「筆先三寸」日記再録 2000年2月

2000年2月2日(火)

 下の子の言葉がこのごろ急に増えはじめた。まえまえから、うにゃうにゃあうあうと意味のないことをまくしたててはいたのだが、最近ようやくその中に意味のある単語が、わずかではあるが聞き取れるようになってきた。
 たとえば、朝起きてこちらが「おはよう」と声をかけると、「おあおー」と返すようになった。
 また、なにかものをやって「ありがとうは?」とうながすと、ちゃんと「あーあとー」と言う。
 たまに、テレタビーズのぬいぐるみ(ティンキーウィンキーの)を抱きしめて、「かあいー」(可愛いの意)とか言ったりもしている。
 その「かあいー」だが、こんなときにもよく言う。
 外へ出かけるときは、広げても座布団ほどの大きさしかない赤ん坊向けのダッフルコートを着せてやるのだが、そのコートがどうやらお気に入りのようで、着せるたびに上半身をちょっと横に傾けて(ポーズのつもりらしい)、「かあいー」とか言っている。どうやら自分が可愛いと言いたいらしい。うぬぼれるにもほどがある。バカ親にしてみれば確かに可愛いのだが、自分で主張するようなことではなかろう。

 で、「おめめ」「おはな」「おくち」「おてて」「あっしー」とかも、やっと言えるようになった。
 そしてようやく、「おかーさ」(お母さんの意)および「おにーあん」(お兄ちゃん)も、わかるようになった。
 しかし、しかしである。「おとうさん」が言えない。「お父さんは?」と言わせようとすると、「んっくっくー」とか言うのである。お母さんとお兄ちゃんは、不明瞭ながらもちゃんと言うのに、である。
 私が「これ誰?」と自分を指差しても、「んっくっくー」としか言わない。

「お父さんやろ?」 (←再度チャレンジ)
「んっくっくー」 (←やっぱり同じ)
「お父さん、て言うてみ」 (←まだ希望あり)
「んくくー」 (←ちょっとじゃまくさい)
「おっとっうっさっん」 (←必死)
「んくー」 (←だいぶじゃまくさい)
「お父さん!」 (←ちょっと怒)
「んく」 (←もうあきた)
「おとうさんやのにー」 (←半泣き)
「かあいー」 (←両のほっぺに人差し指を当ててポーズ)
「関係あれへんがなー」 (←お手上げ)

 この親不孝者。


2000年2月4日(金)

今日の更新:バカエッセイ「『ヤ』の受難と逆襲」

 えーっと、明日から社内旅行です。やほー。
 サイシをほっぽらかして仙台へ行きます。一泊二日の強行軍ですが、泊まりは花巻です。温泉です。

 それで、今思ったんですが、国内旅行って国内で旅行しますよね。あたりまえか。信州とか沖縄とか北海道とか。
 じゃあ、社内旅行って言い方は変じゃないですかね。
 総務部とか営業部とかを見学して回るんでしょうか。倉庫めぐりとか、地下の機械室で肝だめしとかするんでしょうか。で、男性社員は大会議室で雑魚寝。女性社員は役員室に分散して宿泊。
 そんな旅行はいやです。っても旅行じゃないか。

 社内旅行が社内の人間で行く旅行だってんなら、今度は国内旅行がたいへんですね。
 一億二千万人がドワーっと一気に旅行するとなるとおおごとです。観光バスが200万台以上いります。1台20メートル取るとして、4万キロ。ちょうど地球一周です。どこへ行くんでしょうか。どこへも行きません。行けません。
 第一、そんなの旅行とは言いません。民族大移動です。

 そんなわけで、土曜日はネットもお休みです。
 んじゃ、行ってきまーす。(←浮かれている。ここまで書いても、会社の旅行は「社員旅行」だっていうことに気づいてない。) 


2000年2月7日(月)

 たとえ一泊二日の社員旅行とはいえ、六十人ばかりの大所帯で、飛行機にも乗り、バスにも乗り、行くには行ったのであるから、道中のあれこれ小事件やハプニング、名所旧跡景勝地、温泉旅館の風呂や料理、宴会の風景からエストニアのお姉ちゃんの乳の話まで、それぞれ雑文のネタにして書こうと思えばいくらでも書けるような気がする。
 しかし、自分がどんなことを書こうとして、それがどの程度ものになるのか、わかりすぎるほど読めてしまうので、どうも書く気がしない。
 だから、ここではとても個人的な話を書こう。旅行中の、それでも他人とはまったく関係のない、旅行の話だかなんだかわからない話を書こう。

 土曜日は、通常の出勤とほぼ変わらない時間に家を出た。家を出て一時間少々かかってやっと阪急梅田駅までたどりついた。そこから阪急電車、大阪モノレールと乗り継いで伊丹空港なのだが、後はせいぜい30分ほどしかかからない。。
 梅田の駅で私は、リュックにナイフが入れっぱなしになっていることを思い出した。ナイフといってもレザーマンのツールナイフ、広げればペンチにこそなるが、メインブレードの刃渡りは10センチもない。
 私は思案した。このまま飛行機に持ち込もうとするべきか。刃渡りが中途半端なので持ち込める可能性もある。しかし、金属ゲートで取り上げられると、空港でひとり回収に走り回らないとならない。それは昔経験して懲りている。
 そこで私は決断した。ナイフを梅田のコインロッカーに入れて行くことにしたのである。転ばぬ先の杖というか、気が小さいというか、めんどくさいことはとにかくいやというか。おかげで、一泊二日で600円の損である。とほほのほー。

