の集合体だ。「丹賀大権現

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紀伊路⑧峠道から醬油の町へ(拝ノ峠~湯浅)

紀伊路⑧峠道から醬油の町へ(拝ノ峠~湯浅)

巡礼の墓

 拝ノ峠から少し歩くと有田市に入る。尾根から下ると、蕪坂塔下王子跡、太刀の宮(かつての道祖神)、「爪かき地蔵」とつづく。「爪かき地蔵」は自然石に阿弥陀仏と地蔵を線刻している。室町時代の作だが、弘法大師が爪で描いたと伝えられている。現地では暗くて見えなかったが後から写真を見ると、たしかに地蔵が描かれていた。

 ふもとの集落の「山口王子跡」の先に、亡くなった巡礼者の墓石や板碑を集めた「伏

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紀伊路⑦みかんの原種は常世から(海南〜拝ノ峠)

紀伊路⑦みかんの原種は常世から(海南〜拝ノ峠)

熊野信仰で広まる「鈴木さん」

 早朝の海南の町は朝靄にけぶっている。古びた商店がならぶ旧街道を、緑の屏風のようにそびえる山へ向かう。
 藤代神社への途中、左手の山道に分け入ると、十番、十五番……と刻まれた石仏が斜面にならんでいる。ミニ四国八十八カ所だ。
 源平の争乱で熊野水軍が源氏に与したことで熊野修験者が四国に浸透し、辺路修行の行場をネットワーク化したことが「四国八十八カ所」につながったという

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紀伊路⑥埋蔵金と出雲の不思議(布施屋〜海南)

紀伊路⑥埋蔵金と出雲の不思議(布施屋〜海南)

埋蔵金の山

 JR和歌山線の布施屋(ほしや)駅におりると、低く垂れこんだ曇から時折雨粒が落ちてきた。
 山に向かって住宅地を進んだ三叉路に、お堂やスタンプ台を備えた川端王子跡があった。
 左手の高積山(237メートル)はてんこ盛りのごはんみたい。こうした神奈備型の山は信仰や伝説があるものだ。
 高積山には「朝日サシ夕日輝ク其ノ中ニ大判千枚小判千枚朱8石(3石)オハシマス」と埋蔵金伝説が伝えられて

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紀伊路⑤国の境 ムラの境(山中渓〜布施屋)

紀伊路⑤国の境 ムラの境(山中渓〜布施屋)

仇討ちも事故も押し付け合い

 5月はじめ、JR紀勢線の山中渓駅におりると、燃えるような新緑の山峡にウグイスの声が響いていた。峠道を走るランナーが5人おりたが、コロナのせいか観光客の姿はない。
 駅前から峠に向かう県道を歩くと、ロードレーサーに次々に追い抜かれる。山中関所跡は石碑が倒れている。南北朝時代から関所だったが、江戸時代に廃止されたという。
 並行する阪和自動車道やJR紀勢線は何度も往復し

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紀伊路④和泉橋本~山中渓

紀伊路④和泉橋本~山中渓

虚栄の塔

 JR和泉橋本駅(貝塚市)近くの正福寺が鞍持王子の跡らしいがわからなかった。駅から20分ほどの南近義(みなみこぎ)神社は、鎮守の森に囲まれ、境内は明るい。もとは丹生神社と呼ばれたが、明治40から42年にかけて南近義地域の神社をまとめて南近義神社と改名された。鞍持王子と近木王子も合祀された。 旧街道を泉佐野市に入ると、蝶が舞うため池の向こうに、1996年に竣工したりんくうゲートタワービル

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紀伊路③仁徳陵から貝塚へ

紀伊路③仁徳陵から貝塚へ


大社になれなかった氷川神社
 大仙陵古墳からは、工場と住宅が農村を蚕食して形成されたちょっと殺風景な町をたどる。「日本最古の戎宮」石津神社を経て門前町風の街並みに入ると大鳥大社だ。寺社が中心にある町はどこも独得の落ち着きがある。
「大社」という名は、もとは出雲大社(島根県)だけに使われていたが、19世紀末になって、春日大社(奈良県)や諏訪大社(長野県)なども大社と呼ばれるようになった。戦前は、全

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熊野古道・紀伊路②釜ヶ崎から仁徳天皇陵へ

熊野古道・紀伊路②釜ヶ崎から仁徳天皇陵へ

飛田新地と釜ヶ崎
 日本1高いビル「あべのハルカス」の足もとは全国でもめずらしいディープな町だ。
 飛田新地は置屋の店先に女の子と客引きの「やり手婆」が座っている。気に入った子を選んで20分1万6000円ほどで遊べる。その西には日雇い労働者の町・釜ヶ崎(愛隣地区)が広がる。二十数年前、ドヤ(簡易宿泊所)に泊まりしながら朝日新聞の家庭面に「ホームレス」の連載記事を書いた。覚醒剤を売る兄ちゃんと飲んだ

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熊野古道・紀伊路①庚申信仰

熊野古道・紀伊路①庚申信仰

舟運が復活 熊野を詣でる平安京の貴族たちは伏見から舟に乗り、淀川を下って約35キロ南の大阪・天満橋の八軒家に上陸した。同じ航路を江戸時代は三十石舟が下り半日、上り1日かけて結び、明治になると蒸気船が往来した。
 1910(明治43)年に京阪電鉄が京都・五条と天満橋の間に完成すると水運は衰えたが、95年の阪神大震災で陸上輸送網が寸断されて舟運復活の機運が生まれ、2017年からは週末を中心に八軒家浜船

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