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藤井ペイジの思い出

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ブレない3人の同期

漫才コンビ・飛石連休の藤井ペイジです。
気づけば僕も芸歴25年。
華々しいテレビ業界のことはあまり分かりませんが、それなりにいろんな事がありました。

そんな思い出をnoteに綴っていくことにします。
かなりのお笑いマニアしか興味がないかもしれませんが。
ちなみに、生意気ながら有料記事です…

題して

『藤井ペイジの思い出100円』

第1回「ブレない3人の同期」

1994年4月、僕は吉本総合

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「バイきんぐ」と名付けたあの日の話

藤井ペイジの思い出100円
第2話今やバラエティ番組に欠かせない芸人となった小峠と、その変人ぶりが明るみになって、小峠とは違う角度で脚光を浴びだした西村のコンビ「バイきんぐ」。

今回は「実は『バイきんぐ』と名付けたのは僕・藤井ペイジやで」という、軽く自慢めいた話を。
(最初は『バイキング』でしたが、ここではややこしいので『バイきんぐ』に表記を統一します)

95年から97年頃にかけて。
NGK(

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舞台上でブチギレる大御所芸人さんを間近で見た

「藤井ペイジの思い出100円」第3話。
今回も少し古いお話し。

95年くらいから97年くらいまでだっただろうか。
昼間は寄席をやっているNGK(なんばグランド花月)。
あまり使っていなかった平日夜の有効活用+芸人の育成も兼ねて、若手を中心とした寄席を催してくれていた時期があった。
その名も「YORU2寄席」(よるよるよせ=通称ヨル寄席)。

NSCを卒業して間もない13期生からもオーディションを

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人気絶頂期のヒロシと闇ならぬ地獄営業

「藤井ペイジの思い出100円」第4話

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今やキャンプ系YouTuberとしても大人気のピン芸人ヒロシ。
2004年に「ヒロシです…」の呟きネタでブレイクした時、彼は僕と同じサンミュージックにいた。

彼と僕は同い年で芸歴もほぼ同じ。
プライベートで遊ぶことはほぼなかったが、良い意味で芸人ノリがなく、伏し目

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「すんげー!BEST10」に出そこねたあの日

「藤井ペイジの思い出100円」第5話。よろしければ読者登録だけでもお願いいたします!(登録無料です)

95年3月にNSCを卒業後、オーディションライブになんとか受かり、短い期間だったが心斎橋筋2丁目劇場のレギュラーライブにも出させていただいていた。
(当時は高校の同級生とのコンビ「ミシマフジイ」)

その頃、どうしても出たい番組があった。

「すんげー!Best10」2丁目劇場のメンバーが、それ

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第6話 オールザッツ漫才の思い出

「藤井ペイジの思い出100円」第6話。よろしければ読者登録(もちろん無料)だけでもぜひm(__)m

1990年に初めて放送され、今では関西の年末の名物番組となっているのが

「オールザッツ漫才」僕も出演させていただいたことがあるのです。
(当時のコンビ「ミシマフジイ」で)
96年と97年の2回。

関西で人気の芸人から、劇場レギュラーになったばかりの新人や、特殊な芸風のため普段テレビでは見られな

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尖ってた後輩の話

「藤井ペイジの思い出100円」第7話。お笑いフリークならご存知かもですが。
吉本興業の養成所・大阪NSCは、僕が通っていた13期生より後の数年は「秋入学」の生徒を募集しておりました。
調べたら、14、16、18、20期生がそうらしいです。

僕の入った13期生で応募が殺到し、教室の大きさの関係から泣く泣く切った人たちの受け皿として、急遽14期生を秋に募集したと聞きました。
突然の半年おき制度にザワ

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番外編 誰も知らない、日本を代表するカリスマシンガーとチャンス大城の繋がり

「藤井ペイジの思い出100円」
今回は番外編で無料。
なぜなら他人の思い出だから!

『藤井ペイジの思い出100円』リスト
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僕の同期にチャンス大城という芸人がいる。
大阪吉本の養成所・NSCで出会った。
94年入学の13期生。
(大城はその5年前に8期生で入学しているが、その時はすぐに辞めたらしい)

何やかんやあって僕は98年に上京。
東中野の狭いワンルームマンション

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初めての営業で一緒になった、後の売れっ子漫才師

「藤井ペイジの思い出100円」第8話。
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1999年の11月に飛石連休を組み、ほぼ同時期にサンミュージックに預かってもらえることになった。
そこから少しずつ呼んでもらえるライブも増えてきて、深夜だが何度かお笑い番組にも出れた。

そんな2000年の11月。
事務所から「営業が入った」と連絡があった。
コンビで初営業。
営業はライブよ

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戻ってきて売れた男

「藤井ペイジの思い出100円」第9話。よろしければ読者登録(もちろん無料)だけでもお願いいたしますm(__)m

以前にも書いたが、僕の養成所時代(大阪NSC 13期)の同期は売れっ子ばかり。
学生時代からの友人同士でコンビを組んだ野性爆弾と次長課長。
そして当時のコンビとは違うが、解散して組み直したブラックマヨネーズ。
みんな休まずにずっとお笑いを続けている。

でも同期で一人だけ。

養成所卒

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悪趣味な営業

「藤井ペイジの思い出100円」第10話なかなか珍奇な営業があった。

多分こういう仕事をやったのは、芸人界広しといえど、我々くらいかも。

15年ほど前の年末。

日本の誰もが名前を知る大企業の、クリスマスパーティ。
そこに呼ばれたのは、当時ブレイク直後で人気絶頂だったピン芸人ヒロシと我々飛石連休。
いや、正確に言うと、きちんと呼ばれたのはヒロシのみ。

しかし我々には重要かつ、とても悪趣味な役割

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同期の奇才

「藤井ペイジの思い出100円」第11話。以前にも書きましたが、僕の同期は個性派揃いかつ売れっ子ばかりなのですが

中でもズバ抜けて変わり者は

野性爆弾の「くっきー!」。
(僕は川島と呼んでるので、ここからそう書きます)

川島と出会ったのは1994年の4月。NSCの入学式。
僕が22才で川島が18才。
川島は当時、坊主の金髪でピアスだらけの耳に、細身のジーンズにブーツ、革ジャンのパンクスタイル。

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言っちゃいけない事を言ってしまったあの日

「藤井ペイジの思い出100円」第12話よろしければ読者登録お願いいたします。
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1997年の夏頃だったか。
当時レギュラーで出していただいていた、心斎橋筋2丁目劇場。
そこの支配人が変わることになった。
それにともない、劇場のシステムが変わるという通達があり。
出演している芸人たちに激震が走った。

それは

「漫才禁止」

なぬ?

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「藤井ペイジの思い出100円」リスト

「藤井ペイジの思い出100円」毎週水曜更新(予定)です。
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第1話
「ブレない3人の同期」
第2話
「『バイきんぐ』と名付けたあの日の話」
第3話
「舞台上でブチギレる大御所芸人さんを間近で見た」
第4話
「人気絶頂期のヒロシと闇ならぬ地獄営業」
第5話
「『すんげー!BEST10』に出そこねたあの日」
第6話
「オール

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