 往復の道中で読んだ本は、小林信彦『コラムの冒険』(新潮文庫)、スティーヴン・ハンター『極大射程』(上下・新潮文庫)の2作3冊である。前者は相変わらず軽妙にして辛辣な映画批評、メディア批評のコラム集。小林信彦(中原弓彦)のコラムは、慇懃無礼というか謙虚に見えて尊大というか、あまり好きではないのだが、よく考えると文庫本はほとんど全部持っている。面白いといえば面白いし、批評眼には舌を巻くし、データは緻密なので、やっぱり最も尊敬かつ信頼している批評家の一人といえるかもしれない。
 後者は、今年の『このミステリーがすごい! 2000年版』(宝島社)で海外編の1位も取ったことだし、と思って手にとった。昔はこういう情けないことはしなかったのだが、最近は自分の嗅覚だけを頼りに新刊をがんがんジャケ買いして面白い作家を見つけるというような、金も時間も根性もなくなってきた。で、感想だけど、面白い。めちゃくちゃ。主人公は、ヴェトナム戦争生き残りの凄腕スナイパー。偏屈で一匹狼な暮らしを山奥で送っているのに、犯罪にはめられて反撃と名誉回復に挑む。あー、もー、私にはこの設定だけで大当たり。一気読みだった。さすが評判通りである。

 で、日曜日の夕刻に無事大阪空港についた。気になっていたのは、やはり家族のこと。午前中のうちに携帯に電話があって、一同高熱で寝込んでいるとのことだったのだ。サイの声もかなり辛そうだった。
 夕食の誘いも断って、私は家路を急いだ。モノレールのホームまで駆け上がり、電車の乗り換えは常に小走り。家に夕食の用意があるとは思えないので、途中でハンバーガーを腹に収めた。
 駅からも自転車をすっ飛ばして帰った。旅行で疲れている上に急いで帰って、もうへとへとである。
 サイシは思ったより元気そうだった。薬だなんだのおかげで、鼻水や微熱を残すのみで、なんとか一晩は安らかにしのげそうではあった。私はほっとした。
 なんとか9時前に家に着いていたので、9時にはみなを寝かせたあと、私は風呂に入ろうとした。
 ジーンズを洗濯機に放り込もうとして、ポケットをさらえた。何度かティッシュやら千円札やらを洗濯して悲しい思いをしたことがあるのだ。で、順に取り出した。ハンカチ、ポケットティッシュ、小銭入れ、コインロッカーのキー。

 え? コインロッカーのキー? え?

 えーっ!


2000年2月8日(火)

 これを書こうとしているうちに9日になっちゃった。
 だから、9日の日記とするべきか。ま、8日の分でよかろう。
 日記サイトを見ていると、「8日のことを書くから日付は8日派」の人と、「8日のことを書いてもアップしたのは9日だから9日派」の人と2通りあるようだ。別にどっちでもいいと思うけど、私は一応前者。昔から日記はまとめてつける癖があったりしたけど、いちいちその日の日付で書いてたから。

 で、日記。今日は少し時間があったので、「疾走するダダイスト ピカビア展」(近鉄アート館)というのをのぞいた。
 ピカビアはいうまでもなく、ブルトンなんかといっしょにパリ・ダダの起こりの中心になった人。ピカビアが本当にダダイストだったかどうかはともかく、展覧会は刺激的だった。
 詳しくは書かない。オルセー展や、バルビゾン派あたりの展覧会なら、素人丸出しの感想文でも書けるのだろうけれど、相手はピカビアである。何を書いても私の筆先のはるか先を疾走している。
 だから感想は一言にしておこう。

 「こんな風に生きたかった」

 「印象派の時代」からはじまって、何度となく作風が変化する。素晴らしいテクニックをもっていながら、名声が定まっても、死ぬまで具象と抽象の間を自在に行き来する。
 芸術家の求道とはこのようなものか、とも思った。あきっぽいとも、うれしがりとも思った。
 そして、魂の自由とはこういうことかと思った。
 それなりに結構苦しそうだったりもしたけれど、カッコよかった。たしかに。


2000年2月9日(水)

 今日大阪は大変な雪でした。雪国の人には噴飯ものかとも思うけれども、我が家の周囲でも5センチほどは十分積もっていた。当然道路も表面は凍ってしまっている。
 こうなると、大阪の人間は弱い。電車こそ動いたので救われたが、まず車の運転ができない。鼻先をへこませた車や、なぜか斜めになって沈黙している車をよく見かけた。次に、歩けない。スニーカーでもスタスタなんてとてもとても。みんな、ちょこちょこ小股で歩いて、ときおりすっ転んでいた。

 そんなわけで、私は今朝、子どもたちを徒歩で保育園まで送りました。
 上の子どもはマフラー、手袋、長靴で完全装備。下の子はつなぎのジャンパーに毛糸のミトン、ベビーカーに押し込んで、ひざ掛けでくるむという念の入れよう。
 車なら五分ほどの距離なのだが、歩くと遠い。坂もきついし、この雪に五歳児のペースである。30分はかかりそうであった。
 とはいえ、別に困ることはない。寒いのさえがまんすれば、とくに急ぐ必要があるわけでもない。私も今日は仕事も休みであるし(その代わり明後日は祝日出勤)。
 「なんで雪ふるのん?」
 「この車真っ白になってるー」
 「きのうな、こうすけくんとな、みなちゃんがな、……」
 そんな感じでよく喋る息子とベビーカーを押しながら、いろんなことを話した。中味はもうすべて忘れたけれども、他愛もない会話だったと思う。下の子どもはその間、眠いのか寒いのか、ベビーカーに乗ったまま硬直していた。
 あんまり寒いので、中間地点にあるコンビニに立ち寄った。肉まんを一つ買って、子どもたちと分けた。

