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エッセイ⑬「チラシ配りのまなざし」

振り返ってみればわたしがこれまでした仕事は、アルバイトも含めすごく多岐に渡ります。

IT、接客、調理、保険、事務、営業、デモンストレーション、そしてこのポスティングというお仕事。

肉体労働に分類されるかもしれませんが、やっぱり楽しかったです。
よっぽど家にいたくなかったのでしょうね笑。

仕事って不思議だなと思います。
職種が変わるたび、やっていることはほとんど引き継げずいちから覚えていくのですが、その根底に流れる「仕事」というものの本質はどれも同じような気がするんです。



 体調を崩して実家で療養するのはこれで三回目だ。
 一度は大学生の頃。もう一度は社会人になって二十五歳の頃。そして今回。
 前回実家に帰った時、リハビリと貯金を兼ねてアルバイトをしていた。そのひとつに、ポスティングというものがあった。

 ポスティングとは、チラシを各家庭の郵便受けに投入して歩くという仕事である。他はどうかわからないが、わたしがいた会社は他から請け負ってポスティングのみを専門にしていた。
 わたしは他にも接客のアルバイトをしていたし、ポスティングの稼ぎはささやかなものだった。それなのになぜポスティングの仕事までしていたかというと、家にいたくなかったのである。
 ただ散歩と言って外をうろつくのも、両親に心配されると思った。わたしには外に長時間出ている口実が必要だったのだ。
 実際にはどれだけ散歩に行こうが何の心配もなく、なんなら健康的でいいなというような感想だったかもしれない。でも当時、わたしは人の目を気にし過ぎていた。あの時は働きもせず家にいるという罪悪感に耐え切れなかった。
 そんなわけで、散歩ついでに収入にもなるなんて素敵じゃないか、とはじめたポスティングである。

 これが思ったよりも過酷だった。
 重たいチラシを何十部も、時に数種類かばんに入れてひたすら歩く。毎週行っているとひどく肩が凝る。
 しかし、それほど苦痛だとは思わなかった。元々歩こうと思えばいつまでも歩いていられる人間だ。それに、この散歩兼アルバイトは発見に満ちていた。
 ルートはいつも決まっていたが、決まっていたからこそ、それぞれ庭先に植えられた植物の変化を楽しめた。ふと鼻先にキンモクセイが香るようになったとか、梅の花が一輪ずつ膨らみ、白い花弁がようやくほころびはじめたな、とか。
 歩くという行為自体でも季節は感じられた。じりじりと日に炙られて、持参する飲み物が空っぽになる日。寒いと体が強張って、かじかむ指先ではなかなかチラシを抜きとれなくなる日。
 ある時は、今まさにチラシをこっそり忍ばせようとした家のドアが開き、気まずくなりつつ直接受け取ってもらう。
 郵便受けがいっぱいになっている家は、そこに住む人の性格を想像してみる。
 大きな犬が繋がれていると、仕事だからという口実をつけ、勇気をもって近づき撫でまわす。
 猫を追いかけては逃亡される。

 のびのびと散歩をした上にお金がもらえるなんて、しみじみなんといいアルバイトだろう。
 しかし、どうもやはり両親には心配されていたようだ。
 「わざわざそんな過酷な仕事をしなくても」と眉を垂らされた。
 家族とはいえ、物事の見方が違うことも多くあるようである。

 ところで、今度またアルバイトをするのならどんな仕事にしようか。
 わたしは今、のんきに考えている。

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