見出し画像

「ライオンのおやつ」:小川糸を読んで

「ライオンのおやつ」なんだか童話みたいな題名!

私がこの本を読んでみようと思ったのは、娘のお友だちのSちゃんが読んで「00ちゃん(娘)も 瀬戸内のおだやかな海が似合うなあって思ったりして…」と書いてくださったのが、きっかけでした。

 「ライオン」という名のホスピス、
そこで出される「おやつ」は 「患者さんの一番食べたいおやつ」を出してくれる。それも 「なぜ食べたいのか」理由を書かなければならない。
どうしてか?
その「おやつ」の理由は その患者さんが亡くなる寸前で皆の前で読みあげられ、そして皆揃って頂けるのだ。生きていて一番思い出深い「おやつ」を

「ライオン」というホスピスは ライオンの家の代表者マドンナさんの手紙でも書かれている通り

こちらへいらっしゃる折には ぜひ船に乗ることをお勧めします。(略)
船からの眺めは格別です。穏やかな瀬戸内の風景を、どうぞ心行くまで味わってください。これからの人生がかけがえのない日々となりますよう、スタッフ一同全力でお手伝いさせていただきます。

その案内の通り、そのホスピスは穏やかな海:瀬戸内海にあるレモンの香りがする島にあった。 船に揺られながら青空に一本真っ白い線を引いて飛んでいる飛行機をみあげ、

明日来ることを当たり前に信じられることは、本当は、とても幸せなことなんだなあ。そのことを知らずに生きていられる人は、なんて恵まれているのだろう。幸せというのは、自分が幸せであると気づくこともなく、ちょっとした不平不満をもらしながらも、平凡な毎日を送れることなのかもしれない

海野雫(うみのしずく)は そう思った。

「ライオン」でのモットーは 「よく眠り、よく笑い、心と体をあたたかくすることが、幸せに生きることに直結します」

なるほど、そうなのかもしれないけど、わたしたちはすぐに忘れる。

 「思いっきり不幸を吸い込んで、吐く息を感謝にかえれば、あなたの人生はやがてひかり輝くことでしょう」シスターの言った言葉

 人生、ままならないことばっかりだもの… そんな風にいかない!

「いい加減にしてよ! ふざけないで!」
余命を宣告されたその日、病院からかえった私は、着替えもせず、ベッドの上に身を投げた。じぶんが近い将来死ぬことに対して、はっきりと目に見える形での恐怖はまだ抱いていなかった。けれど、これまで我慢して我慢してやってきた治療の全てが無駄だったという現実に自分がとても苛立っていた治る可能性を信じて、担当医の言葉を信じて、希望を信じて、未来を信じてあの苦しみに耐えていたのに。
「だったら、最初からやらなきゃよかったんだよ!」何よりも抗がん剤を すると決めた自分自身に怒りが収まらなかった。
結局のところ、私の場合は自分自身の体を痛めただけだったのだ。それで得たものなんてひとつもなかった。それどころか、逆に、寿命を縮めてしまった。こんな結果になるのなら、最初から抗がん剤なんてしなければよかったのに。そこに、一種の望みをかけてしまった自分自身の浅はかさに腹が立っていた。

そこで、雫は荒れに荒れ狂い物に当たりちらし、八つ当たりした。
しかし、感情が収まってくると、八つ当たりしても何も解決しないことくらいわかっていた。

他の道は、すべて閉ざされ通行止めなのだ。私には、自分の状況をうけいれるという選択肢しか残されていない。どうあがいたって、足踏みして地団駄踏んだって、私はもうその道を進むしかない。

これは すべての患者が体験することだと思う。
娘もそんな期間があった。
娘の場合は 原因不明の痛みと高熱が悩みだった。
どんな科に通っても一時しのぎの治療に終わっていたから…
返って病名が付いて、「原因不明の痛みと高熱」がここから来ていたことが分かって納得した。だから 返って、冷静に対処できるようになった。

 雫は?というと、六花という犬とタヒチ君に出会い「笑う」ことでしか 表現できない幸せな気持ちを持てるようになる。

娘はどうだったのか?

やはり、緩和ケアの生活が一番しあわせだったように思われる。
年下の看護師さんが多かったが、娘を妹のようにかわいがってくださった。
長男の男子として生まれて来なかったが故に 義父母そして父からも可愛がってもらえない!と思いこんだ娘は 自分で女の子であることを封印してしまった。
そんな娘を看護師さんたちは 入れ替わり立ち代わり、娘の伸びてゆく髪の毛を かわいく編んだり結んだり 髪飾りまでしてくださっていた。
本当は、母親の私に 女の子として一番やってほしかったのでは?なかったのか…
ボーイッシュな女の子を好きだった私は、娘のそんな気持ちをつゆとも知らなかった。
それが私の後悔のひとつでもある。

 最後の誕生日を緩和ケアで迎えた時、ちいさなバースデイケーキが準備され 関わってくださった諸先生や看護師さんたちの寄せ書きと一緒に全員でハピーバースデイの歌を手をたたきながら、歌ってくださった。私はその時娘への最後の誕生日に着るプレゼントを買い求めた。
ラッキーなことに、娘の好きな絵本「私のワンピース」のお花畑にお散歩に出かけた時のようなブラウスを見つけ、プレゼントして写真に写っている。「うわ~、かわいい!」娘は小さく そう、つぶやいた。
専属の看護師さんが その時の写真を数枚アルバムにしてくださっていた。 それを後で見つけた時「娘の人生の中で一番しあわせな時間だったことが、間違いなく写真に写っていた」ことに安堵した。
私は 今この小さなアルバムに救われている。

 この本も雫が亡くなった後のことも書かれている。

雫が亡くなったあとの奇跡が、娘の亡くなった時に起こった奇跡のように、
残された者が幸せになれる。これは信じがたいことだけれど

人は奇跡を起こせるのだ。

それは、娘が亡くなった時のパワーと同じくらいの奇跡が 残された者への感謝として現れるのではないのか!

私はそんな気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?