 再出発したものの、なかなか進まない。子どもの常ではあるが、真っ白に積もった雪に足跡をつけに行ったり、路上駐車の車に積もった雪を固めて雪玉を作ったり、地面の雪の塊を蹴飛ばしたり、忙しいことこの上ない。しかも、一向に前進しない。下の子はベビーカーの中で縮こまっていたが、気持ちよさそうだったので眠かったのであろう。
 結局、保育園に着くまでに30分以上かかった。

 今日、こんなにも雪が降ったことや、お父さんと30分もかけて保育園へ行ったこと、途中で肉まんを買い食いしたことさえ、子どもたちはじきに忘れてしまうのだろう。もちろん、私もきっと忘れてしまう。
 雪景色だけでも写真にとっておけばよかったのだろうか。通園の様子をビデオに収めればよかっただろうか。
 でも、そんなことは思いもしない。
 忘れればいいのだ。


2000年2月10日(木)

 今日の夕方、下のようなメールが届きましたの。ほほほ。
 見たことのない人も多いようざんすから、全文引用してやるざんす。よく読むざんすよ。

こんにちは、Yahoo! JAPANです!

ご推薦いただいたページ
< URL: http://www1.odn.ne.jp/mushimaru/ >
をYahoo! JAPANに掲載させていただきました。
36時間以内に行われるデータベースの更新で掲載が開始される予定ですので、「新着情報」またはURLによるキーワード検索でご確認ください。
なお、掲載のルールにてご説明しておりますように、Yahoo! JAPANでは編集方針に基づき、実際にページを見たうえで掲載先カテゴリを選択し、タイトル、コメントなどを編集して掲載処理を行っております。ご依頼いただいた内容が一部変更になって掲載されている場合がございますことをあらかじめご了承ください。
Yahoo! JAPANがその検索性の高さで数多くのユーザー様からご支持いただいておりますのも、ひとえにサイト主催者様のご協力によるものと考えております。
ご理解いただければ幸いです。
また、今後URLや掲載内容の変更をご希望になる場合は「サイトの推薦・変更の方法」の「変更依頼フォーム」
http://www.yahoo.co.jp/docs/change.html
にてお知らせください。
ありがとうございました。
ところで、あなたのページにYahoo! JAPANへのリンクを張ったり、Yahoo!
JAPANの検索フォームを入れたりすることができます。もしまだお試しでなければ、「Yahoo! How-to」の「Yahoo! JAPANをあなたの近くに!」
http://www.yahoo.co.jp/docs/howto/homepage/1/1.htm
をご一読ください。

      Yahoo! JAPANサーファーチームより

 と、ここまでなんだけど。 
 でも、実は4連敗してました。とほー。五度目の正直というやつです。
 よかったね>おれ。


2000年2月11日(金)

今日の更新:バカエッセイ「強制改行でドッキリ」

 先日帰宅すると、妻が「今日保育園で、なんか私ほめられてん」と言った。そら三十六にもなるとお絵かきも粘土も上手にできるやろと思ったが、よく考えるとそんなことさせてもらったわけがない。
 わけを聞くと、なんでもある先生が下のチビを指して、
「ほんとにともちゃんはいい子ですねえ。明るくて素直でやさしくて。どんな風に育ててはるんですか」
 と言ってくれたらしい。
 また、それを受けて別の先生が、
「お父さんもお母さんも大事にしてはるし、だめなことはだめってきちんと言わはるから」
 とも言ったという。
 親としてはこっ恥ずかしい限りであるし、チビに対する評価には首を傾げざるをえないところもある。もし1歳半のチビが保育園ではその通りだというのなら、そんなに若いうちから裏表のある人間になってどうする。
 私がうれしいと思ったのは先生のそんな発言ではない。それを聞かされたという妻の反応である。
 妻は、その話を私に伝えてこう言った。
「子どもを大事にして、だめなものはだめって、そんなんどこの親でもいっしょやん、なあ。」
 せっかく先生がほめてくれているのに鼻で笑うのである。
「この子のもって生まれたもんやと思うわ。なにもしてへんのに」
 まるで子どもが勝手に育ったとでもいうような言い草である。
 でも、子育てに自信を持ってないところはいい。たまたま今のところ勝手にうまく行ってるだけ、という謙虚さもいい。子どもをなにげに信頼しているところもいい。
 ううむ、子についても妻についても恐ろしく自慢しているようになってるが、妻と私の感覚が同じでよかったと、あらためて思ったというだけのことである。
 そう、私たちは子育てに自信などない。保育園まかせだし、適当すぎるよなあ、といつも思っている。だから大人の役割は果たせても、親の権威はふりかざせない。逆説的だけれど、だからいいのかなあとも思う。
 何がいいかって、運が。運だけ。

 本。田中純『フェルメールの闇』(マガジンハウス)を人に借りて読んだ。
 文章は稚拙、会話もトホホ、プロットは激弱で不自然、キャラクターも爆薄で一貫性なし。しかも期待のペダントリィは通り一遍。自分の金で買わなくてほんとうによかった。
 と、さんざんなようだけれども、これは、ミステリはもう超がつくほどレベルの高いものしか読みたくない私のわがままかもしれない。とりあえず日本のミステリの水準はクリアしていると思う。これで水準というのもどうかと思うけど。今後、安易系のノベルズに流れなきゃ、いつかどっかで化けるかもしれない。
 大金持ちなら買って損はしないでしょう。大金持ちなら。

 うーん、子どもの話と本の話しかない日記ってどうなんすかね。書いてて、自分の世界の狭さに泣けてくるんですけど。


2000年2月13日(日)

