「筆先三寸」日記再録 2000年3月
2000年3月2日(木)
今日も帰宅は11時を回った。
その駅からの帰宅途中、いつもの府道沿いを自転車で走っていると、前方の水銀灯が隣の交通標識と二本まとめて大きく傾いでいるのが見えた。目測でも20度近く傾いているように見えた。
「ああ、また誰かが車で突き当たったか」
と思いながら近づいていくと、ぐにゃりと曲がった二本の鉄柱の根元に、たくさんの花束やお菓子や缶ジュースが置かれていた。
「死んだんだ、死んだんだ、死んだんだー」
私は自転車でその横を通り過ぎながら、なぜかうろたえていた。
車がぶつかったと思われる位置から考えると、車は普通の乗用車。なら、二本の鉄柱の曲がり具合からしてスピードは50キロや60キロではない。
運転者は間違いなく年寄りなどではなかったはずだ。
あーもー、死んじゃダメだ死んじゃダメだ死んじゃダメだ死んじゃダメだ。
関係ないのに、夜中になってもまだ私はおたおたしている。誰がどんな事故を起こしたのかもわからないのに、まだ心が鎮まらない。
あーもー、死んじゃダメだ死んじゃダメだ死んじゃダメだ死んじゃダメだ。
今年の寒さはまだまだ厳しいですが、今日の帰りぎわ、家のそばでふと草の匂いがしました。今年初めてかぐ草の伸びる匂いです。
私の住む町は今日から春のようです。
2000年3月3日(金)
昨日書いた交通事故は、地元の高校生でした。なんでも卒業式の翌日、無免許にもかかわらず友人の車を借りて運転していたそうです。そして一人死亡、三人重体。
あたら春秋に富む若い命を散らして、四月からの就職や進学を楽しみにしていた本人の無念は、そしてご両親の悲しみはいかばかりでしょう。
自業自得、他人を巻き添えにしなくて幸い、などという言葉ももれ聞こえますが、なんともやりきれません。
死んではいけません。殺してはいけません。命は大切にしてください。
陳腐ですが真理です。笑うやつはぶん殴ります。
話はころっと変わりますが、また無駄使いをしてしまいました。
買ったのはビクトリノクスのツールナイフ(タイプ名は「サイバーツール」)です。以前、同社のスイスチャンプを持っていたのですが、震災の時に人に貸してなくされてしまい、新しいのがほしいなあと思いつづけていたのです。
それで今回、コンピュータ回りに機能を特化した製品が出るというので、待ちかねるようにして買ってしまいました。
あれこれついている機能は三十余り。とくにパソコン用として、特殊な形状のドライバーがいくつもついているのが特長です。その分ルーペややすりが省略されています。
そして初めてのスケルトンモデルです。雑誌なんかで見かけた方も多いかと思われますが、真っ赤な透明の合成樹脂で覆われたハンドルは本当に美しいです。
何に使うというあてがあるわけではないのですが、妙にうれしいです。
ただ、それほど高価なわけでもないマスプロ・ナイフを買っただけなのに、給料日まで二週間を残して爆貧生活に突入することになってしまいました。
三十過ぎが金持ちだなんて誰が言った。
2000年3月4日(土)
3月に入って卒業式に関する新聞記事を目にすることが多くなった。今日は卒業式の思い出でも書こう。
私の卒業した高校は、府下でも自由な(というか生徒ほったらかしの)校風で知られていた。頭髪・服装は自由、アルバイトやバイクに関しても禁止は一切なかった。勉強に関しても、夏休みの補習なんてものもなく、なんの締めつけもない代わりに、三年生になっても進路指導をしてくれない、という風であった。
まっ昼間に、学校のそばの喫茶店でたまっているところを先生に見つかっても、「自習でーす」といえばおとがめなし。
別の高校の友人が、「お前のとこは高校とちゃう、キャンパスや」と言ったのもむべなるかなである。
そんな高校でも卒業式はある。
その日、卒業生は男女とも大半がスーツで、女子の一部に振袖や袴姿が見られた。あ、男で一人、紋付袴のやつがいたなあ。
まるで大学の入学式である。事実、進学したほとんどの連中は、卒業式と同じ格好で入学式に臨んだと聞く。
高校の三年間というもの、体育祭も含めて、行進の練習など一度もしたことがなかった私たちは、やはりだらだらと連なって卒業生の席に着いた。
集まった講堂には日の丸も君が代もなく、校長や来賓の挨拶と送辞答辞のやりとり、そして卒業証書の授与というお決まりの次第で滞りなく式は進んだ。ネタやくすぐりをちりばめた卒業生の答辞で、厳粛な会場を笑いに包んだ総代が偉かったのか馬鹿だったのかはともかく。
ただひとつ、私たちの高校の卒業式には奇妙な伝統があった。
式がすべて終了し、卒業生退場の合図がなされると、卒業生が「仰げば尊し」を歌いながら退場するというものである。式次第にもなく、先生もとくに期待しない、まったくの卒業生の勝手な振る舞いではあるが、生徒の間で代々受け継がれてきたという。
卒業式当日、「仰げば尊し」など歌ういわれはない、とビラを配ったはねっかえりの三年生もいたが、まあ、みんな歌うつもりでいたとは思う。
そして、式は終了した。
これまでの伝統にのっとって、卒業生は立ちあがりながら、「あーおーげーばー、とーおーとしー」と歌い始めた。
だがしかし、それは「蛍の光」のメロディだったのである。
どこのどいつが歌い出したのか知らないが、みんなつられておかしな「仰げば尊し」を歌いはじめた。
実際に歌ってみればわかるが、「仰げば尊し我が師の恩」までは、「蛍の光窓の雪」のメロディで案外違和感なく歌えるのである。
そして五小節目にさしかかったところで、「いつしか年を……」と無理に続けるやつと、「文読む月日……」と「蛍の光」に軌道修正するやつとに、見事にわかれてしまった。
会場が爆笑の渦となったのは仕方がなかったと思う。
私たちは大笑いしながら、もう自分たちのものではなくなった教室に戻った。
これが私の卒業式の一番の思い出である。
よい思い出のような気もするが、とても情けない思い出のような気もする。
きっと両方なんだろう。
2000年3月6日(月)
下の子はようやく一歳十ヶ月になり、徐々に言葉も増えてきた。
