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夏の朝と入道雲 ー不妊治療エッセイ①

夏の朝。上司に通院のため遅刻します、とだけ連絡して、海外の洗剤のにおいがするクリニックに入る。その不妊治療専門院は、八時半なのにすでに10人以上待っている。

かつてのかかりつけ医から紹介状をもらってから、今日で4回目の通院となる。しめて15,000円也。検査だなんだで、あと2回は行かないといけないらしい。わかってはいたが、不妊治療にかかる費用は安くない。検査だけでこうなのだから、これからステップアップしていくとさらに、桁違いのお金がかかる。なんで男性の包茎手術は保険適用なのに不妊治療は保険適用外なんだろう、少子化止めたいんじゃないのかよ、などとこの国に悪態をつく。まあそれでも仕方ない。

受付をすませ少し待っていると番号を呼ばれる。この流れには慣れた。まずは内診室。感じの良い看護婦から下着を脱いで台にあがってくださいね、と声をかけられる。話ながらもなにやら手を動かしているようだ。診察台に座り少しすると、あがります、と言われるそばから、お尻が上がり股がみるみる開脚していく。なんという姿。「今日は別の先生です」そうなのか。知らなかった。

この病院には少なくても三人の男性医師、ひとりの女性医師がいる。わたしはこの一ヶ月で三人の男性に股を見せてるのか。なんだか滑稽だ。この人に至っては、顔より先に股を見られることになる。なんということだろう。

看護師がカルテを読みながらこちらに向かってくる。
昨日はタイミングとりましたか?
すごい質問だ。昨日セックスしたのか、と聞かれている。
以前の婦人科でもタイミング療法をしていて慣れっこな私は、はい、と答え、フーナーテストというものを行うために開脚したままの姿勢で医者が来るのを待った。

◇◇◇​

不妊治療クリニックはシモを見せたり、シモについて話すにもかかわらず、当然ながらいやらしさみたいなものは皆無だ。その独特な雰囲気のためなのか、単に30歳を過ぎた年の功なのか、恥ずかしさは微塵も感じない。むしろ、ここに通うことで、日常にあるエロスだとかいやらしさ、性交というものの持つ神秘的なものや、なまめかしさすら取り除かれてしまう気がしている。

排卵日を予想し、この日にタイミング取ってね、と他人(医者だけど)にセックスする日を指示されるのだから、当然行為自体も極めて事務的なものになる。私は夫を愛しているし、夫も私を愛してくれているので、その事務的な行為は最大限の配慮と愛情をもって行われるのだが、やはりどこか機械的なものを感じてしまう。これも仕方ないことだ。

さて、内診が終わると珍しくそのまま診察室に呼ばれる。いつもはまた待合室で待つのに。

ひょっこりひょうたん島に出てくるドンガバチョに似たその医者はこちらを一瞥したあと、すぐに顕微鏡をのぞきこむ。モニターにうつされた映像から、私も自分の中からとった何かを見る。
大量にある白い丸いものが精子かと思ったけど違った。それは細胞です。

昨日タイミングとりましたか、とまたもや聞かれたことからも、あまり思わしくない結果であることは容易に想像できた。

せわしなく顕微鏡を動かし精子を探すが、なんということでしょう、どこにもいない。楕円形の細胞と、時々良くわからない黒いものが写るだけ。

無言の時間が続く。

突然ドンガバチョはうーんと唸りながら、「量は出ましたか?」とあけすけ聞いてきた。私は動じることなく、はい、量は沢山出ていました、などと答える。なんという会話だろう。これを世の不妊治療をしている女性は経験しているのだ。あっぱれ。

◇◇◇

いつまでたっても単調で変わらない映像を見ながら、もはや医者も私も互いに諦めかけたその時、わずかながらに動く精子をたった一匹だけみつけた。弱々しくもけなげに頑張って泳ぐその姿は、要領が悪いながら努力家な夫自身そのもののように感じられてとても愛おしかった。

精子は通常数十から数百いるんですけど、と遠慮がちに言われ、残念な気持ちを感じるよりもむしろ、その夫の生き写しのような一匹を見つけられたことへの嬉しさが勝り、満足感のある穏やかな気持ちになっていた。

次は人工授精ですね、そう告げられた私は特にショックを受けることもなく、「人工授精希望のかたへ」という紙を受けとる。

クリニックのあるビルを出て会社に向かう。

夏真っ盛りの青空に映える白い入道雲。ああ神様、今日はきれいに描けましたね、などと心のなかでつぶやきながら、さきほど大きく開いていた股をサドルにかけて、自転車をこぎ始めるのだった。

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