 土曜日は実家へ行ってたんですが、帰ってみるとカウンタが10000を超えている。あれまー。
 どなたが踏んだのかは存じませんが、おめでとうございます。
 アクセス解析で見ると、踏まれたのは昨日の午後5時52分。coドメインで、OSはNTってことなので、どこかの会社の人なのでしょう。でも、土曜日の6時前なのに職場って、お仕事大変そうですね。こんなページ見てて大丈夫なのでしょうか。もしこれをご覧になってたら、掲示板に愚痴のひとつでもお書きくださいな。

 話はころっと変わりますが、今日とうとう「グリコ・森永事件」が時効を迎えました。あの事件が起こったのは、ちょうど二十歳、大学3年生の終わりでした。事件のピークは4年生でしたが、当時はミステリだけで年に百冊は読んでた頃だったので(勉強せえよ、勉強)、事件の舞台はバリバリの地元でもあり、ああだこうだと想像をたくましくしたものでした。
 でも、最も印象に残っているのは大学4年生の前期試験、井上俊教授の「コミュニケーション論」のテストです。
 テストだけで単位は楽勝との呼び声も高い授業でしたので、出席はほとんどしていませんでした。試験直前には、奇特な友人のおかげでびっしりと書き込まれたノートも手に入れました。友人と、仮想の問題を出題しあってのシミュレーションもやりました。
 ノート、ノートのコピー、教科書、参考書、辞書、と何でも持ち込み可、との情報も得て、私は準備を整えました。参考書も、前日に学部の図書館で数冊仕入れました。完璧です。
 そして、当日、普段の授業よりはるかに多い人数の学生が教室に集まっていました。
 みんな机の上に教科書や参考書を積み上げています。気合いも十分です。
 先生は、少し遅れて教室に入ってきて、解答用紙を配りました。論述用の罫線しか入ってないやつです。
 そして、「一問だけなので」と黒板にチョークで書きました。

 「グリコ・森永事件についてコミュニケーション論の観点から述べよ」

 教室の学生のほぼ3分の2が同時に叫びました。
 「なんじゃそらー」

 自分はどんな解答をしたのか、すっかり忘れました。解答できたのかどうかすら覚えていません。
 単位はもらえましたけどね。


2000年2月14日(月)

 今朝も例によって子どもたちを近所の病院の耳鼻科に連れて行ったのですが、今までこの日記では秘密にしていたことがあります。
 月曜日の先生は、若くて美人の女医さんなのです。美人女医などフランス書院文庫の中だけの話かと思っていたのですが、実際に白衣に身を包んだ先生の二重瞼の大きな瞳に見つめられると、ちょっとドキドキします。
 さすがに白衣の下のブラウスの胸元は開いていませんし、ズボン(パンツっていうのか)を召してらっしゃるのですが。
 それで、今日は二人の子どもを診てもらうついでに、私も診てもらいました。先日来、耳の中がどうも痒くて湿疹のようなものができている感じなのです。
 先生は私の首筋に息がかかるほど顔を近づけて耳の奥を覗き込むと、「荒れてますねえ」と言いました。
 それで、金属軸の綿棒に軟膏をたっぷりとつけて、耳の穴に塗りこんでくれました。
 ヌルリとした綿棒を耳の奥まで差し込んで、ヌルヌルヌルヌルスコスコスコスコスコ、とそれはもう両方とも念入りに。
 若くて美人の女医さんの手で、ただでさえ痒いところへその刺激です、思わず、「あ、あん」と声が出そうでした。

 来週も行こうと思います。再来週も行くかもしれません。再々来週も。
 子どもたちの耳は治っても、私の耳は治りませんように。

 (そんなこと言ってっから、今日だって義理チョコのひとかけらももらえねーんだよ。ひーん。)


2000年2月15日(火)

 親しい知人が結婚すると、結婚祝を贈るというのが世の習いであるかと思う。しかし、この年になると、学生時代の友人もほとんど結婚しており、そんな機会もずいぶんと少なくなった。従兄弟の結婚祝なんかだと、とくに遠慮も見栄もないのであっさり現金を送っておしまいだし。
 たまの機会とはいえ、やはり結婚祝には頭を悩ませる。花瓶や置時計、名画の複製なんかはありきたりを通り越して、もらう方にとってはすでにありがた迷惑である。だからといって奇を衒って、裏ビデオ3本組とか快眠枕とかいうのを贈るのも、それはそれでありがたいのかもしれないが、なんか違うような気がする。
 私がもらったお祝いで一番うれしかった、というか毎日酷使したのは、初代ファミコンとドラクエ3のセットであった。すきやき鍋や玄関マットなら、もらわなくても買ったであろうが、こればかりは自分で買うとは思えなかった。そして、夫婦で夢中になったのである。役に立ったのである。

 こないだから知人の結婚祝に悩んでいて、そんなことを思い出したりもしているのだが、考えているうちにすぐれた結婚祝にあてはまる条件をいくつか思いついた。挙げてみよう。

(1)他の人のプレゼントとかぶらない。
(2)自分で買おうとはなかなか思わない。
(3)値段も手ごろ。
(4)はじめは必要なくても、結婚すると絶対にほしくなる。
(5)いざほしくなっても急には手に入れにくい。
(6)役に立つ(かもしれない)。

 と、条件は6つばかりすらすら浮かんだのだが、ぴったりのものも同時にひとつ思いついた。
 みなさんも参考にしてください。

 それは、「わら人形(五寸釘とセット)」です。ほらね、ぴったりでしょ。


2000年2月16日(水)