「にゅうにゅうこっぷー」
これは、「牛乳をコップに」から転じて、「何か飲み物をもらいたい」の意である。
「ねんね」、「ぶーぶー」、「わんわん」、「おいしー」、「かあいー」、「いーたーいー」等々は、わかりやすくもあるのだが、同音異義語とでもいうべきか、同じ言葉でも多様な解釈を要求される場合がままある。
たとえば「あっちー」は、第一に「このお椀はたいそう熱いことだよ」であるが、同じく「あっちー」が、「向こうの部屋へ参りたい」を意味することもある。
「おぃちっこー」は、ご想像の通り「おしっこへ行きたい」もしくは「おしっこをいたしました」の意であるが、「ただいまおむつの中に大便をいたしました」ということである場合もある。
また、同じく「おぃちっこー」であるが、他にも「イチゴをいただきたい」という要求のこともある。この場合、おむつを確かめようとしたりすると真剣に憤慨するので、機に臨み変に応じて判断するためには親としての熟練を要する。
そして、自分では大人並に話せているつもりのようでもある。絵本やおもちゃを指差しながら、何事かを一生懸命説明してくれるのだが、まったく意味不明である。
「こえあぅぐーねなすすくぁもみーゅうねん、あぁくゎゆていーな」
そして一人声を上げて笑ったりする。こちらは曖昧な顔でうなずくしかない。
「ぜんぜんわかれへん」とか言うと怒るのである。
本人は一人前のつもりなのである。
先日も、ちょっと上の子を叱ることがあったのだが、親が叱っているそばへ来て、一緒になって自分の兄を叱りつけるのである。怒った顔で語気も荒く、
「ほせてぃうしゅくわなのむぅ、ああーんやん!」
などと繰り返すのである。ちなみに、「ああーんやん」は「あかんやん」の意である。
普通、小さな弟というものは、叱られている兄をかばったりするものではなかったか。
ということで、これを1ヶ月ぶりに。
「ちょっと、ともちゃん、ともちゃん、『おとうさん』は?」
「んっくっくー」
もう君とはやっとれんわ。
2000年3月7日(火)
かつて僕は学者になりたかった。学校のお勉強がとりわけ嫌いだった僕が、あるとき、どういう風の吹きまわしか勉強の面白さに目覚めてしまったのだ。
それは学部の二年生から三年生にかけて、二十歳の頃だったと思う。専門過程のゼミやレポートに追われながら、僕は初めて自分の頭で考える学問というものにのめりこんでいった。
先端の業績に触れながら、自分で考え、自分で調べ、実験や調査もしながら、自分なりの解決を探るという作業は、僕にとって何よりも興奮に満ちたエンタテインメントとなった。
そして、その仕事の過酷さや要求される才能の重要性を深く考えることもなく、僕は研究者になりたいなあと考え始めていた。
しかし、僕は大学院の入試に二度も失敗した。周囲は、当時僕を嫌っていた教授とのトラブルが原因だと慰めてくれたが、僕は語学の力が足りなかったせいもあったろうと思っている。専門の研究はともかく、こつこつした勉強は相変わらず苦手だったのだ。
二度の失敗の後、結局僕は大学院への進学をあきらめた。
別の教授は、自分の弟子筋にあたる教授のいる私学の大学院を勧めてくれた。その先生は、給料が欲しいのなら九州にある自分のシンクタンクへ来いとまで言ってくれた。
それには今でも恩を感じている。
でも僕は、研究生として迎える二度目の夏に、公務員の試験を受けた。
当時、僕の実家が他人の借金を背負い込んでとても苦しんでいた、というのもある。博士過程までつとめ上げてもろくに就職のあてもない分野に進んで、一体どうしようというのかと自問してしまった、というのもある。
それに僕には、学生の分際ですでに結婚を約束していた今の妻がいたのだ。
振り返ってみれば、結婚のために進学をあきらめたような形になってしまったけれど、僕はとくに後悔はしていない。今となっては、本当に進学したかったのか、単にモラトリアムを引き伸ばしたかっただけなのかも判然としない。
そして、今は公務員とはいえ、一応専門職としてそれなりの勉強もしながら、かつての虫をなだめている。
そんなわけでとうとう僕は、大学院卒の学歴も大学講師の肩書きも手に入れられなかったが、それと引き換えに、小さな家と三人の家族を手に入れた。そして、身分相応の、ありきたりの、小市民の、地味な、貧乏くさい、どこにでもあるような、先の知れた、ちっぽけな幸せを手に入れた。
大学時代の友人の何人かは大学の先生になっているけれども、今はもううらやましいとは思わなくなった。がんばってるなあと思い、がんばれよとも思う。
僕は挫折したのだろうか。
2000年3月8日(水)
昨日は日曜出勤の代休で、昼間はずっと家にいました。
一人で家にいるときは、昼食を適当に済ませることが多いのですが、食べに出かけるのも億劫なので、昨日は自分で作ることにしました。スピード優先のチャーハンです。
ハムを刻んで、卵をといて、フライパンをあたためて。包丁もボウルも、使ったものはがんがん水をは張った洗い桶に放り込んでいきます。あとで全部まとめて洗えばいいのです。
チャーハン炒めは水分を飛ばすのがポイントですが、ご飯に卵をからめてからはフライパンに押し広げるようにして炒めていくのがコツです。もちろん左手首だけでフライパンの中身を返さなければなりません。
チャーハンだけでは少しもの足りないので、冷蔵庫にあった絹こし豆腐を皿に移してチンしました。ねぎと鰹節を振りかけて醤油をたらせば即席の湯豆腐です。
正味15分で食事の用意はできました。食べるのは10分です。せっかく一人なんだから、もう少しゆっくり食べればいいと思うのですが。
皿やスプーンは当然さっきと同じく水の中に放り込んでしまいます。
洗うのは一息ついてからです。
そして、鼻歌まじりで食器を洗い始めました。上のほうからひとつずつ、洗剤を含ませたスポンジできれいにしていきます。
で、他に洗うものは、と桶に手を突っ込んだ瞬間、
「あ"、あ"がー!」
水の中で、一番最初に入れておいた包丁の刃を、思いきりつかんでしまったのです。
ザクて! ザクて! お前はジオン軍か!
