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「リヤ王」解説【シェイクスピア】

シェイクスピアはこれで7本目です。十分飽きています。でもやります。


あらすじ

娘を三人持っているイギリスの王様リヤ。領土を均等分割しようとします。

しかし最愛の三女がなんだか反抗的な言い方をしたので、怒って三女相続分は没収、上の娘二人に均分相続します。短絡的な老人です。

ところが上の娘二人は性根が悪く、父をいじめて追い出します。

絶望して荒野をさまようリヤ。気がふれてしまいます。

フランスに嫁に行った三女が救い出そうとしますが、あえなく失敗。最愛の三女は死にます。ショックでリア王も死にます。

長女と次女は、父をいじめ倒した上に、両者亭主持ちのくせに若いエドマンドという男性を取り合います。長女の浮気がバレて亭主に責められます。長女は次女を毒殺して自分も自殺します。結局王家の人間全員死にました。めでたしめでたしの逆です。(終わり)

構成

シェイクスピアの章立て、全てまったくあてになりません。一応こうなっています。

本来場所設定は書き込まれていないのですが、光文社の安西徹雄訳には、場面が書き加えられています。
残念ながら、対称構造も反復構造も発見できませんでした。

場所を屋内か屋外かで分別するとこうなります。灰色が屋外です。

つまり本作は、だんだん屋外に出てゆく物語です。物語の中心部分は

嵐の部分でして、、リア一行と性悪娘たち一行のシーンが交互に出てきて盛り上がります。天候とドラマの内容が一致しておりまして、ここらへんは詩人的資質が素晴らしいですね。
もしも仮に本作を簡単にまとめると、

という形になります。

キャラ配置

章立てには対句が薄弱な本作ですが、キャラ配置には対句が充実しています。登場人物で名前のある人はこちらです。

リヤ王とグロスター伯爵が対を作っています。

グロスター伯爵というのはリアの家臣なのですが、息子が二人いて、長男と少ししか年齢の違わない次男が庶子、つまり妾腹の子です。普通でしたら冷遇されるのですが、グロスター伯爵は愛情豊かな人物ですので、庶子の次男も可愛がって外国留学させたりする。すると次男も付け上がって、長男を追い落とし、父も追い落とし、自分がグロスター伯爵領を占有しようとする。挙句にリア王の娘の長女と次女、両方といい仲(両方とも亭主持ちです)になる。早く言えばリアの王国まるごと併呑しかねない勢いです。
最終的に次男のエドマンドは死ぬのですが、

リア王の均分相続:失敗
グロスター伯爵の長子相続:紆余曲折あっても成功

となります。本作は均分相続を下げて、やはり宇宙の摂理は長子相続だ、と主張するわけです。エドモンドが悪辣なことをするので父のグロスター伯爵は目を潰されるのですが、それは庶子で次男なのにエドモンドを可愛がり過ぎた、宇宙の摂理に反した行為をしたグロスター伯爵にくだされた天罰と見るべきです。

しかしグロスター伯爵以上にタワケなのはリア王でして、娘三人に均分相続させようとする。全てを長女に分け与えていれば、長女は性根腐れですから心から父を愛することはないのですが、それでも次女、三女の手前父を大事にせざるをえない。リアは絶望して荒野をさまよう必要はなかったと思われます。ちなみタワケとは、田分けと書きまして、田んぼを均分相続するとみんなダメになる、だから田分けをする奴はタワケであると言われます。日本でもイギリスでも理屈は同じようです。

ドラマが全てが終わると、こうなっています。青の三人しか生存が確認できない。タワケ王国の末路です。

相続というと、エマニュエル・トッドの家族システム論を想起されるかたが多いと思われます。イングランドは核家族じゃなかったのか。なぜ均分相続やら、直系相続するんだと。しかし王家は昔から直系相続が多いのですね。王家で均分相続というと、私はモンゴル帝国くらいしか思い出せませんが、あれは領土が広大すぎるので分割しなければ統治できない。普通サイズの王国ですと、分割した瞬間に王国ではなくなってしまいます。

そして核家族の特徴は、相続決定が親の任意であるということです。安西訳から冒頭の文章転記します。

ケント伯「王はコーンウオール公よりオルバニー公がお気に入りとばかり思っていたが」
グロスター伯「われわれもみな、いつもそう思っておったのだ。ところが今、いざ王国を分割する段になってみると、どちらを重んじておられるのか、見当もつかぬ。まさしく平等な御配分で、どう細かく較べてみても、たがいに甲乙をつけることができかねる」

トッド流に言えばこれは、領土分割が主軸なのではなく、分割方法を当代の王が任意に決定できること、任意決定が習慣化されていることを示す会話なのでしょう。相続の任意決定は核家族の特徴です。つまりこれは極めて核家族社会的会話なのです。

財産相続物語

本作には後継作品があります。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」です。

いずれも子供が三人、忠臣が居るのも共通です。

リヤ王もカラマーゾフも均分相続を指向します。リヤは第三子の相続分をはく奪しますが、カラマーゾフは第一子のミーチャが相続分のお金を前借して使い切ってしまうから問題が発生します。一連の相続ドラマの結果は大きく異なります。リヤ王の相続は全て失敗しますが、カラマーゾフは末子に相続されます。財産分割は述べられていませんが、ミーチャは監獄へ、イワンは発狂ですので、結局第三子のアリューシャが相続と見て差し支えありません。ロシアは均分相続指向が強いらしくて、均分相続への嫌悪はないのですが、結果的には末子にすべてゆきます。
もっとも直系的な相続ということで考えますと、末子相続は長子相続ほどではありませんが、十分に直系的です。兄弟たちが家から独立してゆき、最後に残った子供が親の面倒を見ながら財産を相続するパターンです。カラマーゾフは抽象化されたロシア王家なのです。

カラマーゾフにも後継作品がありまして、コッポラ監督の映画「ゴッドファーザー」です。

恋の取り合いの相手はなくなっています。相続は「カラマーゾフ」と同じく第三子にです。コッポラの祖父はイタリア南部の出身で、イタリア南部は「平等主義的核家族」、つまり均分相続の場所のようです。当初は長子のソニーが跡取りになる予定でした。しかし長男は死亡、結果的に三男マイケルが二代目ドンになります。次男は蹴落とされます。

相続物語は、「ニーベルングの指環作品群」のような、近代以降にしか成立しない物語と違って、

人類社会本来の経済物語のはずです。より根源的な物語、古い物語のはずです。だからうまくゆけば超名作が成立する。しかしどうも本数が少ない印象ですね。
思い返せば壬申の乱も応仁の乱も相続物語ですが、歴史文学の名作を成立させるようなネタではないです。恋愛を絡めにくいのも原因の一つかもしれません。ゴッドファーザーもシチリアでの恋愛がなければ、名作にはなっていなかったと思います。

シェイクスピアと聞くとむやみに神格化するむきもありますが、作品としての出来は本作よりも「カラマーゾフ」「ゴッドファーザー」のほうがはるかに上です。でも本作がなければそれらも成立しなかったでしょう。だからシェイクスピアもコツコツやってゆこうと思います。


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