 こないだ、屋根の補修の見積りを持って業者の営業マンがやってきました。まだ若いお兄さんで、セールストークももうひとつの、さわやかな人でした。
 しかし、見積書はさわやかから程遠かったです。
 たしかに、屋根の上がって職人さんが撮った写真を見ると、かなりひどいことになっています。屋根瓦は全体にずれている、ところどころ浮き上がったりもしている、漆喰はあらかた落ちている。葺き替えが望ましいのは明らかです。
 それで、お兄さんは言いました。
「葺き替えるとなると、瓦を全部どけて、下のベニヤからやらせてもらいますから、129万と、なります」
 ニコニコして言うなー! そんな金あるかー!
 とりあえず、割れてるのだけ交換して、ずれは全体に手で押して直すとかの応急処置だけで行くことにする。
 でも、お兄さんはめげません。
「それでも、下の土をかなり足したり、漆喰は一通りやり直さないといけませんから、それでも60万と」
 ニコニコして言うなゆーてるやろ!
 見積書を見ながら、うんうん唸っていると、お兄さんが言ってくれました。
「なんとか50万でやれとおっしゃるのなら、できないことはないですが」
 君から先に値切ってどうする。

 一戸建ては修繕積立金とかがないから、同額のマンション買うより月々の負担は小さいというのは嘘ですね。大嘘です。これまでにあれこれかかった費用とか考えて居住月数で割ると、月に2万近くになります。
 それで、結局借金です。会社に借ります。担保は退職金です。
 懲戒免職にだけはなりませんように。 


2000年2月17日(木)

 想像してみてほしい。
 ここに一本の針がある。
 ただ、先端が少し欠けていて、砂が一粒乗るくらいの平らな部分がある。
 さて、欠けた先端を天に向かって立てたその針に、
 砂浜の砂をすべて注ぎかけてみよう。
 九十九里浜でも須磨海岸でも鳥取砂丘でもいい、
 見渡す限りの真っ白な砂を
 (ダンプ何万台分あるのか知れないが)
 全部その小さな針に向かってぶちまけてみよう。
 大量の砂が、轟々と瀑布の如く流れ落ちたあとの静寂の中に
 その針はすっくと立っているはずだ。先端に一粒の砂を乗せて。

 その砂粒はきっと思う。
 「なんとなんと、私だけがこんなところに!
 なんという確率! なんという奇蹟!
 これはきっと神様の思し召しに違いない。
 神様が私を選んでくださったに違いない。」
 砂粒は、自分が選ばれなかった世界を想像できない。
 自分だけがそこにあるという事実を、神によってしか説明できない。

 けれども私たちは知っている。
 その砂粒が偶然によって選ばれたということを。
 膨大かつ微細な物理作用の結果、たまたまそれがそこにあるだけ、ということを。
 それは、他の砂粒がそこにあってもよい。
 その砂粒である必然性はまったくない。

 だから、私は神の実在を信じない。
 ガイアという概念を認めない。
 それがいくら精妙に成り立っていようと、
 そこでいくら奇蹟のようなバランスが達成されていようと、
 数十億年のうちに、それこそ浜の真砂よりも多い他の可能性を捨てつづけて
 いまこうして、偶然あるだけなのだから。

 そして今、私はここにいる。
 太古の生命から、それはそれは複雑な進化のプロセスを経て。
 一個の受精卵から、それはそれは複雑な発生のプロセスを経て。
 結局こうして私はここにいる。
 針の上の砂粒のように。


2000年2月18日(金)

 昨日の日記だけど、あんなの好きな人もいるかなあ、と思ってちょちょっと書きなぐってみました。しかし、掲示板には何の書き込みもありません。うーむ、やっぱりヒキましたか。やめたほうがいいですか。そうですか。

 ということでいつもの調子に戻ることにする。
 今日は午前中に保育参観というのがあった。たまたま出勤は午後からなので、休みを取った妻とともに出かけた。
 上の子どもは幼稚園なら年中クラスである。全員で机に向かい、なにやらイラストばかりのぬり絵ともワークブックともつかぬものを広げていた。どうやら上部に並んだいくつかの絵を、条件に見あう下部の絵と線で結ぶらしい。ありがちな課題である。
 正面では、同じページを模造紙に大きく写したものを黒板に広げて、先生が説明していた。
 「ここに三角と四角があります。これを合わせると下のどの絵になるかなー」
 いうまでもない。お家である。お船はもっとパーツが多い。カエルさんは半円を含んでいる。ここは三角形の下にやや小さい正方形を置いて構成されているお家しかない。
 「家なり!」
 私は思わず大声で叫んでいた。教室中の視線が私に突き刺さった。
 てなことでもしでかせばネタにもなったであろうが、そんなわけはない。私はおとなしく、子どもたちがおぼつかぬ手つきで鉛筆を動かすのを眺めていた。
 たまに先生も、みんなの注意を引き戻すためであろう、大きな図を指差してわざと間違えたりもする。
 「これは、こっちかなー?」
 すると子どもたちは一斉に叫ぶ。
 「ちがーう!」「先生、こっちー」「ぎゃははははは」
 もう蜂の巣をつついたような大騒ぎである。
 しかし、わが子はと見れば、黙ってその騒ぎを眺めている。むしろ退屈そうな表情である。なんと可愛げのない。よほど知能が高くて、「けっ、やってらんねーぜ」と思っているか、よほど知能が低くて状況が理解できていないかのどちらかであろう。
 そんなものべつにどっちだってよいが、この態度については、あらためて厳しく叱る必要がある。
 「ボケにはツッコむ」
 これがわが家の家訓であったはずだ。

 下の子どものクラスは何も言うことはない。
 ちっこいのがそこらじゅうで、うじゃうじゃごそごそと、あっちで走り、こっちで転び、泣いたり喚いたりしていただけである。その間におむつを換え、おまるを使わせ、おやつだ食事だとてんてこまいの先生には同情したが。