ボケてる場合ではありません。ほんとにそんな音がして、左のお姉さん指からボタボタと血が滴りました。手がぬれているせいで、実際の五倍くらい出血しているように見えました。
幸か不幸か、包丁はよく研いであったので、傷口は滑らかだったようです。血もすぐに止まり、傷口もじきにふさがりました。
今日の教訓 : 包丁の刃はつかむと痛いです。
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話は変わって、今日の夜。
大阪は、寒の戻りというのか、ずいぶん冷え込んでいました。
それで、子どもたちを寝かそうとすると、上の子が言いました。
「お父さん、今日はいっしょになおちゃんのお布団で寝て」
お、甘えるなんて珍しいこともあるもんだ、かわいいことを言うじゃないか、と思いました。
「うんうん、なおちゃんが寝るまで、お布団に入ってたげる」
すると、息子は言いました。
「でも、お布団があったまったら、お父さん出てな」
おーい。お前にとってお父さんはなんやー。湯たんぽかー。
おーい。
2000年3月9日(木)
みなさん、プレステ2は買いましたか? あの恐るべきスペックと描画能力を誇るプレステ2は買いましたか?
私は買ってませーん。おっちゃんは屋根の修繕でお金がなくなってしまいましたー。ほっしーですが買えませーん。おねだりしたらお母ちゃんにおこられましたー。えーん。
ていうか、あれだけのマシンになると、初期ロットはちょっと手を出しにくいです。所期の出荷量を確保するのに検品の手を抜いてたとかいう噂もあるし。サターンなんて知らん間にOSのバージョンまで変わってたっていうのに。
石橋を叩いて渡るというか、初日に買ったやつを先に渡らせてみたというか、やっぱり私は卑怯ですか?
もっと正直に言うと、リッジレーサーだけではちょっと、というのもあります。
もっともっと正直に言うと、どうせ買ってもDVDのアダルトソフトを見るつもりしかない、というのもあります。それならレンタルビデオで十分です。
どうせ夏前には値下げするでしょうから(勝手に決めつけてる)、それまで待つつもりです。
そのときはまた日記でちゃんと自慢するから。へっへーん。
2000年3月11日(土)
遅ればせながら、今日テレビで「フォレスト・ガンプ/一期一会」というのを見た。劇場公開時には大評判にはなっていたし、トム・ハンクスがアカデミー賞を取るとか取らないとかで話題にもなっていたので、内容は大体知っていた。というか、「主人公がそうなら、どうせ……むにゃむにゃ……」と、感想の中味までほぼ想像はついていた。
そして、今夜、なぜか11時過ぎまでかかって観てしまった。
内容は想像のとおりだった。あれがああなって、最後にはこうなった。
うわさのCGも、2000年の今となってはたいしたことはなかった。
しかし、製作者の術中に陥ったというべきか、少しばかり感動した。
「アメリカの良心」というものを感じたような気がする。
アメリカはいろんな意味で気に入らない国のひとつではあるのだけれども、この映画の全編を覆うアメリカという国の美点と、アメリカ人の美徳には、やはり胸を打たれた。
フェアであること、正直であること、身を粉にして働くこと、自立すること、家族を愛すること、人としての誇りを持つこと、他人のために力を尽くすこと、etc.etc.……。アメリカは本当はそれらのことを、他のどの国よりも大切にしてきた国だったのだろう。
けれども、現代にこの物語を生み出すにあたって、主人公を軽度にせよ知的障害者としなければならなかったところに、アメリカの悲劇がある。そうでなければ、寓話としてさえリアリティを与えられなかったのだ。
知的障害者を主人公にした「ヒューマン・ドラマ」は、日本にもなくはない。そう、「裸の大将」シリーズである。
決してすべてがつまらないと言うつもりはないが、あれは「天才」なり「画伯」なりという記号に頼りすぎるところがあって、結局好きにはなれなかった。どうも「水戸黄門」のバリエーションのようにも見えて。
「フォレスト・ガンプ」と「裸の大将」は、だからまったく違う。
前者は、あくまでも平凡な一アメリカ人の人生の物語である(ランニングや卓球の才能は物語の本質とはかかわりがない)。誰でもが、先にあげたいろんな美徳をすべて同時に達成しうるという可能性の提示である。
後者は、天才ならではの物語である。人々との心温まる交流も、主人公が画伯であることによって、物語上の(ストーリー上の)意味は大きく異なってくる。そして、最終的には、天才はその天才によって、救われかつ排除されることになる。
フィクションとしてはまったく違う道筋にあるものなので、どちらが上という話ではない。
私は日本人であってよかったと思っているのだが、日本版「フォレスト・ガンプ」はちょっと想像しにくい。まったくもって、幸か不幸か、というやつである。
2000年3月13日(月)
なんか、4月から子どもを車に乗せるときは、チャイルドシートの着用が義務付けられるようです。そのへんはちょくちょく新聞なんかで目にするのでご存じの人も多いでしょう。
それでよく目にするのが、「チャイルドシートは高すぎる!」とかいうユーザーのご意見てやつです。まあ、普通の赤ん坊用で4、5万円、新生児から使えるやつになると十万円とかしますから、高価に見えるのかもしれません。
でも、私に言わせると「おまえはアホか」ですね。
だいたい安くても百万円からする車を買っておいて、4、5万の金がないとはどういう了見なんでしょう。自分で言ってて矛盾に気づかないんでしょうか。
ことは我が子の安全に関わることなのに。
「十万出さないとお前の子どもを殺す」と言われたら、即座に用意できるくせに。
事故なんていくら気をつけてても起きるときは起きるし、簡単に巻き込まれるというのに、そういう想像力って働かないんでしょうか。でも任意保険は、同じくらいの金を出してきっと入ってるんでしょ。自動車税しかり、車検費用しかり。矛盾だらけですね。
