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藤井ペイジの思い出

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#飛石連休

初めての営業で一緒になった、後の売れっ子漫才師

「藤井ペイジの思い出100円」第8話。
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1999年の11月に飛石連休を組み、ほぼ同時期にサンミュージックに預かってもらえることになった。
そこから少しずつ呼んでもらえるライブも増えてきて、深夜だが何度かお笑い番組にも出れた。

そんな2000年の11月。
事務所から「営業が入った」と連絡があった。
コンビで初営業。
営業はライブよ

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悪趣味な営業

「藤井ペイジの思い出100円」第10話なかなか珍奇な営業があった。

多分こういう仕事をやったのは、芸人界広しといえど、我々くらいかも。

15年ほど前の年末。

日本の誰もが名前を知る大企業の、クリスマスパーティ。
そこに呼ばれたのは、当時ブレイク直後で人気絶頂だったピン芸人ヒロシと我々飛石連休。
いや、正確に言うと、きちんと呼ばれたのはヒロシのみ。

しかし我々には重要かつ、とても悪趣味な役割

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「藤井ペイジの思い出100円」リスト

「藤井ペイジの思い出100円」毎週水曜更新(予定)です。
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第1話
「ブレない3人の同期」
第2話
「『バイきんぐ』と名付けたあの日の話」
第3話
「舞台上でブチギレる大御所芸人さんを間近で見た」
第4話
「人気絶頂期のヒロシと闇ならぬ地獄営業」
第5話
「『すんげー!BEST10』に出そこねたあの日」
第6話
「オール

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漫才での話し言葉

「藤井ペイジの思い出100円」
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漫才をやるにあたり「話し言葉」はとても重要だ。
フレーズとテンポが命の漫才なので、使う方言(または標準語)によって、かなり言い回しや語尾が変わり、それによってお客さんに与える印象も大きく変わってくるのだ。

僕は大阪生まれの大阪育ち。
もちろん関西弁でしゃべる。
東京に

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第15話 初めてオンエアバトルに出た時の話

「藤井ペイジの思い出100円」
第15話。よろしければ読者登録だけでもお願いいたします。
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かつてNHKで「爆笑オンエアバトル」という番組があり、我々飛石連休もよく出させていただいた。
お笑いファンの人で、僕らを知ってくれているマニアな人の大半は、この番組で認知してくれたと思う。

トータルで18回(多分)オンエアしてもらい
チャンピオン大会に3

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第16話 初めてオンエアバトルで落ちた話

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「藤井ペイジの思い出100円」
第16話前回の思い出
→「初めてオンエバトルに出た時の話」
こちらの続き的な話。

2000年の秋にオンエアバトルに初挑戦し、なんとか初オンエア。
その2ヶ月後、2度目の挑戦も無事にオンエア。

迎えた2001年シーズン。
狙うはチャンピオン大会。
年間4回オ

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第18話 命の危険を感じた仕事

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「藤井ペイジの思い出100円」
第18話幸か不幸か、体を張る系の仕事はあまりしたことがない。
しかし、そんな僕でも
「あ、これは死ぬかも」
という思いが頭をかすめた仕事があった。

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第19話 サンミュージックの救世主

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第19話
「サンミュージックの救世主」

飛石連休を組み、サンミュージックに預かってもらったのは2000年の4月から。
老舗の芸能事務所サンミュージックが「GET(GAG ENTERTAINMENT TEAM)」と呼ばれるお笑い班を始めて、まだ2〜3年程だった。
現社長(当日副社長)が、旧知の

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第20話 第1回 M―1グランプリの思い出

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「藤井ペイジの思い出100円」
第20話
「第1回 M―1グランプリの思い出」M―1グランプリ。
一流の漫才師を志す人間ならば、誰もがあの決勝の舞台に憧れる、年末の一大イベントだ。

一時期休止していたが、2015年に再開

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第21話 解散を決めた瞬間

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第21話
「解散を決めた瞬間」先に言っておくけれども、今のコンビ「飛石連休」ではないです。
僕が最初に組んだコンビ「ミシマフジイ」の話。

高校の同級生と一緒にNSCに入学したのが1994年の4月。
3年半ほど過ぎた頃に、そのコンビをやめようと思った瞬間があり、そして解散した。
今まで誰か

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第22話 波乱の東京1年目

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藤井ペイジの思い出100円
第22話『波乱の東京1年目』お笑いの世界だけの用語ではないが
「とぶ」
という言葉がある。

突然仕事の現場に来ず、連絡も取れず、行方が分からなくなることだ。

実は僕も一度だけ経験がある。

とんだ方ではなく
とばれた方で。
しかも上京してまだ1年目

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第23話 舞台上であの人があの人を殴った話

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藤井ペイジの思い出100円
第23話
「舞台上であの人があの人を殴った話」芸人なんて笑わせなければならない世界なので、舞台上や客前であるならば、どれだけムカつくことを言われてもやられても、怒ってるところを見せることはご法度。
(怒ってるように見せることはあるが)

しかしあの日あの時

起こってはならないことが起こってしまいました。

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第24話 間近で見た大逆転芸人たち

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第24話『大逆転芸人たち」2000年頃からサンミュージックのお笑い部門「GET」で御世話になっている。
今でこそ50組をゆうに超える大所帯になったが、その頃は10組を程度。
しかも自分たち含め、よその事務所を放り出されたり、よそでは拾ってもらえないような芸人ばかりだった。

しかし今では数年に1度、大ブレイクする芸人が現れる不思議

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第25話 あの人気番組の打ち合わせに行ってた話

「藤井ペイジの思い出100円」
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第25話
「あの人気番組の打ち合わせに行ってた話」ダンディ坂野さん、はなわさん、テツandトモさんが中心となり、2003年に巻き起こったお笑いブーム。
それは、ブームというにはかなり長く続き、毎年何人もブレイク芸人が生まれるという、今思えばバブルのような状態だった。 

残念ながら我々飛石連休は、その波に乗れなかった

が。

ブームを牽

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