 職場には、保育園から直接向かった。
 途中で昼になったので昼食はカレーにした。それも大盛りである。給料が出たばかりで懐も暖かい。大盛り料金ぐらいでびびる私ではない。780円であった。
 そして本屋に向かった。金はあるので本を五冊と雑誌を一冊の一気買いである。さすがに8000円近くした。これはちょっとびびった。
 それでもまだ少し時間があったので、コーヒーを飲むことにした。しかし、ちょうど昼休みどきで、梅田の地下街は人で一杯であった。私は仕方なくホテルのラウンジを選択した。とにかくゆっくりくつろぎたかったのである。
 アルマーニ、ルイ・ヴィトン、エルメスと高級ブティックのひしめくヒルトンホテルのラウンジはさすがにゆったりとできた。右隣のテーブルでは、1カメがどうとか台本がこうとか、テレビ関係の人らしく、番組の企画の打ち合わせをしているようだった。左隣は南アフリカとか買いつけとかいう単語がもれ聞こえてくるところ見ると商社マンらしい。
 やっぱり、一流ホテルはちがうなあ、とか思いながら私は本を読みながらコーヒーをすすっていた。
 そうこうするうちに時間がきたので、私は席を立った。
 会計に伝票を出すと、タキシード姿の男性がにこやかに言った。
 「お会計は、1039円になります」
 コ、コーヒー一杯で! せ、せんさんじゅうきゅうえん! ひ、ひるめしより高いー!
 これはびびった。今日一番びびった。
 早く高給取りになりたい。


2000年2月19日(土)

 今日の産経新聞(大阪版)の夕刊に「ベスト&ワースト」というコラムがあり、大阪府の太田房江知事が3月の大相撲春場所で優勝力士への府知事賞の授与に意欲を見せているということについて、またもやごたくを並べている。
 話の中味は相変わらずである。土俵上で授与したい女性知事と、女を土俵に上げたくない相撲協会との対立の問題である。
 コラムの筆者(村上敏彦)はこう書く。

 (前略)この問題は協会に軍配を上げたい。
 長い伝統を誇り、国技とされる相撲は、日本古来の文化という受け止め方もできる。文化なら一般社会と違った独自の世界が伝承され「女人禁制」の慣習が守られてもおかしくない。

 さすがは産経新聞である。「伝統文化」の名のもとなら差別を温存してもよいとおっしゃる。大相撲(興行として成立したのは近世以降)よりはるかに古い伝統文化である密教が、高野山の女人禁制を早々と解いたということについてはどうお考えか。今日なおそのように、女性を「ケガレたもの」として見るのはいかがなものか。
 でもまあしかし、私はそこまで真剣に憤っているわけではない。「どっちでもええやん」とは言わぬまでも、「まあ、ぼちぼちやんなはれ」程度のテンションではある。
 で、次いでコラムにはこうも書いてある。

 女性が土俵に上がるのを拒否する姿勢も女性差別思想とは別の次元でとらえる問題ではないか。

 筆者は中立を気取っているつもりだろうが、この文章自体が「差別思想」そのものであるということに気がついていない。「別の次元」というのが何を指すのかわからないとかそんなことではない。
 同じロジックでこういうことを書けばわかると思う。

 (予算、スペース、職員による介助の必要性等、様々な問題があるので)公共施設にスロープがないのは障害者差別思想とは別の次元でとらえる問題ではないか。

 (サービスの内容は公平なので)肌の色でバスやレストランの座席を区別するのは人種差別思想とは別の次元でとらえる問題ではないか。

 いやいや、こんなスカタンなコラム書きに長々と付き合うつもりはなかったのだ。
 私がここで主張したいのは、テロのすすめである。テロリズムである。
 何も相撲協会を爆破せよとか、時津風理事長を暗殺せよとか、そんな物騒な話ではない。
 女性が無理やり土俵に上がっちゃうのである。五、六人でよい、観客の振りをして砂かぶりに陣取って観戦しながら、隙を見てどやどやと土俵に上がってしまうのである。
 全員がうら若き女性で、土俵上でコートをぱっと脱ぎ捨てると、全裸に横綱ばりの化粧まわし一本とかだとなおよい。で、腕組みして仁王立ちのまま、土俵下の年寄連中をにらみつけるのである。なにしろNHKで生放送中である。中年女性がぞろぞろと土俵を横切るだけより、はるかにインパクトが強いであろう。一瞬にして全国で話題沸騰である。
 タイミングは、三役の取り組み直前ぐらいがいいかもしれない。視聴率は高いし、相撲を中止するわけにもいかず、効果は満点である。万一、理事連中が急遽中止を決めたとしても、世論は決して支持しまい。
 結局、刑事的には威力業務妨害で書類送検、民事的には損害賠償請求というようなことになるだろうが、せいぜい1分ほど土俵に上がってみるだけで、誰も何も傷つかないのである。他人の毛皮にペンキをかける動物愛護主義者なんかよりよっぽど穏健であろう。最高裁まで争っても、世間の耳目を集めるだけ得ともいえる。

 誰か勇気あるフェミニストはやってみませんか。

(あー、今日の日記は、少し手を加えればバカエッセイでもマジエッセイでも書けたよなあ。リライトしようかなあ。)


2000年2月21日(月)

 この数日は、別にがんばってるつもりもなく毎日日記をつけてたんだけど、昨日一日さぼったら、今日もさぼりたくなってしまった。こういうのって、どっちにしても惰性のモーメントが大きいのかなあ。
 だもんで、今日はどっちかっていうとがんばって書く。

