グラデーションキャンドル【3/12】
イベントでキャンドルを売っていると、度々お客様とこんな会話をする。
「震災の時は本当にロウソクがあってよかったわ。あなたもそれがきっかけ?」
「いいえ、わたしは本当に趣味の延長で…確かにそういう時くらいしか使わないですよね」
今年もまた、この季節が来た。
どこかでも長々と書いた記憶があるから、同じことをまた繰り返し書いてるよって思った方がいたら申し訳ない。
でも、世の中にはいろいろな思いを持った人がいるから、その中の一つの意見として、今年も書かせていただきたいと思う。
読む人にとってはもしかしたら不快に思う部分があるかもしれない。
そう思ってしまった方がいたら大変申し訳ございません。
キャンドルを販売し始めた5年くらい前から、3月11日が特別な日になってしまった。
それまでは、「あぁ、もう〇年経ったのか」と思うだけの日。なぜなら、うちの親族は誰一人として震災で命を落とした人がいなかったから。
父親が石巻で仕事をしていたため、九死に一生の体験をしたという事と、当時付き合っていた彼氏が気仙沼出身で連絡の取れない家族がいるとしばらく不安な日々が続いたという事はあったが、結果的にみんな無事だった。
当時のわたしは、日中は美容室の受付のバイトをして、夜はカラオケでバイトをするというかなりハードな生活をしていた。
両方仕事のある日の睡眠時間はほぼゼロで、カラオケの夜勤が終わった朝8時過ぎに隣にあった某24時間営業の飲食店に行き、コーヒーだけを頼んでそこでよく寝ていた。
いつも店員さんが大丈夫ですか?と声をかけに来て、急いでお風呂に入りに家に帰って準備を済ませ、お昼過ぎから美容室に出勤。予約の電話を取ったり、お会計や掃除をしたりという雑用のような仕事の合間に、一瞬しゃがむとそのまますぐに寝てしまうくらい、疲れていた。
3月11日のわたしは、「①昼の美容室→②夜カラオケ→③昼の美容室→④夜のカラオケ」という、地獄の連勤の③のところだった。
体力が限界なので、カラオケの仕事は2日間連続では入れないようにしていたが、人が足りないからと急遽今夜も出勤してくれと言われた後で、体がもう持たないかもしれないと思っていたそんな時。
地震が来てすべてがストップした。
仙台市のど真ん中にある美容室だったため、津波などの心配はなかったが電気は消え、お湯が出なくなった。
美容室にはカラー材を髪に塗ったままのお客様が何組かいたし、本来落ち着いてお客様を誘導しなくちゃいけない美容室の従業員たちも、みんなパニックになって転んでケガをしていたりした。
そのまま帰れるお客様は荷物を持って帰ってもらい、休憩で店を出ていた従業員の安否も確認する。
カラーやパーマの途中だったお客様の頭を、美容師さんが謝りながら水で流していた。電気がなくてドライヤーも使えないから、髪が濡れたままのお客様に謝って、たくさんタオルを持たせて帰した。
後はよく覚えていなかったけど、外に出たら電気の消えたアーケードの中にたくさん人がいた。人込みを避けてアーケードの外に出ると、大粒の雪が降っていて本当にこの世が終わるんじゃないかと思った。
携帯は誰にもつながらないし、とりあえずバイト先のカラオケ店に行ってみる事にした。
アーケードの中の大きな時計が倒れているのが衝撃的だったし、そこらじゅう薄暗くて、これはとてもヤバいことが起きているんだとじわじわ感じ始める。いつも歩いている道なのに、何もかもが変わってしまったような気がしていて、カラオケ店について知った顔を見た時はホッとした。
その夜、歩いて帰っている時に家族と連絡がついた。
もう、父親と話をしたのか、母親と話をしたのか覚えていない。
何を話したのかも覚えていない。
帰り道は真っ暗で、途中にあるすべてのコンビニから長い行列ができていて不気味だった。
帰宅して見た目は何ともないアパートの扉を開けると、当時付き合っていた彼氏が懐中電灯でこちらを照らした。当時はキャンドルなんて持っていなかったから、その懐中電灯のあかりと、携帯のあかりだけでその夜を過ごした。
その夜は、父親は石巻で津波から逃げて何とか生き延びていたところ。
母親は、足の不自由な祖母と耳の遠い祖父、知的障害のある弟とどんな夜を過ごしていたんだろう。
考えると、少し気分が重くなる。
わたしは一体何をしていたんだろうと。
そうして、何年か過ぎてろうそく屋になったわたしは、お客様と「震災の時に…」というお話をするようになった。
「そうですよね、でも、仏壇のろうそくじゃなくて、こういうお花の入ったキャンドルとかだと場も和むと思うんですよね」
そう言って、いくつもこれまでキャンドルを売ってきた。
3月11日には周りに便乗してキャンドルを灯したり、その写真をSNSに上げたりしていたけど、ここ数年、疑問が浮かんでいた。
「わたしは一体何のために火を灯しているのか」
鎮魂という意味で灯したのであれば、なんだかすごく薄っぺらいな、という気がした。わたしの周りは誰も死んでいなくて、震災後も避難所生活などはせずに仕事がなくなっただけで普通に生活ができていたのだから。
それから3月11日が誕生日だという方の、別の苦しみがあるという事を知った。そういえば、うちの弟も13日が誕生日だから、なんかお祝いしづらいのかなと思ったり。
わたしは、誕生日なんだからどんな日でも思いっきり祝えばいい、と思うんだけど、そうもいかない人たちがいるのも分かる。
だから、今年はたくさんの方のキャンドルの灯りを見ていろいろな事を思った。
そもそも、なんでろうそくを灯すことが鎮魂になるんだろうとふと思って調べてみると、諸説あるようだが、炎は浄化の力があって暗闇から出るための道を明るく照らしてくれるらしい。
魂はその灯りに導かれてこっちに戻ってくると言われていて、ろうそくの灯りはあの世とこの世の架け橋的な存在となっているようだ。
そんなすごいものを作ってるって、すごいじゃん、と書いていてだんだん元気になってきたのでまた制作をがんばります、というお話。
いろんなイベントのキャンドル、本当に素敵でした!
花粉症で、こんなに具合悪くなるものだっけ?という毎日ですがなんとかやっています。
キャンドル販売は4月のイベントから。
母の日ギフトなども考案中です。
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