百歩譲って、自分の子どもがいくら大怪我しようと数万円のお金の方が大事と腹を括ってるのなら、それを認めるとしましょう。それはそれで立派な覚悟です。
けど、オカマ掘るこっちの身にもなれっちゅうねん。こっちは運転へたくそで、いつでもぶち当てる用意はできてんねんぞ。そんなもん、簡単に死なれたらえらい迷惑やっちゅうねん。子ども殺したら寝覚めも悪いっちゅうねん。
せやから、ちょっとの金をけちるようなことはするな、頼むから。
私? チャイルドシートは車と同時に買いました。上の子用にもジュニアシート(座面だけのやつ)を、ずっと前から使っています。
でも、車が軽なのでめっちゃ狭苦しいです。ほっとけ。
2000年3月14日(火)
時事問題が続きますが、毎日が退屈で日記のネタに困っているとか、判で押したような毎日のことは思い出したくもないとか、そんなつもりはちょっとしかありません。
で、警察の話なんですが、去年から不祥事続きです。
神奈川県警の一連のやつを手始めに、奈良、新潟、埼玉、その他いろいろと国家公安委員会まで含めて、枚挙にいとまがないほどです。そして、新聞には警察のモラルが低下したとか、不景気でたががゆるんでるとか書いてありますが、あんなのまるっきりの大嘘です。
これは私の勝手な思い込みですが、たぶん55年体制の崩壊に関係があります。
早い話、自民党だけでは政権を維持できなくなったので、警察の不祥事をもみ消したり、握りつぶしたりすることが簡単にはできなくなったのです。そこへ、国民には(交通違反時の経験等によって)人気のない警察の失態を突いておけば、ポイントも上がるんじゃないかという一部野党の思惑がかぶさります。だから、あれほど次から次へと、あふれるように不祥事が出てくるわけです。
あれくらいのことは、昔から、すべて全国で日常茶飯事だったと思います。今さらとくに驚くようなことではないと思います。
マスコミや市民の目が光るようになって、やっとこさボロボロと不祥事が出てきただけなのです。
あまり細かいことまであげつらうのもどうかと思いますが、今後もっともっと出てくるようにも思います。
「事件は現場で起きてるんじゃない、会議室で起きてるんだ!」ですね。
2000年3月15日(水)
今日の更新:バカエッセイに「雪国の世界2(新聞編)」
昨日は酔っ払って(マジ酔ってた)、変な文章で警察の悪口を書いてますが、私はそれほど警察に悪印象を持っているわけではありません。日本の警察はそれでもよくやってるほうだと思うし。金もらってストリートチルドレンを撃ち殺してまわるような警官なんて、さすがにいませんから。
まあ、親類に何人か警察官がいて、内実(ていうか気質)をよく知っているというのもあります。だから、次から次へと噴出す不祥事も、さもありなんと思うだけで、「信じられない」とか、「今や警察の信頼が」とかは全然思いません。
日本の警察は基本的に、義理人情の世界です。市民のためというより仲間内の。超体育会というか、石原軍団というか、任侠系の擬似家族のようなモラルで動いています。上の言うことは絶対で、下は命がけで仕事と仲間に尽くします。だから現場の警官のメンタリティは、検察側というより暴力団に圧倒的に近いです。
だからあれらの不祥事は、私にとって不思議なことではありません。「そらやってしまうやろ」と思うだけです。だからといって、やっていいわけではありませんが。私だって報道を見て激怒したわけですし。
あっれー、警察の悪口書きそうになったので、フォローをしようとしたのに全然フォローになってないような気がする。
おじさんの名誉のために書いておくと、現場の下っ端は、本当にバカ正直にまじめに働いています。信じがたいくらい休みを取らず、夜となく昼となく、家族なんてあと回しもいいとこです。たまに撃たれそうになったり殴られそうになったりもしています。撃ちそうになったり殴りそうになったりもしているようですが。
そんなこんなで、不祥事の根絶は服務規律を厳正にしても無理だと思います。ちょっと違いますが、東海村臨界事故がいい例です。手順に厳しい決まりがあっても、結局バケツになってしまうのですから。
結局のところ、信頼回復には全体の意識改革しかないと思います。規則やモラルより身内の義理人情を優先するようなメンタリティを徐々に変えるしかないでしょう。ほっとくと先輩を「兄貴」、隣の課長を「叔父貴」と呼びそうな人ばっかりだから、とても難しいとは思うけれど。
ところで、久しぶりに「雪国の世界」を書いてみましたが、どんなもんでしょう。
そもそも『雪国』って、いまだに読まれているんでしょうか。中学や高校の課題図書として読んだことのある人は多いと思いますが、そんな人ももう一度読むことをお勧めします。
だって、「ノーベル文学賞受賞!」とはいうものの、堅苦しいとか退屈とかいう印象が先に立って、内容まで知らないとか覚えてないとかいう人ばかりのようですので。
はっきり言って大人の小説です。文章を粗雑にして下品にすれば、渡辺淳一みたいです。
駒子が島村に「いい女だ」と言われて腹を立てるところなんて、まだまだ尻の青い中高生にわかるもんじゃありません。
角川文庫版で280円。コーヒー一杯より安いくらいの値段で、絶品で色っぽい文章が一時間少々は十分楽しめます。お得だと思いますよ。
2000年3月16日(木)
今日、新聞の折り込み広告に面白いものが入っていた。いわゆる「探偵社」の広告である。かなりめずらしい。
おまけに、1m平方あたり70~80グラムのコート紙に両面4色、写真も15、6点。金のかかったチラシである。枚数にもよるが、1枚あたり10円近くするはずである。さすがハッタリ勝負の業界であるといえよう。
いや、そんなことはどうでもいい。チラシの表は、「おまかせください」とか、「安心」とか、「低料金」とかのお決まりの文句が並んだ調査の広告である。
私が、興味を持ったのは裏面である。この探偵社は、「探偵学校」を経営しているらしいのである。それも全国に6校も!