 子どもの話。
 下の子は今日、保育園で二度も嘔吐して、妻が午後一番で迎えに行ったらしい。
 その後連れて行った医者でも吐いて、結局点滴(吐き気止め)を打ったとか。夕方も延々眠りつづけたらしい(このへんは野生動物の習性がまだ残っている)。
 風邪か食あたりかというとこだけど、たぶん前者でしょう。
 しかし、私が帰宅する頃には、ずいぶん機嫌もよくなって、相変わらずの調子だった。
 私が「大丈夫か?」と聞くと、
 「あぁいじぉっぶっ」とか言ってたので、大丈夫なんだろう、きっと。
 「まだ、お腹痛い?」と聞くと、「いぃたぁぃー」と言うんだけど。
 オウム返し星人か、お前は。


2000年2月22日(火)

今日の更新:バカエッセイ「究極の携帯電話」

 今日のバカエッセイは、嘘屋さんを気取ってみました。でも、なかなかうまくいきませんね。
 こうして思うと、かの「やゆよ記念財団」はさすがにすごい。もうなんか完成してるって感じ。面白すぎるし。

 読むぶんにはたいしたことないように見えて、いざ自分が書くと、あれー?、なんでー?、めちゃめちゃやん、箸にも棒にもかかれへんやん、というようなのは他にもよくある。
 たとえば俳句。たとえば川柳。五七五に文字を並べるのは造作もないけれども、いいなあと思うようなものはまずできない。どうこねくりまわしても、切り口は陳腐、印象はボケる、言葉は濁る、でろくなことにならない。
 自分は結構いいのすらすらできるよ、というような人間は、鑑賞眼が皆無か、よほど頭が悪いか、本当の天才かのいずれかであろう。
 短歌や現代詩でも同じ。どれも短いし最近のは平易な日本語なので楽勝と思っても、才能か修練がないとまず無理。
 ついでだから、私が今までで一番びっくりした俳句を挙げる(ただし、すんごい季節はずれ)。

夏草に汽罐車の車輪来て止る      誓子

 それだけである。夏場、草が伸びています。蒸気機関車が来て止まりました。それだけ。でも、この暑苦しさはなんだろう、と思った。かっと照りつける夏の太陽、むせるような草いきれ、黒くて巨大な鉄の塊の圧力、そして虫の視線。
 むつかしい言葉はない。誰でもわかる。でも、私は逆立ちしてもこんなのつくれないと思う。


2000年2月24日(木)

 自動車のCMって夜なんか特にすごくたくさん流れているけれども、このところ一番目につくのはやっぱり、トヨタのファンカーゴかと思う。いや、あれは耳につくのか。ひどく甲高い上に、聞き取れる限界に近い早口の女性のナレーションがすごく印象的である。私はあれは絶対、録音したナレーションを早回しで流してると思ってたんだけど、本人が「笑っていいとも」に出てて、生放送でまったく同じナレーションを実演して見せていて驚いた。どこかでラジオ番組なんかを持っていると言っていたが、あの早送り口調はすでにちょっとした芸であろう。

 同じく、最近始まった自動車のCMで印象に残ったのは、スズキのスイフト。車自体はまんま日産マーチのパクリでとくにどうということはないが、面白いのはCMの作りである。
 最初は扇情的な書体のテロップの入ったワイドショー風の画面に一軒の家が映り、主婦が家にたてこもっているとの急きこんだ男性レポーターの声がかぶさる。
 その家を取り囲む人だかりの中から主婦の友人と思しき数人の女性が、家に閉じこもってちゃダメー、と呼びかける。画面はまさに主婦が鳥かごに閉じ込められている絵である。
 そして、ガレージから現れるスズキのスイフト。「買っちゃった」とつぶやく主婦。同様の主婦の乗るスイフトが数台並んで出発する。
 主婦が不敵に笑う。「行くわよ」と。

 このCMを見て、うわー、やるなー、と思った。
 今までの、女性を購買層に想定した車のCMとはまったくちがっている。従来のは、
 ・女の子が友だちと買い物や遊びに出かける。(軽自動車等)
 ・独身女性が街の中を軽快に(あるいはゆったり)走る。(カローラ2、マーチ等)
 ・専業主婦らしき女性が子ども連れで買い物。(イプサム等)
 と、大体こんな感じだったように思う。
 女性を結構バカにしたつくりだとも思うが、訴求のポイントは、「かわいい」もしくは「便利」である。

 今度のスズキのは少しちがう。
 女性向けの1300cc、つまり明らかにセカンドカー狙いだというのに、全然便利さや小回りを持ってこない。
 CMのテーマは「主婦の解放」である。
 おまけに登場する車は一人1台ずつ運転している。これまでのCM感覚なら、車を買って遊びに出かける主婦は、絶対1台の車にみんなで楽しげに乗り込んでいたはずだ。

 しかし、本当に、やるなーと思ったのは、主役にあたる森尾由美の声である。
 めちゃめちゃ低い。無理やり低くしているように低い。
 これも今までなら、「買っちゃったー!」、「行くわよー!」と女性が黄色い声で大喜びしていて不思議はないのだが。
 そして最後に、「行くわよ」とつぶやく森尾由美の表情。うれしげに微笑むでもなく、声をあげて笑うでもなく、唇を歪めて不敵に笑う。ほんとうに「不敵な笑み」とはこのことか、という感じである。
 ハンドルを握った瞬間に、一人の女に戻った、という感じがよく出ている。

 でも、このCMで、妻にこの車を買ってやろうと思う男がいるのだろうか。
 主婦層は喜びそうだけどね。


2000年2月25日(金)

