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不妊治療における2年間の重みと社会の変化

久しぶりにnoteにログインした。2年半ぶりか。不妊治療は続けていて、いろいろ思うところはあったが、ログインパスワードを忘れた。うまくいかない不妊治療中のメンタルで、パスワード再発行を経てまで何かを書く気力がなかった。

表示される二周年バッチ。久しぶりに不妊治療仲間のnoteを読もうとフォロー欄をクリックすると、妊娠・出産に至ったとわかる表現が。祝福の気持ちもそこそこにそっとウィンドウを閉じる。ああ、フォローしていたこの方々は出産まで至ったのに、私はこれを書いていた2年半前から何も状況が変わっていないんだなぁと思うと、悲しいともつらいとも言い難い、停滞している閉塞感によるみじめさのようなものを感じた。

2年間。いわゆる不妊治療といわれるものは一通り行った。

最初にこのnoteを始めたころは、とはいっても人工授精すれば授かると気楽に考えていたし、結局ステップアップすることになったときも、「これで最後だ、体外受精までいけば、これで本当に終わりだ」などと思っていた。愚かだった。治療が進めば進むほど心はすさんでいくし、周りの懐妊を喜べなくなる。心にも金銭的にも余裕はなくなる。

学業や仕事は、成果が出なくてもそれまでの過程は結果と同等かそれ以上に大切であり、次の経験に活かせる自分の糧となると思っている。でも、不妊治療は?何十万かけて、どんなに痛い治療をして体調を崩し、仕事と両立しながら時にはキャリアを犠牲にしながら、どれだけの期間かけようとも、なんの成長も成果もなく(検査結果を次の治療に活かせるというくらいで)「子なし」のままである。出口の見えないトンネル、もとい、出口があるかどうかすらわからないトンネルの中をさまよっているようなものだ。

さて、このように自分にとっては「停滞」「変化なし」「成果なし」な2年半だったが、この期間で不妊治療を取り巻く社会情勢は一気に変わった。不妊治療休暇の導入が民間企業だけではなく一部の公企業にも広がり、そしてなんといっても不妊治療保険適用化。本当にありがたい。喜ばしい。一方で、あと*年前に保険適用になっていれば、と思わずにはいられない。きっと私以外にもたくさんの人が感じていると思う。それでも、私もそれ以外の当事者仲間も、金銭的理由からトンネルを出ることをあきらめなくていいのだ。もちろんまだ課題は山積みだ。具体的な適用範囲の治療内容開示、そして何より情報面・病院別の成績開示。それでも少しだけ、光が見える気がする。

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