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句画集「焦眉の風」制作句画集⑧

2022-06-10

 午後3時半すぎ、曇天。本日の土浦市の気温15~24度。暖かいような、暖かくないような微妙な天候である。先日から患っている胃病が投薬により、やや小康状態になってきたが、やはり体調は万全ではなく、日々消化に良い食事を心がけている。併し、毎日の食事メニューが単調化して、それは不満に思っている。

句画集「焦眉の風」の木版画制作は、しばらく頓挫していたが、今日復活する。

 上掲の木版画は「土浦ニューウェイ」である。「しあわせは 速度のなかにない」の句を入れてある。版画画面の半分ぐらいを占める高架線は、土浦市市街を通る自動車道路である。歩道から見上げると、まさに、このように高架線の構造物が展開している。実際の風景は、もっと細々と街灯やら電柱、看板等が犇き合っているのであるが、絵画として不要なものは摘除して、すっきりさせた。今度の版画では「押入れ頭男」が居ないように見えるが、画面左側の階段のところに、圧倒的なコンクリート製高架に圧迫されるように描いておいた。

 話はかわって、日本の今後のことである。日本は、これから駄目になってゆく一方らしい。少子高齢化で、労働力不足を補う外国人労働者は日本を見限って誰も来なくなる。日本は30年間賃金が上がらず、日本人のほとんどが今、貧困に苦しんでいるらしい。私は、個人的には30年どころか、19、20歳ごろから物価に比した賃金水準は最低で、一度も上がったことがなく、所謂、貧困しか体験したことがない。57歳にして子供がいないのも、一度として扶養家族を持てるだけの賃金になったことがなかったわけであり、しぜんと敗残者の暮らしが身についてきた。最低以下の暮らしで得たものは絶望を突き抜けた先に見えてくる諦念であった。諦念であったが、通俗の諦念であり、聖性はない。手許にある小さな欲望は手放さず、こぼれた豆粒を指先で拾うように欲望を拾ってきた。手の平で大きく欲望を掬うことはしなかったわけである。だから、私は今も、絶望の先にある通俗的な諦念のなか息がしていられる。

 日本は、これから前時代的な貧困時代を迎えるのかもしれない。すると、それは私がよく知っている世界の到来となるかもしれない。勿論、喜ばしいことではない。併し、日本も、ここで立ち止まって、一度じっくり考えてみるのもいいのかもしれない。

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