 お腹いたいー。きもちわるいー。
 職場で、夕食代わりに日清の「とんがらし麺」ってのを食べたんだけど、それからずっと腹具合がおかしい。
 といっても、「とんがらし麺」が悪いわけじゃない。すっごく辛くておいしかった。最近のカップめんではひさびさのヒットなんじゃないかと思う。
 悪いのは私なんである。私の体質なんである。
 キムチチゲとか、タバスコかけまくりのピザとか、激辛麻婆豆腐とか、そんなのも結構好きで、汗をかきながらでもよく食べるのだが、これがてきめんに腹に来る。なんでだかわからないけど、すぐにお腹が痛くなったり腹を下したりする。
 あとそう、にんにくも同じ。ラーメンとかに、揚げにんにくとか、おろしにんにくとか、多いめに入れると(これがおいしいんだけど)、これも

 あ、ちょっとトイレ行く






ジャー




 ただいま。うーん、まだちょっと腹いたい。

 えと、なんの話だっけ。にんにくか。
 餃子でも、にんにくたっぷり系のはダメ。おいしいのにー。好きなのにー。
 嫌いなもんで腹いたくなるんなら食わなきゃいいだけのことなんだろうけど、好きなものでこうなるのはつらい。

 というわけで、今日は正露丸飲んで寝ます。


2000年2月27日(日)

今日の更新:バカエッセイ「それは質問か?」

 21日の日記に、下の子どもが保育園で2回も嘔吐して妻があわてて迎えに行ったという話を書いたけれども、原因はウィルス性胃腸炎でした。乳幼児によくある、いわゆる「冬の吐き下し」というやつです。そのおかげで、この一週間というもの、嘔吐と下痢とで大変でした。茶粥そっくりの便であふれそうなおむつを、何度換えたかしれません。

 それが伝染ったのか、ただの風邪なのか、私自身も一昨日来、腹痛と高熱とで往生しました。昨日など這うようにして出勤したものの、結局半日休みを取って、別室で寝こんでしまいました。今日も出勤でしたが、なんとか熱は引いたので渋るお腹をさすりながらもなんとか一日過ごすことができました。

 しかしながら、赤ん坊を飼うのは大変です。人間でいうと三歳くらいになるまで本当によく病気をします。風邪下痢便秘中耳炎は言うに及ばず、はしか水ぼうそうにいたるまで次から次への波状攻撃です。これがペットならブリーダーに返品です。でもこの子のブリーディングは私たちの手になるのでそうもいきませんが。

 上の子どもは、人間でいうともう五歳半になるので、ずいぶんと丈夫になりました。
 近所の水泳教室に通わせているのですが、土曜日はなにやら進級テストに合格したとかで、非常にうれしそうにしていました。
 今朝も目を覚ますと、むっくり起き上がるなり、
「なおちゃんな、スイミング合格してん」と言ってました。
 おはようが先やろ。
 朝食はトーストとクロワッサンのどっちにする、と聞くと、
「なおちゃんスイミング合格したから、こっち」
 それは関係ないやろ。
 パジャマから着替えさせようとすると、
「自分で着替えるー、スイミング合格してんでー」
 よっぽどうれしかったようです。


2000年2月28日(月)

 腹が痛い。まだ痛い。金曜日からずっと痛い。だから、日記もちゃんと書けない。
 とにもかくにも、下痢については下痢止めを多用して症状は治まったのだが、胃腸の痛みがすっきりしない。
 そこで、とりあえず家庭用の医学事典のようなものをひもといてみたのだが、そこに、「医師の診断を受けずに勝手な判断で下痢止めを使用するのは禁物です。下痢は、体内の感染物質や不要物を体外へ排出する自然な反応である場合が多いからです」(引用文うろ覚え)とか書いてあった。
 てことは、下痢止めを飲みすぎて便秘になりかけてる私は、原因物質を体内にキープし続けてるわけですか。
 どないせえっちゅうねん。


2000年2月29日(日)

 久しぶりの2月29日でなんかうれしい。でも、今年の29日は特別みたいですね。なんでも、4年に1回のうるう年は、25回(100年)ごとに1回飛ばすことになってるけど、400年ごとのはちゃんとうるう年にするとか。
 つまり、今年は400年ぶりに、西暦の下2桁が00なのに2月29日がある、ということらしいです。
 せやからどないやっちゅうねん。

 今日の夕刊に、「デジタル・デバイド」っていう言葉がのってた。初めて目にする言葉ではあったけれども、いわゆるコンピュータ・リテラシーによる格差の拡大というようなことらしいので、別に新奇な概念ではない。そこでは多少誇張して書かれてあったけれども、それは本当に大変なことなのだろうか。
 就職活動を控えた学生や、商社マン、研究者(とくに理科系)などにとっては、必要というも愚かなほど重要なツールではあろうが、私たちのような一般人にとっては、インターネットがそこまで重要なものとは思えない。たとえば、ミステリ作家の森博嗣氏が、インターネットはいずれ電話と同様になるというふうなことを書いていたけれども、私には信じ難い。
 ただ、インターネットが将来にわたってこのままの姿ではなく、(巷間言われるように)あらゆる情報のキャリアとして発達するなら、あながち信じられないものでもない。電話もテレビも音楽も、すべてそこに乗るようなことになれば、森氏の言葉も妥当するようになるのだろう。しかし、それは老若男女にインターネットを活用する力がつくという意味ではない。インターネットの原理を用いた家電が増える、というだけのことである
 そのときはすでにおそらく、身の回りは、インターネットともコンピュータとも全然関係ない(でも常時インターネットにつながっている)ものばかりになってしまうのだろう。

 そのとき格差は生まれるのだろうか。
 そしてそれは、識字能力のように、人としての根幹に関わるような格差なのだろうか。

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