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それを「叩く」のでなく [橋迫瑞穂『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』集英社新書/2021]

「スピリチュアル」は、ネットでは小馬鹿にされている概念だろう。

本書で取り上げられている「子宮系」「胎内記憶」「自然なお産」は、それが具体的にどのようなものか知らなくても、いかにも怪しそう。率直な言葉を使うと、頭悪そう。「科学的知識」があれば、取るに足らない、すぐ「論破」できるような「妄説」だと思われていると思う。私はそう思った。陰謀論や偽史などと同類に、あるいはもっと「低劣」なものとして。あるいは、ネットサロンなどの、信者から金を吸い上げること目的の薄汚い商売として、販売者・購入者ともどもに蔑視されていると思う。なので、そういうものを批判する本なのかなと思って手に取った。



だが、本書のテーマは、「頭の悪いスピ叩き」とか「こういう詐欺に騙されないようにしましょう」というものではない。

著者の方は、女性向けスピリチュアル市場を長く研究している社会学者。スピリチュアルコンテンツの中でも、妊娠・出産に関するものが、ここ10年ほどで目立ってきたという。

本書のテーマは、女性にとって重要な妊娠・出産というイベントにまつわる不安を、どう見ても怪しいスピリチュアルコンテンツに頼らざるを得ないこと、それは本人にとっては深刻であること、妊娠・出産という女性の身体におこる重要な事項に対し、フェミニズムは対応できなかったことだ。

このようなスピリチュアルコンテンツが隆盛するには、現代の日本社会での女性が置かれた位置に理由があるという一種の結論とでもいうべきものが、前書きの時点ですでに解説されている。現代社会では、妊娠・出産に関して、当事者である女性のみに「努力」を強いられており、自ら意義をつくることを強要されている。「正しい母」になることに対して、女性に異様な強圧をかけ、強要はしても、それを誰も助けてはくれない。にもかかわらず、「正論」で一方的に「断罪」するのは何か違うのではないかという疑問が、著者の方が重視する問題提起なのだと受け取った。

そのため、本書では、このようなコンテンツを批判的な観点でのみ取り上げはしないことが明言されている。
なぜなら、このような女性向けコンテンツを取り上げることで、女性は「無知な存在」であるとみなしてジャッジされるリスクを孕んでいるからだという。
この手の言説……つまり、陰謀論や偽史などを面白おかしく、あるいは理詰めで批判する本というのはものすごくたくさんあると思う。が、それが隆盛する社会的背景自体をここまで重視して書かれたものが新書で出るのは驚き。
著者がこのような感性を持っている方であることを尊敬する。誰でもできることや、そもそも気づけることではないと思った。

(このことだけじゃなく、個人的に、最近は、「なにごともネタ扱い」「おもしろおかしく」とか、「正論」というアプローチに限界を感じる。自分自身のそういったモヤモヤにも気付かされた)


本書自体には載っていないのだが、ネットでたまたま見かけたインタビューで、著者の方がなぜこの分野に関心を持ち、テーマとしたのかを知ることができた。
著者の方は、東日本大震災発生当時、スーパーでアルバイトしていたとのこと。その際、食品の放射能汚染の心配をしたお母さんたちがたくさんお店に並んだそうだ。その、子供のために安全と思われる地域の食品を手に入れることに必死になっているお母さんたちの姿を見たことがきっかけのひとつだったようだ。
(そのインタビューをどこで読んだか忘れた、どっかの新聞の文化記事だったかな〜……)

そういえば、昨年話題になった新書『椿井文書』の著者の方は、現地の役所の文化関連部署にお勤めだったという話を思い出した。
本自体は椿井文書の偽書としての性質や製作者・依頼者のバックグラウンドに大きく紙幅がとられていたが、その当時の目的とは異なった意味で、現代において椿井文書が存在して欲しい人たちが存在すること、偽書と判明した(可能性が高まっている)ものについても使用がやめられない事情についても記述もあった。



いまいまの「お母さん」が解決できない悩みのあまり、スピリチュアルに走るという現状はわかる。しかし心配なのは、若い人にとってはこれらは救済にならず、悪影響でしかないのではということ。

