新年初乗りタクシーで
1月4日(水)今年はじめての 月一診察日
いつものように、2時の予約なので1時10分にタクシーを呼ぶ。
20年近く ここのタクシー会社にお世話になっている。
月一の病院というのは もう15年以上も前のことなのだが、夫の癌終末期に 緩和ケア病院としてお世話になり
「ここは 天国や~」と言って、見送っていただいた時からのお付き合い。夫の入院中、家族の健康も診てくださっていた病院だったので、夫が亡くなった後先生が「近くの医院にするかあ?」と、聞いてくださったことがあった。 けれど 私は「先生がいいです。月一の通いだったら、遠いですが来れますので…」と、続けて診てもらっている。
そして、こともあろうに数年して、娘がご厄介になることになり、ここでも 娘が一番安心できる病院になった。
「緩和ケア」だけあって、ここは 痛みの調節が繊細で 患者さんの痛みをやわらげ苦しみから救ってくれる唯一の病院なのだ。
本来、そういう癌患者を診る診察室に 癌でもない私が通っている。
厚かましい話だけれど「私も癌になったら 先生の元で死にたい!」と、 愛の告白より強烈なメッセージを 伝えているから…。
先生は いつも癌患者さんに言われるように
「どうですか?」と、聞いてくださる。 私は 気おくれすることなく
「はい、元気です!」と、答えていたけれど、いつの間にか、先生の方から
「元気そうやな!」と、声がかかるようになった。
ということで、今日も 私は迎えに来てくれるタクシー会社に電話をした。
何時でも出られるように、玄関で待っていると、いつもより早いタクシーの到着に 慌てて玄関扉の鍵をかけ「ごめんなさね」と、急いで乗り込んだ。が、途端「あ、マスク忘れた!」と言ったかと思うと「あ~、サングラスも!」
運転手さんが 気がかりそうにこちらに顔を向けている。そこで
「まあ ええわ、マスクは予備 持ってるし…」というと、ほっとしたように「どちらまで?」と聞かれた。
「△△病院まで!」マスクをかけながら 行先をいうと
「クリニックじゃなくて、病院の方ですね」と 念を押され
「はい、病院の方でお願いします」と言って、やっと 落ち着いた。
車を発進して、しばらく走ると 運転手さんが
「00さん(私の苗字)ですよね?」と聞かれる。
《なんで?》と思いながら「はい、そうですけど…」と 答える。
「いや、お迎え先のお名前を聞いた時 もしかして…?と 思ったんですが今 乗っておられるのは 奥さんですか?」と 聞かれる。
「はい?そうですが…」怪訝に思いながら答える私
「あ~、そうなんですかあ、お元気そうで! いや、もう だいぶ昔ですが何回も ご主人を乗せたことがありまして…」
「へ~、そうだったんですかあ?」やっと 安心する。
「私も 運転手を40年やってまして…」
「へえ~、40年も?」私は 改めて、運転手さんの顔を見た。
顔はマスクで覆われ、短く整えられた白髪が 運転歴を証明している。
「主人の時でしたら、随分前ですよね?」
「そうですなあ。しばらく走る区域が 変わってましたんで…」
「でも、よく おぼえてくださってましたねえ」
「相当な数のお客さんを乗せていますんで、たいがい忘れていますんですがお宅のご主人は 覚えとります。立派な方で…」
え? 夫が 立派な方? 何があったん…? 私は 即座に
「無口な人でしたから…」と、運転手さんの過大評価を 打ち消していた。
「ええ、ええ…」と、しばらく思いにふけるような 沈黙がある。 一体 何があったというん? 私には《??》しか出てこない。と、不意に
「それにしても、奥さんはお元気ですなあ」と言われる。
それを 聞いた途端、なんだか居心地が悪くなった!
ので、又しても おしゃべりばあさんが出てきた。
「亡くなって もう十年以上経ちましたし、数年前に娘を見送って やっと私も 元気になったところですんよ」
弁明するように 言わなくてもいいことを口にしていた。
「そうですかあ、40年も運転手をやってると、いろんなことがありますなこの道も よう走りました」
ゆっくりと丁寧な運転をしながら 感慨深げに運転する。
この運転手さんは これで定年なのか?と 思いつつも、それ以上のことは聞かなかった。
「お客さん、そろそろ着きますわ」
駐車場のゲートに「満車」と赤い字が点滅している。
「ありがとうございました。また、いつか お出会い出来たらいいですね」
運転手さんは それには 反応せず
「ありがとございました。お気をつけて!忘れもんないですなあ?」と言い
「ないです」と、言う私の言葉をきっかけに バタン!とドアは閉まった。
病院は混んでいた。
病院の受付で 私は消毒液をたっぷり吹きつけた。
新年早々の《複雑な思い》をもみ消すように、何回もしっかりと 消毒液を手に揉み込んでいた。
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