というコピーもたいへん素敵である。その横には、「業界初の探偵教本『完全探偵教範/全2巻』」の写真もついている。写真で見ると、その教科書の英文タイトルは、「 Hyper Detective Text 」なのである。しびれるー!
やっぱりなにか、尾行実習では電柱から電柱へ、スササササと移動したりすんのか? 盗撮実習では、ライター型の超小型カメラで、タバコに火をつけるふりをしながら写真撮んのか? 学校の制服はやっぱりトレンチコートか? うっわー、なんかめっちゃ見学したい。
ま、冗談はともかく、興信所の広告があっても別にいいと思うが、豪華な広告のわりに、「(社)大阪府調査業協会正会員」とか、「差別調査はいたしません」とかいう文言がどこにもないのは、とくに大阪では致命的だと思う。「行方不明者の調査」のところに、「家族からの依頼に限る」とかの注釈もついてないし。
なんだかパチモンに見えるんだけど。学校も持ってるのに。
2000年3月20日(月)
四日ぶりの日記というのは久しぶりですが、この連休は二泊三日で実家に戻ってたりしたもので、まあそのへんはご勘弁ください。
といいつつ、旧に復して適当な日記を書くかと思えば、これがそうもいきません。
買い物にも行きましたし、墓参りにも行きました。祖母のお見舞いにも行きましたし、今日なんて自治会の総会なんてものまでありました。だから、日記に書くことなんていくらでもあるはずなのです。
でも、どうも書く気になりません。
三日も休んで明日からまた仕事というのが、ちょっと気が重くて。
このところ、担当の仕事がぜんぜん自分の思惑からはずれた方向へ転がり出していて、ちょっとしんどいのです。別に悪い方向へ向かっているわけではなく、むしろ派手な方向へ向かっているので、面白がることもできなくはないのでしょうが、性格が根っから事なかれ主義なので急展開というのはどうも苦手なのです。
いくつになっても、自分の卑小さと向き合うというのはストレスがたまります。いまさら自己嫌悪という柄でもないので、きちんと受け入れようとはするのですが、ヤンキーとメンチの切り合い(ガンのつけ合い)をしてるみたいに、向き合ってるだけでストレスがたまります。
そら中高年の自殺も増えるわ、というのが正直な感想です。
もちろん私は自殺などしませんが、リストラや業績不振で自殺を考えるようなサラリーマンには、同じ種類のストレスが何十倍もの重さでかかっているのでしょう。私にしてみれば、(自分のことは棚に上げて)そんなにまじめに向き合わなくてもいいのに、と思います。上司や家族の前でぽろぽろ泣いて見せることができたなら死ぬこともなかったろうに、と思ってしまいます。
でも、直面せずに間断なく視線をそらしつづける作業も案外大変なのではないでしょうか。そんな状態をアノミーとでもいうのでしょう。いずれにせよ、個人にとっては不幸な状態です。
それで私ですが、では私はどうすればいいのでしょう、などと自問しているヒマがあればちゃんと仕事をすれば済む話です。愚痴みたいな日記を書いてないで。
うーむ、この日記をはじめたときには絶対書くまいと思っていたような陰気な日記になってしまった。
こんなん嫌いですか?
(好きって言われてももう書きたくないけれど)
2000年3月21日(火)
携帯電話をiモードに変えてそろそろ三ヶ月になるのだが、メールの送受信を一度もしたことがない。
笑うなっちゅうねん。友だちいてへんねんもん。メル友もいてへんねんもん。ひーん。
いやまあ、日常的にメールで連絡を取りあうような習慣を持つ人間がまわりにいないというだけのことなのだが、こんなことではiモードを持つ意味がないにもほどがある。
いや、書きたいのはそんなことではなかった。
今日、iモードで初めてインターネットにアクセスしたのである。
せやから笑うなっちゅうてんのに。電話なんかかかったらええと思てんねんから、iモード使わんくらいのことで、ほっとけっちゅうねん。
iモード専用のサービスというのは何度かのぞいたことがあるのだが、URLを直接入力してみたのは初めてである。案外面白い。うちの掲示板がケータイでちゃんと読み書きできることが初めてわかった。それに、トップページも(テーブルはくちゃくちゃになるけど)それなりにわかるし、リンクも生きてるので日記や他のテキストも読めるのである。日記は二、三日分しかだめだし、テキストも長いやつは最後まで入らないけど。それでも、へええええという感じの驚きであった。
つっても、自分の日記を読んでも仕方ないか。でもま、掲示板がOKというのはうれしい。
それに、トップの軽いテキストサイトで好きなところは多いし。
というわけで、iモードでインターネットはウソじゃなかったという大発見のお話でした。大発見なのか。
2000年3月22日(水)
今日、職場で蛍光灯の切れたのを交換したのだが、踏み台にした椅子の低いのがいけなかった。
交換したのは直管の長いやつなのだが、ご存じのように、この手の蛍光灯は両端に電極がついている。そして、その両端の電極を、器具の両端の内側の小さな穴に差し込んで固定するようになっている。
普段なら、電球の中央あたりを持って、両方の電極を差し込んでおしまいなのだが、今日はちょっと勝手が違った。椅子の上に立ち上がってみると、ぎりぎり電灯に手が届くくらいなのである。切れた電球をはずすのは、なんとか無理なくできたが、新しい電球をつけるのに大変苦労をした。
電球の中央部を持つと、背伸びしたままになってどうも力が入らないので、まず片方だけでも差し込んでしまえと、私は電球の一方の端を持って、反対側の電極を器具の穴に差し込もうとした。電球を傾斜させて支えざるをえない以上、中央部より端のほうが低くなって、力を入れやすくなる道理である。
しかし私は大切なことを忘れていた。私が握っている方の端には電極があり、反対側の端の差し込もうとしているのも電極なのである。めんどくさいので電灯のスイッチは入ったままである。
