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人を愛せる大人になりたい、けれど恋にも未練あり。

恋とは。愛とは。

また考えてる。
恋は求めるもの。本質はたぶん「欲」だ。したい。なりたい。
愛は穏やかだ。ただただ、相手のしあわせを願う気持ち。

頭で考えるならば、恋よりも愛がいいと思う。
安定してるし、暖かいし、嫉妬も不安もない。
……でもさ、恋って楽しいんだよね。

恋に恋してるんだよな、僕は。いつまでたっても。
「愛に愛してる」って言わないもんな。恋はさ、やはり「乞い焦がれる」ものなんだな。

はじめは恋だったものが、じっくりと愛に変わっていく。
それはよくわかる。そして、それはきっとうれしいことだ。
だけど、僕はそうなると愛だけでは満足できなくて、恋がほしくて、また次の恋を探しに行ってしまうのだろうか。

僕は自分の恋愛を「非独占愛」と言っていて、おくさんもいるし、恋人もいるけど、誰にも遠慮することなく、新しく恋をすることができる。
「新しく恋をしたんだ!」って伝えると、僕の好きな人たちは、「よかったね~」と言って、微笑んでくれる。

でもだからこそ、自分はなんのために恋をしたがっているのだろうか、その恋は錯覚じゃないのか、ってことは、丁寧に考えたい。
恋は相手があることだから、自覚せずに他人を利用するようなことはしたくない。

いつまでも恋したいと思ってしまうのは、大人になり損ねてるのかなぁと思ったりもする。
恋が愛に変わることを寂しく感じるのは、相手のしあわせよりも自分の欲を優先しているような気にもなる。
「結局全部下心なんじゃないか」と自問自答して、勝手に苦しくなることもある。
愛でいいんだよ、愛がいいんだよ、って思える日が来るのかなぁ。

いわゆるマジョリティとして結婚した人は、結婚したらもう恋はしない(ということになっている)わけじゃない?
夫婦間で「恋」を維持できる人もたぶん少数派でしょう?
そうなると、人は「恋の欲」自体がなくなるものなのかな。
恋が愛に変わったら、それで満たされて欲が消え去るものなのかな?
完全には消え去らないけど、世間ではダメだということになっているから、その縛りがあるおかげでそれなりにやりすごして、そのうちに忘れられる、ってことなのかもしれない。
その方が悩み事がひとつ消えて、楽に生きられるのかもしれない。

うーんでも、僕はそうなりたいとは思えないな。
結局僕は、自分で「自由」を選んで、そのためにいつまでもずっと悩み続けているんだ。


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