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日本全国不動産掘り出し情報⑥

このnoteでは、『月刊不動産流通』の過去の記事を紹介しています。

今回は、「日本全国不動産掘り出し情報」
知る人ぞ知る全国各地の不動産情報を(株)遊都総研が解説するコーナーです。『月刊不動産流通2019年6月号』より、「多度津町」「福島市」を紹介します。

★多度津町

海上・陸上交通の拠点として発展。
庁舎の移転で駅の東西が融合へ

多度津

香川県中西部に位置し、北側に瀬戸内海が接する多度津町。東に接する丸亀市の中心市街地までは約4㎞、南に接する善通寺市の中心市街地までは約6㎞と近く、丸亀市とは市街地がほぼ連続している。

現在の人口は約2万3,000人、町の面積は約24㎢。平成の大合併の際にも隣接する市との合併話は無く、単独町制を維持したことから分かるように、大都市圏以外の町としては比較的人口密度が高い。

古くは港を中心に栄え、明治期以降は四国初の鉄道が開通したことで、交通の要衝として発展。かつては本州から多度津港に船で入り、JR「多度津」駅から鉄道で金刀比羅宮へ向かう参拝客でにぎわった。現在でも「多度津」駅はJR予讃線・土讃線が分岐する拠点となっており、すべての特急列車が停車するほか、同駅からは引き込み線を介して明治期から続く鉄道車両工場も置かれている。

さらに同町内には造船所も立地しており、海上・陸上交通の拠点としてだけでなく、「製造拠点」としても多くの雇用を生み出してきた。

一方、近年は昼夜間人口比率が100を割っており、通勤・通学流動では転出超過の状況となっている。隣接する丸亀市とは平坦地でつながっていることから、近年はベッドタウンとしての一面も持っている。

こうした中、同町では、JR「多度津」駅西側にある老朽化した現庁舎を、防災上の観点などから駅東側すぐの敷地に移転する計画を策定。それに先立ち、2018年3月には駅の東西を貫く跨線橋がすでに完成している。人口規模に比して広大な敷地を有する「多度津」駅は、まちを東西に分断する存在でもあったが、庁舎の移転を起爆剤に駅の東西が融合し、コンパクトで機能的なまちづくりが期待されるところだろう。

★福島市

かつての温泉旅館がサ高住へ転換。
震災からの復興はこれからが本番

福島

福島市の中心市街地から北へ約10㎞に位置し、宮城県の鳴子温泉・秋保温泉と並び、奥州三名湯に数えられる飯坂温泉。その歴史は古く、ヤマトタケルの伝説にも登場する。昔ながらの共同浴場が点在する一方、摺上川の両側に中高層の温泉旅館が壁のように立ち並ぶ。JR「福島」駅からは私鉄の福島交通で20分と足の便が良いことなどから、高度成長期には団体客を中心とする一大温泉街として発展。テレビCMを大々的に打った旅館もあったことから、東日本では随一の知名度を誇る時期もあった。

しかしその後は団体需要の落ち込みなどにより衰退。観光客数はピーク時の半分以下にまで落ち込み、温泉旅館の廃業が相次いだ。日帰り入浴施設の整備など、さまざまな振興策も実施されたが、現在でも往時のにぎわいには至っていない。

こうした中2013年、「飯坂温泉」駅前の橋を渡った川沿いの角地に、かつて温泉旅館だった建物をリノベーションしたサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)が開業した。建物内には学童クラブも併設している。目立つ場所に建つ温泉旅館の廃屋は、まち全体のイメージダウンにつながりかねないだけに、こうした「形を変えた再生」は好影響を与えているという。

また15年には、川沿いの並びで同じく温泉旅館だった建物がサ高住として開業。いずれも源泉掛け流しの入浴施設を併設しており、温泉街ならではのメリットをアピールしている。

なお、東日本大震災からの復興事業に伴い、ほぼ同じ時期に、多くの廃業旅館で解体が進んだ。廃業した一部の旅館は、震災復興作業の宿舎などとして再利用されたという。ただ、解体後の跡地の多くは更地の状態。震災復興事業の宿舎も期限付きの需要だ。高齢者住宅等への転換を含め、震災からの復興はこれからが本番と言ったところだろう。

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