ドンッ! て感じでした。ビリビリビリとか、ババババとかじゃなくて。肩から前腕にかけて、ドンッ! って大太鼓の一打ちみたいなショックでした。
片手で助かりました。両手で触れていたらどうなってたかわかりません。でも、その一瞬ですごく筋肉が緊張したのか、なんだか前腕が筋肉痛です。
感電なんて、何年ぶりだろう。びっくりしたけど、ちょっとわくわくもしてしまった。
家に直管の蛍光灯のある方は一度試してごらんなさい(ウソウソ。よい子は真似してはいけません)。
2000年3月23日(木)
数年前から、男性用かつらメーカーのCMは、「ヘア・サポート」だの「ヘア・チェック」だの、まるで「頭のエステサロン」みたいな様相を示している。それまでは、藤巻潤や中野浩一あたりが、かつらをつけたままスポーツをしたり、シャワーを浴びたりして、「こんなに自然、こんなにタフ」ということを訴えかける商品説明型のものが多かったのに。
昔の話はともかく、今はかつらそのもののCMはほとんど見かけなくなった。
「シャンプーでは落ちない毛穴の汚れを……」とか、「毛穴の皮脂は頭皮に悪影響を……」とか、そんなのばっかりである。頭が汚れてるとバサバサ毛が抜けて、あっという間にハゲになるぞと言わんばかりである。
でも、これってなんかウソくさくない?
だって、ハゲのホームレスってほとんど見かけないし。
やっぱり、遺伝とストレスでしょ、ハゲは。
2000年3月24日(金)
昨日、帰りに買い物に寄ったついでに、おもちゃ屋で「仮面ライダークウガ」の人形を買った。ソフビ製の20センチほどのやつである。
持って帰ると、案の定、子どもたちが喜ぶ喜ぶ。箱から出すといきなり奪い合いである。
勝ったのは、やはり下のチビさんであった。むんずとつかんで走り去り、人形の顔をためつすがめつ眺めている。そのうち、仮面ライダーが憑依したのか、人形を手に持ったまま、「しゅっ」とか「かぁっ」とか言いながら決めポーズを取りはじめた。本人はカッコイイつもりだろうが、はたで見ていると、まるで「テレタビーズの空手入門」である。キックのつもりか、10センチほど片足を上げては転んだりしている。
そうなるとおさまらないのはお兄ちゃんである。自分もクウガの人形で遊びたくてたまらない。「ともちゃん、かしてー」と手を伸ばして寄っていくのだが、それしきのことでおもちゃを譲るチビではない。「いーやーやー!」と叫んで逃げてしまう。
お兄ちゃんが人形をつかもうものなら大騒ぎである。「あーかーんー!」、「いーやーやー!」と大声で泣き叫ぶ。親としては不本意ながら、ひとまず兄貴に我慢させざるをえない。
しかし、それはやはり悔しいのか、お兄ちゃんまでとうとう泣きだした。
「なおちゃんも遊びたいのにー。うぇ~ん」
もはや号泣である。口をへの字にして、涙をポロポロ流して泣く。ほっぺを真っ赤にして、大声で泣く。
なにもそんなことぐらいで、というのは大人の理屈である。
上の子は、普段から聞き分けもよくて、言うこともよく聞くし、チビの遊び相手にもなってくれるので油断していた。ほとんど一人前の大人扱いしていたような気がする。
顔中を口にして、きらきら光る涙をポトポトこぼして、大きな声で泣く姿を見ていて久しぶりに気がついた。
「ああ、やっぱりこいつは五歳なんだ」
それは、大人と呼ぶにはまだまだ未成熟な、という意味ではない。まだまだ物の道理がわからない、という意味でもない。
子どもを指して、「まだまだ」と言ってしまうのは大人の傲慢である。子どもは、子どもとしてすでに完成している。
彼はすでに立派な、一人前の五歳児なのである。我々大人とは異なる文化、異なる世界、異なる論理の中で精一杯の生を生きているのだ。それはあくまでも「異なる」ものであって、「劣った」ものや「未熟な」ものでは決してない。
それでもやはり親の目から見れば、やることなすこと「しょせん五歳児」なのだが、「ニカウさん」を嘲笑うのが愚劣であるのとまったく同様に、「しょせん五歳児」もやはり馬鹿にするのはまちがいであろうと思う。
下のチビは仮面ライダーの人形を握りしめたまま、泣いているお兄ちゃんをしばらく不思議そうに見つめていた。
そのうちに、お兄ちゃんがあんまり泣くので不憫に思ったのか、ちょこちょこ近寄って大事な人形をお兄ちゃんの胸元に押しつけた。そして、手を伸ばしてお兄ちゃんの頭をなででやるのである。普段はなにかというと、お兄ちゃんの頭をひっぱたくのに、心配そうに顔をのぞきこんでなでなでしてやっているのである。一歳児にも一歳児なりの思いやりがあるのだろう。
そして、ようやく二人で遊び始め、茶の間には平穏が戻ったのである。
めでたしめでたし。
しかし、毎日こんなことを繰り返されてはかなわない。そこで兄弟にひとつずつ持たせようと、今日、別バージョンのクウガの人形を買って帰った。新しい仮面ライダーは、マイティフォームだ、ペガサスフォームだと、色違いでいろいろと変身するのである。
家に帰って、新しい人形を鞄から出すと、早速子どもたちが寄ってきた。
「あ、ドラゴンフォームや!」と目ざとく見つけて目を輝かせたのは上の子であったが、下の子がツタタタと駆け寄ってきて速攻で父親の手から人形をひったくってしまった。見ると、もう一方の手には昨日の人形もつかんでいる。
またもやそのまま逃げ出して、部屋の隅にしゃがみこむと、両手の人形をぶつけるようにして闘わせはじめた。
「ともちゃん、ひとつ貸してーやー!」
「あーかーんー!」
「ともちゃん、ひとつお兄ちゃんに貸してあげなさい!」
「いーやーやー!」
「ドラゴンフォームはなおちゃんのやのにー。うぇ~~ん」
もうほんまに、どないせえっちゅうねん。
2000年3月25日(土)
