次男の卒業式に際して感じたこと。

昨日は次男坊の小学校の卒業式でした。
次男坊は、どうも学校生活が肌に合わなかったみたいで、4年生頃から休みがちになって、6年生の2学期後半から完全に不登校になりました。
我が家、特に僕が「学校?別に行っても行かなくてもいいんじゃね?イヤイヤ行くくらいなら家で好きな事やっとけ」という考え方なので、チビも多少は気が楽に自宅警備員生活を楽しんでいる様子でした。
親としては、普通に学校行って普通に進学してくれて、普通に就職して、普通に結婚して、と歩んで行ってくれるのが心配事少なくて助かるけど、僕みたいなのが親だと、「レール外れても大丈夫」と思ってしまうのかも。(笑)

校長先生が講話で「夢を持ち、諦めなければ必ず夢は叶う!」という話をしていましたが、この手の「夢を持て」の同調圧力は本当にやめた方が良いんじゃない?と考えています。
若者が夢に向かって邁進する姿は美しいものですが、私が大学との共同研究や高校生向けのワークショップをやる中で感じた、日本の多くの若者は特に夢は無く、自分が何者なのか、価値があるのか、無価値な人間じゃないのか、分からないまま不安な気持ちで若くて貴重な時間を過ごしています。
そういう不安定な若者に寄り添うのが大人の役目だと思っているので、ステレオタイプ的に「夢を持て」という空気は乱暴だし、無慈悲でもある。
さらに付け加えると、「夢を追う」というのは、「失敗のリスクを受け入れる」と同義語で、「夢を追う人たちの大多数は失敗に終わる」というところまで説明できていない教育者が多いと思います。私は20代の頃にレーシングドライバーの夢を追い、30代以降は事業経営者としての夢を追っていますが、その中で失敗に終わった人を多く見てきました。私もレーシングドライバーの夢については「失敗した人」ですしね。
失敗するとミジメですよ。借金が残ったり、人が離れて行ったり、散々です。
「夢を追う」ことを美しい事として推奨するだけでなく、そのリスク、失敗しそうになった時のリスクマネジメントのやり方まで説明するべきと考えています。
ウチの会社には、たまに「俺、レーサーになりたいっす」とか「F1のエンジニアになりたい」という若者がやってきます。そういう人には、ひととおりのレースの世界の悲惨な現実を説明します。ココでは絶対に書けないくらいの犯罪者気質のロクデナシが割とゴロゴロいる世界(笑)なので、レースの世界のリスクの話をするとおおよその人たちは、ビックリして怖くなってトーンダウンします。多くはそれで来なくなりますが、しばらく考えて「それでもやりたいです。」と言い出すヤツもいて、その頃には目つきも変わって来ます。そうなったら、「じゃあ、賢くやる方法を一緒に考えようか。」となるワケです。


まぁ、そういう事もあって、「夢を追う」を安易に推奨する学校というものに多くは期待していません。学問的にも国立大学工学部を卒業してもウチの会社では即戦力には程遠いレベルなので、能力面でも期待していません。
(海外の大学は別です。海外の大学卒は割と即戦力)
だから僕は次男坊に「学校?行っても行かなくても良いよ。」と言っている次第です。
次男坊は、中学校には行く気あるみたいだけど、
「コロナ明けたら、学校休んで自転車で世界旅行行こうぜ」
と誘ったら、
「お父ちゃんと自転車で出掛けるのはキツいから嫌や。」だそうです。(笑)

フヂイ エンヂニアリング



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