先日、京都の貴船神社へ行ったとき。京都市街地に帰ろうと思ってバス停に行ったら、前に4人組の大学生くらいの女の子が並んでいた。いろいろキャピキャピお話をされていたのだが、「赤ちゃんって、お母さんを選んで生まれてくるんだって。テレビで言ってた」と、とても深刻そうに話していた。彼女らの話の流れからすると、もし将来産んだ子供に先天的な病気や障害があったり、後天的にでも困難が起こったとしたとしたら、自分のせいだと思っているようだった。
あまりに心配で、年上女性の務めとして、奇人になるのを覚悟で突然デカい声で「大丈夫ッ!!!!!!!」と叫ぼうかと思った。だがそのとき、突然、シカさんが現れたので(貴船神社は山の中なのでアニマルがおる)、彼女たちはすぐシカに夢中になり、話は流れてしまったのだが……。
一応、「胎内記憶」というのは、母になる女性が自分を鼓舞するためのものという建てつけだと思うけど、世間に流布するうち、もはや不安を煽る要素になっているとしか思えない。

いずれにせよ、こういった「妄説」に取り憑かれた人、頼らざるを得ない人をまのあたりにしたところで、自分はその迷妄に至った理由にまで気づいて手を差し伸べてあげられるのだろうか、あるいはもっと根本的な解決のために動けるのだろうかと思った。



そんなこんなで、女性向けスピリチュアル市場を社会問題として考えるいいきっかけになった……とはいえ、怪しい言説の怪しさを覗き見したい根性で、内容熟読。
本書では、「子宮系」「胎内記憶」「自然なお産」について、売れている書籍を用いてその代表的論者やその主張について分類、解説がされている。
このへんの言説、もうすべて妄説だと思っているので詳しい主張はまったく知らなかったが(というか、人の不安につけこむ商売が大嫌いなので、絶対視界に入れないようにしている)、同じカテゴリでもイデオロギーが結構違ったりするのね。

優生思想などかなり危険な主張をしている言説もあり、本人がいいと思ってやるならいいんじゃないので済まされない、思っていた以上に危険なものもあることがわかった。産婦人科医師や助産師といった、本来「科学的」な立場から妊婦さんやお母さんと関わるはずの人たちが、悪質な根性論としか思えない怪しい言説を語り、それどころか、「自然なお産」をしたために、母子の命に危険が及んでも仕方ない、赤ちゃんが死んでもそれは生きていても仕方ない子だとしているのが衝撃的。
なんとなくのイメージで、「自然なお産」とは、無痛分娩に頼らず、痛みを感じて頑張ろう的なことや、薬品や施術が心配で、そうしたほうが「安全」「安心」で「事故や死亡率が低い」と当事者の方が思っている、程度のこととと思っていたので、本当に驚いた。
しかし本家本元のアメリカでいう「自然なお産」はやっぱりそういうことで(無痛分娩や帝王切開に頼らないほうが安全で安心で快感という主義)、根性論と優生思想の悪魔合体なのは日本独自の思想のようだ。
(著者は批判のみはしないというスタンスで書いているが、この手の悪質なものに関しては批判をしている)

あとは「ホメオパス」という言葉の正しい意味(?)を知って驚いた。「ホメオパス」って、ネット世界で使われる、ホメオパシーに入れ込んでいる人を指す蔑称だと思っていたのだが、ホメオパシー界隈では、「ホメオパス」っていう資格があって、その取得者を指す言葉なんですね……。

出版に関わったやつら誰もつっこまなかったんかいと思ったのが、「胎内記憶」提唱者の語る胎児の「胎内記憶」。例として、胎児の視点からの物語(創作)が引用されていたのだが……。
胎児「居心地が悪いわけではないが、ちと退屈だなあ」。
この世に存在しはじめて9週目の胎児としては、喋り方がいささか渋すぎではないか。政財界を牛耳る右翼の巨魁老人が、紀尾井町にある自邸の池の錦鯉にエサをやりながらつぶやいているシチュエーションしか思えない。『野望の王国』的な絵面が浮かんだ。


著者は新新宗教関係の研究も行なっている人のようだが、いかにも「教祖(商売人)」と「信者(消費者」の関係に思えるこのようなスピリチュアルコンテンツは、宗教でいう「教祖」と「信者」の関係とは異なるという。本書では、一部の言説の発信者に対し「マーケター」という言葉が使われているが、確かにと思った。「インフルエンサー」と言った方が、いまどきの生活実感に根ざしたワード?
また、このような言説をとなえる産婦人科医や助産師は、「カリスマ」になりたい欲が透けて見えるという指摘があった。


本全体としては、構成が少しガチャガチャしているというか、話が行ったり来たりする感があるのが気になった。それと、「ところで」という接続詞が妙に目立ってしまっているのが気になった。後者は、著者の方の芸風? 仮に社会へのアプローチを重視するなら、エッセイなどの手法のほうが、当事者にリーチする人かもしれないと思った。


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