今日は午後からの出勤だったので、午前中に下の子どもの散髪に挑戦した。ずっと以前には、家庭用のバリカンで丸坊主にしたこともあったのだが、そのときは保育園で年長の子どもたちに、「はげぼーずー」と囃されてかわいそうだったので、今回は櫛とはさみで男前路線に挑戦である。
台所で小さな椅子に座らせ、ゴミ袋をかぶせて頭を出させた。準備完了である。
まずは、襟足にかかりまくっている後ろからである。よく、スポーツ刈りのくせに後ろの髪と前髪だけ伸ばした子どもがいるが、あれは例外なく親がヤンキーでなんだか可笑しい。必ず迷彩柄のズボンとかはかせてるし。
私は残念ながらヤンキーではないので、後ろもすっきりカットである。
しかし、これがうまくいかない。櫛ですくって、はさみでちょきんとすると、そこが段になってしまうのである。それを修正しようとすると、また新たな段ができてしまうのである。段々が段々と増えちゃって、などと駄洒落を言っている場合ではない。なんか、昔社会で習った「河岸段丘」というか、「鬼の洗濯板」というか、スレート瓦の屋根みたいになってしまった。
耳の上とかも丁寧にしたつもりが、同じ結果になった。
まあ、しかし、本人は何の不足もなさそうだし、遠目に見ているうちはなんら問題ない。それに、今回は4歳や5歳では囃せまいて。「やーい、錣(しころ)あたまー」とか、言えるもんなら言ってみろ。
2000年3月26日(日)
私はよく道を聞かれる。梅田の人ごみなどでも、わざわざ私を選ぶようにして道を尋ねる人がいる。切符売り場では、駅員でもないのに切符の値段どころか自販機の操作の仕方まで説明させられたりする。英語で道を聞いてくる外国人も困ったものである。なにも日本ではすべて日本語を話せというつもりは毛頭ないが、最初に「スイマセーン、アナタ、英語ハナセマスカ?」くらいは、観光客の礼儀としても日本語で言うべきであろう。わざわざ英語で、「ソリー、アイキャントスピークイングリッシュ」と矛盾に満ちた返事をしなければならない者の立場に立ってみよ。
で、昨夜のことである。自宅近くの駅に着いたのは、例によって11時を過ぎていた。寒の戻りというのか、風が異様に冷たい。私は電車を降りて震え上がった。
階段に向かってホームを歩いていると、向こうから一人の少女が近づいてきた。グレーのスウェットの上下に赤系のフリース、年は15、6というところか、茶髪で非常にかわいらしい。モーニング娘。の後藤真希とやらにそっくりである。
彼女は私をひたと見つめている。しかもにらんでいるというよりも、はにかんだような柔かな視線である。
私は柄になく緊張した。援助交際を持ちかけられたらどうしよう。いや、それより愛を打ち明けられたらどうしよう。私の脳裏に妻子の姿が浮かんだことは言うまでもない。
その少女は、私のごく近くまできて、おもむろに口を開いた。
「○○駅は、何番ホームの電車ですか?」
落胆はしなかった。正直なところ、駅のホームで一体何を聞かれるのだろうと期待していたのである。まさか、道を聞こうにも、道は線路で一本道である、聞くようなことはない。時間は大きな時計があるし、火を貸せとでも言うのだろうか、などと思っていたのである。そうか、その手できたか。
「それはこっちのホーム。各停で3コ目、快速なら1コ目」
私は極めて事務的に答えた。道を聞かれるプロとして要点のみにとどめた。
しかし、見た目とは裏腹に、彼女はとても礼儀正しかった。「ありがとうございました」に、寒さも吹き飛ぶような微笑を添えてくれた。
「今から帰んのんかいな。もう遅いから、気ィつけて帰りや」
思わず付け加えてしまった。
2000年3月27日(月)
そのCD-ROMのことを知ったのは今年の1月7日、朝日新聞の夕刊の記事だった。絶対買おうと思って、即座に記事を切り抜いて、今日まで鞄に入れてあった。発売は2ヶ月ほど前だったのだが、本日ようやく買うにいたった。
そのCD-ROMのタイトルは『古今東西噺家紳士録』という。奇跡のようなデータベースである(発行:エーピーピーカンパニー。発売:丸善。12,800円)。
圓朝以来の東西1125人の落語家について、写真、系図、芸名、改名歴、プロフィール、出囃子、その他、いろんな角度から検索できるようになっている。
そして驚くべきは音声資料である。落語だけで、2760分も収録されている。それも物故者のものばかりである。上方落語が4時間程度と少ないのは残念なのだが、米朝師匠の本でしか目にしたことがないような演者の声がいろいろ聞けてうれしい。花月亭九里丸とか、初代ざこばとか、先代、先々代の染丸とか。「天王寺詣り」を四代目松鶴、五代目松鶴、六代目松鶴で聞き比べることができるようになるなど(それも一枚のCDで)、夢にも思わなかった。
東京落語は、本当になじみが薄くてよくわからないのだが、収録された160名176演目には名人上手の名前がごろごろ見えて、聞くのが楽しみである。昭和の大名人に敬意を表して、とりあえず五代目志ん生の「火焔太鼓」を聞いてみたが、そんなもなぁ感想なんて言うだけ野暮ってもんじゃねぇか。
あと、出囃子も出囃子だけで検索できるようになっている。もちろんそれを用いた演者もわかる。
作った人(中心は小島豊美さん。演芸評論家小島貞二の長男)は、明らかにどうかしてる。もちろん、いい意味で。
(あー、でもしかし、高い金出して買ったものが、値段のはるか上の値打ちがあってめっちゃうれしい。だから、今日の日記はただの自慢です。ついでに、今後しばらく更新が途絶えがちになっても、それはこのCD-ROMのせいですから。一人でパソコンに向かってグフグフ笑ってるせいですから)
2000年3月28日(火)
こないだもマンガン鉄さんのとこに文中リンクはってもらったし、樹里さんのとこではこれ以上ないってくらいにベタボメしてもらって(買いかぶられすぎのほめられすぎで面映い)、ちょっと図にのってるむしまるです。
おまけに! おまけに! 今日はJOYさんにまで斬ってもらいました! うでしー!
ことの起こりはほんの数日前、JOYさんにメール出したのですよ。励ましのメールを。
JOYさんは日記読み日記を書いてらして、それがあんまり面白すぎるもので。
日記猿人系のバカ日記やヘンテコ日記を、もうばっさばっさと慇懃無礼な調子で斬ってらっしゃるんですが、過激を装い、偽悪を気取るその底の健全なセンスがほんとに素敵なわけですよ。こんな人ばっかだと日本もも少しよくなるだろうってくらいに、バランスが取れてて配慮が行き届いていて。
でもまあ、斬られるほうにしてみれば、たまったもんじゃないだろうし、そこまで読み取れるような人間ならくだらない日記を書かないだろうし、そんなこんなで逆恨みでもされてんじゃないかとちょっと心配したのでした。
で、惚れた弱みってやつでしょうか、「がんばってくださいね」とメールを出したわけです。
しかし、ここが大人の汚いところなんですが、やっぱり書き加えてしまったんですね、「よろしければ私の日記も斬ってくださいな」と。そんなものもちろん社交辞令ってやつで、無視されてあたりまえってつもりでした。
そしたらすぐに「斬りますよ」とお返事をいただいたんですが、それはそれで喜びながらも、さすが大人の社交辞令ともちろん期待はしてませんでした。
そしたらなんと! 速攻で斬られてますよ! それこそもうバッサリと。中味もいつもの調子なんですが、私が読んでほしいように読んでくださってて、うれしいってもんじゃないです。クスクス笑っちゃうようなツッコミぶりも、痛いとこの突き方もいちいち腑に落ちるし。
それになにがうれしいって、こんなくだらない過去日記全部読んで書いてらっしゃるんですよ。
他人の日記を評価する礼儀とはいえ、そこまでする日記読みって普通いないと思います。
すごいっす。尊敬するっす。
ここ読んでるヒマがあったらすぐに飛んでいきましょう。掛け値なしにオススメします。
2000年3月29日(水)
今日の更新:バカエッセイに「知ったかぶりの極意」
今日の日記は帰りの電車の中で書いています。モバイル野郎です。
嘘じゃありません。ガタンゴトン。ほらね。ガタンゴトン。ほら。
お、隣のおじさんがのぞきこんできました。ピンチです。エクセルでも開いてればカッコイイのでしょうが。
ええっと、エクセル、エクセルと。ガタンゴトン。
ああ、おじさんがのぞきこむのをやめてしまいました。残念です。
電車が途中の駅に到着しました。今乗ってるのは快速ですが、ここで各駅停車と連絡しています。って、おおお、快速に乗り換える連中が続々と乗り込んできました。一挙に満員です。
あ、一人置いて向こうにあった座席のすき間に、おばさんがお尻をねじ込んできました。10センチほどしかなかったのにー。もともと七人がけの座席なので反則というわけではないのですが、いっぺんに狭苦しくなってしまいました。
いくらモバイルギアが小さいといっても……プシュー、ガタンゴトン。発車したようです。
窮屈です。両手で打つのがつらくなってきました。
くそー、となりのおっさん、膝開きすぎやっちゅうねん。ぐいぐい。押し返してみました。
あれー、電車の実況をしていて、今日の日記に何を書くつもりだったか忘れてしまいました。
ガタンゴトン。
んーと、んーと、11時過ぎてるし、お腹もすいてるのでうまく考えられません。ガタンゴトン。
仕方ないので、これからソリティアでもします。ガタンゴトン。
それではみなさんさよう……なんや、もうすぐ降りんといかんがな。
2000年3月31日(金)
今日はシンプルに兄弟ネタ。まずは兄貴から。
妻が、上の息子に
「ちょっと、あんた、これどうすんのん。こんなに散らかして」
と、注意すると、めずらしく言い返した。
「“あんた”って言わんといて。ちゃんと名前あんねんから」
五歳児のくせに、くそ生意気な物言いである。
「ほな、なんて呼ぼ。なおちゃん?」と妻。
「ううん。“テレタビーズ”って呼んで」
そう来るか。そうボケるか。私は横で聞いていてツッコミそうになった。
「ふーん、そんな名前やったん。ほな、明日からもずっとそう呼ぶわな」
「でも、お母さん、明日になったら忘れてんねんで」
お兄ちゃんの勝ち。
続いてチビさん。
もうすぐ2歳ということで、日々言葉が増えて面白いのだが、今夜は寝る前に子守唄を自分で歌っていた。
本人は、「ねんねんころーりーよー」と歌っているつもりらしいが、ひとまず発音どおり書き留める。
「ねーねーこおーりーよー、おこーろーりーよー、おうやわーおいこーだー、ねんねーいーなー、ぽてちん」
最後の「ぽてちん」って何ですか。
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